春告げの迷い子 第3話

 部屋に荷物を置いた後、ランファは沙南について食堂に下りてきた。

 宿屋はそもそも部屋数が少なく、本業は大通りに面した食堂ということだった。通された食堂には、四人掛けの食卓がいくつも並んでいた。

「沙南さんとランファさん、こっちへどうぞ」

 二人に気付いた明鈴が空いている席へ案内してくれた。

 食事時ということもあり、周りにはちらほらと仕事を終えた男たちが酒や食事をとっていた。しかし客は少なく、煌々と明るい食堂内に活気は感じられない。

 やっぱりみんな元気がないみたい……。ぼんやりとそんなことを考えていたランファは、ばっと天井を見上げた。

「どうした?」

 席についた沙南が不思議そうにランファを見た。

「――明るいですね!」

 同じくらい瞳を輝かせて、ランファが天井から吊られている灯りを指さした。火を焚いているというわけではないらしい。

「ああ、輝光石きこうせきか。見るのは初めてか?」

「はい! 私の里では見たことないです。あれ、輝光石って言うんですか? よく似たものはありましたけど」

 沙南の向かいに腰を下ろして尋ねた。食堂には食卓に一つの輝光石が吊られていた。灯りに誘われて、その周りを虫が飛んでいた。

「確かにここならでは、だな……」

 そう言った沙南はなぜか黙り込んでしまった。ランファは難しい顔をした沙南と、明るく食堂を照らす輝光石とを交互に見て首を傾げた。

「純度の高い輝光石だと本当はもっと明るくなるんですよ。今日はいいお天気だったから、太陽の光に当てていたら、ずいぶん明るくなりましたけどね」

 料理を手にした明鈴がランファ達の食卓にやって来た。運んできた料理を手早く並べていく。湯気を立てているのは炒飯と汁そばだった。

 出汁の香りがランファの鼻腔をくすぐった。小さく腹の虫が鳴る。慌てて腹を押さえたが、明鈴には聞こえてしまったらしい。

「どうぞ、たくさん召し上がってくださいね」

「先に食べていいぞ、ランファ」

「じゃあ、いただきます!」

 渡された箸を受け取って、ランファは早速汁そばを一口すすった。口の中にふんわりと出汁の香りが広がり、温かなそれが全身に行き渡るようだった。

「おいしい……」

 ぽつりと漏れた声に、明鈴が嬉しそうに笑った。

「沙南さんもあたたかい内にどうぞ」

「あぁ、そうさせてもらう」

 しかし沙南は一向に料理に手をつけようとしない。ランファが炒飯を頬張りながら様子を伺うと、ようやく口を開いた。

「確かここの鉱山は、今はもう閉山しているんだったな」

 厨房から戻ってきた明鈴は、その問いかけにしょんぼりとした声で答えた。

「……はい。ちょうど一年前くらいです。トウシュクは昔から輝光石の採れる鉱山の町として、この辺りで一番賑わっていたんですけど」

「トウシュクの輝光石と言えば、どこでも有名だ。だが、近年はその質も落ちていたと聞く」

「沙南さんの言う通りです。ここ数年は大きな輝光石や純度の高い石も採れなくなって、もうあの鉱山も終わりじゃないかってずっと心配されていたんです。でも、そんな時にあの事故が起きてしまって……」

 明鈴が灯りを見上げて目を細めた。

「今じゃこの町でも小さい輝光石が出回るくらいです。昔と違ってトウシュクから他所に出稼ぎに行く人も増えたせいで、町もすっかり寂れてしまって」

「そうか。仕事の途中で引きとめて悪かった、ありがとう」

 表情を柔らかくした沙南はようやく食事に箸をつけた。

「あの、その首飾り、とってもきれいだね」

 大人しく話を聞いていたランファは炒飯を飲み込んでから口を挟んだ。明鈴の首元には、透明感のある黒い石が光っていた。

「あ、これですか。さっき話した純度の高い輝光石を使ったものなんです。本当は小さくても、私たちみたいな平民にはなかなか手が出せないんですけど」

「すごく不思議な色をしているんだね」

「これは鉱夫だった父さんがくれた大切なお守りなんです。いつも私たちを守ってくれますように、って。父さんは……、あの事故に巻き込まれてしまったけれど、まだちゃんと最期を確かめられていないから信じられなくて。こうしてると不思議と近くに感じるんです」

