第2話 幼馴染
浜辺に簡単に降りれるようなちょっとした高台に、ポツンと一軒の大きな施設が建てられていた。塀には潮風孤児院という看板が貼り付けられており、子供達が書いたような絵が同じく貼られている。
キリン、象、ネズミ。はたまた何かわからぬ不定形な生物までが書かれているようだ。海の風景も書かれており、鯨やカモメ。しかし一際目を引いたのは、二足で立っている変な生物だった。それはどう見ても人間ではなく、例えるならば……魚人だろうか。ふと思い立って海の方を見ると、波が強く押し寄せては引き返す事を繰り返していた。見ていると少しだけ不安な気持ちになる。
「七草さんは、この孤児院の子なの?」
「そう。物心つく頃には、ここで暮らしていたの」
菜沙以外の女の子と話すのが苦手な俺は、とりあえず黙っておいた。しかし、孤児院で昔から暮らしていたとなると、捨て子だろうか。本人にそんなことを聞けるほど俺は度胸もないし阿呆でもないので、適当に予想だけしておく。
「……しかし、暗くなってきたな」
夕日は大分傾いてしまった。あと一時間もしないうちに完全に夜となるだろう。そうなる前には帰りたい。流石に夜遅くを菜沙と一緒に歩いて、誰かに絡まれたりなんてしたら、守れる気がしないし、一日に二度も絡まれるなんてゴメンだ。
「……ねぇ、氷兎君?」
女の子、七草さんが俺に向き直って話しかけてきた。彼女のその瞳は真剣さと共に、儚さを感じさせるような、不思議な瞳だった。彼女は何度か言いにくそうに言葉を濁らせながら、不安げに尋ねてくる。
「私のこと、変に思わないの?」
尋ねてきた内容は、河川敷にいた時にも聞いてきたものだった。変に思わないの、と聞かれても……俺にはなんだかわからない。七草さんは軽く俯いて、手を握っては開いてを繰り返しながら話を続けた。
「見たでしょ? 私、他の人と違う……」
「……なにが?」
見てくれも何も、ただの女の子にしか見えない。あの時彼女が変身してチンピラを撃墜させたのならともかく、まるで武道を嗜んでいる人のような軽やかで、それでいて鋭い攻撃を繰り出しただけだった。他の人と違うというのなら、それはきっと才能とか、そういった生まれついたものの差ではないだろうか。
明確な答えを出さない俺に対して何か思うことがあったのか。彼女は顔を上げて、別の方向を見ながら口を開いた。
「……見てて」
何を、と尋ねる前に彼女は近くにあった大木に向かって歩いていく。そして徐ろに足を肩幅程度に前後に開き、タンッタンッとリズムを踏む。そこからは一瞬の出来事だった。彼女の足がブレたかと思えば、次の瞬間には木の側面に向けて蹴りを入れていたのだ。メキッと大木が悲鳴を上げ、木の葉が煩いくらいに音を立てている。彼女の足があった場所を見てみると、その部分だけが綺麗に足跡の形を残したままへこんでいた。
「……やろうと思えば折ることもできるよ」
「………」
唖然として声が出なかった。この大木に俺が蹴りを入れても薄皮一枚も傷つけられないに違いない。太さは大体、俺が三、四人纏まって一つに括られた程度だろう。人体でこれを破壊できるとは思わないし、やれたとしても骨が折れるのではないか。
「……痛くないの?」
流石に心配になって彼女に聞いてみる。人間を蹴るのとはまた訳が違うのだから。いくら平気そうでも、筋肉に痛みが出てきてしまったりするかもしれない。いや、木の中身がスカスカな状態なら……と思ったが、見た限りそんなことはないようだ。
俺の言葉がそんなにも不思議だったのか、七草さんは何か変なものを見るような目で俺を見てきた。やめてくれ。それは俺に効く。
「……怖くないの?」
「なんで? 俺に向けられた訳じゃあるまいし、その点俺はどうでもいい。むしろ怪我してないか心配なんだけど」
「……変な人。皆私のこと怖がるのに」
七草さんを怖がる、ねぇ……。いや仮に彼女が吸血鬼で、俺の身体を狙うというのなら、それは恐怖を感じるだろう。しかし、彼女は俺と変わらない人間だ。恐怖を感じる要素はあるだろうか。こんなにも、傍目から見てかわいらしい容姿をしているというのに。
……いかんな。これでは七草さんがかわいらしいから、どうだっていいやって言っているみたいだ。流石にそれはダメだろう。自分を咎めていると、七草さんがまた話し出した。
「……人は、人から逸脱した人を怖がるの。なのに、なんで怖がらないの?」
……なんともまぁ変なことを聞いてくるものだ。彼女のどこが人から逸脱した存在だというのか。どう見たって、普通の女の子だ。むしろこれだけ整った外見なのに僻んでいたら、一部の人から苦情が来る。それを伝えるために、俺は彼女に言った。
「……幽霊じゃあるまいし、ましてや化物でもない。君は人間だ。なら、怖がる必要はないと俺は思うよ。菜沙はどう?」
「……うん。私もひーくんと同じ。七草さんは女の子だし、怖がることもないと思うの。それに、何でもかんでも疑心暗鬼になって、隣に誰もいないのって寂しくない?」
「……寂しい、けど。誰も私と一緒にいたがらないから」
常日頃から、木に蹴りを入れたりしていたら、そりゃ孤児院の子達も怖がって近づかないだろう。どちらかと言えば、彼女自身にも問題がある気がするが……。
でも、隣に誰もいないというのは確かに寂しいことだろう。ぼっち慣れしているのならともかく、俺には気がついたら隣に菜沙がいる。彼女と一年間会えなくなったりしたら、それはとても寂しく思う。誰かが隣にいるなら、例え話さなくても、互いの事が理解出来ているのならそれはそれで寂しくはないと思える。
……正直な話。つらつらと言い訳っぽく並べただけだが、彼女が悲しそうな顔をしているのがなんとなく嫌だと思っただけだ。かわいい子に手を差し伸べてしまうのは、男としての性的なものだろう。だから別に変なことじゃない。そう言い聞かせながら、俺は彼女にある提案をした。
「……なら、暇な時にここに来ようか?」
「………え?」
七草さんは、まるで理解出来ていないようで、目を見開いて驚いていた。心做しか右手にかかる握力が強くなった気がするが、それを気にしないようにして菜沙に声をかける。
「別に構わないだろ、菜沙?」
「……はぁ。ひーくんってどうしてこう……」
「菜沙」
「……別にいいよ、私は」
ただしお前今日の晩御飯にピーマン入れるからな、と目で訴えられた。勘弁してください俺食えないんです。それが気のせいであることを祈りつつ、俺は七草さんに確認した。
「な? こいつも良いって言ってるから。それとも、俺達じゃダメかね」
「…………良いの? 本当に?」
「もちろん」
ずっと疑うように俺と菜沙の顔を見ていた七草さんだったが、そう伝えると、彼女は心底嬉しそうに笑ってくれた。それは出会って初めて見た彼女の笑顔だった。
「………っ」
……その笑顔が、とても素敵なもので。彼女の元から良かった可愛さが余計に際立つような純粋な笑顔だった。汚れのない無垢な笑顔。一目見ただけで、俺は息を飲んで一瞬頭から何もかもが抜け落ちた。これが……見惚れる、ということなんだろうか。
いやいや、何を考えている。俺は見惚れた事実を気恥ずかしく思い頭を掻きながら、菜沙に帰ることを提案することにした。これ以上ここにいたら、恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。
「……それじゃ、そろそろ帰ろっか。暗くなっちゃうから」
「そうだな。それじゃあ、またね七草さん」
「……うんっ。またね」
名残惜しそうに手を振っている彼女を背に、俺と菜沙はまた歩き出した。先程から菜沙が握っている手が悲鳴をあげている。
「……そんな不貞腐れるなって」
「別にっ」
「痛いって……」
不貞腐れる菜沙は顔をそっぽに向けて、ひーくんなんて不能になっちゃえばいいとか恐ろしいことを呟いている。なんだってコイツはこんなに機嫌が悪いんだ……。
「ひーくんの今日の夜ご飯はピーマンの肉詰めね」
「……肉を入れてくれるあたりに優しさを感じる」
「だって私が作ったの残さず食べてほしいから」
「はいはい……。ありがとね、我儘に付き合ってくれて」
お礼を言うと、彼女は一度俺の顔を見て、再びそっぽを向いて言った。
「……いいよ。私はひーくんの幼馴染だから」
突き放すような言葉遣いではあったが、その言葉の中には確かに優しさが含まれていた。彼女は俺の手ではなく俺の腕をぎゅっと掴んで歩みを速める。
海沿いをしばらく歩けば住宅街だ。海と陸とを分かつように作られた道路の側面に、波が強く叩きつけられる。波が押し寄せては引いていく音を聞いていると、ポチャンッと跳ねたような音が聞こえた。魚でも跳ねているのかと思ったが……どうにも変だ。薄汚れた海の中に、魚影にしては大きな影がある。ゆらゆらと揺れ動くソレは、ゴミではない。
「……菜沙、アレ見える?」
「どれ?」
「ほら、あの辺の……」
彼女の顔を見るために、少しだけ視線を逸らしてしまった。元に戻した時には、そこにはもう何もいない。菜沙は怪訝な顔をすると、また手を引いて歩き出してしまった。
夕暮れ時だから、きっと見間違いだ。そうに違いない。魚のように首がなく、けれども二股に別れた足のようなものがあったなんて……そんなはずないだろう。
To be continued……
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