 弱気になりかけた自分を叱咤するように、首飾りを握り締めて明鈴が微笑んだ。明鈴の父は鉱山事故の犠牲者なのだ、と遅れてランファも気づいた。

 厨房から呼ばれた明鈴と入れ替わるように主人が沙南の注文した酒を運んできた。

「あの子の親父さんもそうだが、あの事故は大きな爆発のせいで多くの人間が行方不明のままだ。捜索もそこそこに打ち切られたもんだから、明鈴も死んだことを受け入れられねえのさ。うちで下働きをやってくれるいい子なんだがな。山賊が出るとあっちゃ親父さんを満足に弔ってやることもできん、可哀そうなもんだよ」

「主人一つ聞くが、山賊が出るようになったのは正確にはいつ頃からなんだ?」

「あぁ、そうだな。鉱山事故が起きて、一段落した頃だったかな。奴らは見境なく襲ってくるんで、今じゃこの町の誰も鉱山には近づかなくなっちまったよ」

「だから傭兵を募って、みんなで山賊退治ってことなんですね」

 食事をねだるように足下にすり寄ってきたクルルに饅頭を分けた。

「領主の呂真ろしん様が現状にお心を痛められてな。この町の産業の柱は輝光石だ。街道まで押さえられちゃ、この町はどんどん貧しくなる一方なのさ」

「領主が、ね……」

 切れ長の目を眇めて沙南が呟いた。

 

 宿の二階から見える景色に、うわぁ、と歓声をあげた。眼前に広がる光景は、人が立ち入ることのない山奥の里しか知らないランファにとっては、とても幻想的だった。

 家々の軒先には、輝光石の灯りが吊り下げられていた。まるで夜空に瞬く星が落ちて来て、地上で輝いているようだ。里にも光炉こうろと呼ばれる灯りはあったけれど、せいぜい手元を照らす程度だった。ここの夜はずっと明るい。

 ひとしきり騒いだ後、ランファは窓枠に頬杖をついて夜の町を見下ろしていた。頬を撫でる風はひんやりと冷たい。

「私にはクルルがいるし、沙南さんが助けてくれましたけど、でも明鈴は一人ぼっちなんですね」

「明鈴にもここの主人がいるさ。人も好さそうだ。……父親のことは残念だがな」

 椅子に腰掛けた沙南が肩を竦めた。そうですね、と頷いて窓を閉めると寝台へ移動した。その後をクルルが追って、軽やかに寝台へと上がった。

「輝光石って、ここではなくてはいけないものなんですね」

 夕食をとりながら沙南が教えてくれたことを思い返して口にした。

 輝光石は漆黒の闇のようでいて、太陽のように眩しくもある。その身に闇と光を抱く石――大陸でそう広く知られ、人々に用いられてきた鉱石だという。

 一番の特徴は、それ自身が石炭のように燃え、衝撃を与えることで光と熱を放つことだ。

 燃えない程度の熱を加えれば粉砕しやすく、その粉は少量でも大きな爆発を起こした。時には戦場で武器として使われることもあるそうだ。

 人々の生活に密着した形では、昼間に陽の光を当てると夜には灯りとなった。純度の高いものは宝石として、貴族たちの間では重宝されているのだと教えてもらった。

 沙南が意外に博識なことにも驚いたが、沙南からすれば「これは広く知られていることだ」と、ランファの方が世間知らずになるらしい。

「そういえば、船は出ていたのか?」

 クルルの背を撫でながらうとうとしかけていたところを、はっと意識を戻されて、ランファは頭を振って眠気を追いやった。

「いえ、リヤナ行きの船は昨日出たばかりで、次に出るのは三日後だそうで」

「三日後、また?」

 引っ掛かったことでもあったのか訝しげに沙南が呟いた。

「はい。それに都に出るには一万皇もいるって、おじいさんが……」

 ランファは寝台に力なく項垂れた。

「なんだ、都に行きたいのか?」

「いえ、えっと」

 口ごもっていると、沙南がさらに問いを重ねた。

「そういえば、ランファはどうしてトウシュクに来たんだ?」

「えっと……」

「ランファのような子どもが一人で旅をしているんだ。何か事情があるんだろう?」

 自分を見つめる沙南から、そっと視線を外した。クルルはランファの膝に乗り上げて、撫でられる心地よさに目を細めていた。

 ランファが山深くの里から下りてきた理由。

 ――星が現れた。運命が動き出す。ランファ、お前は自分の使命を果たしなさい。

 大ばば様の厳かな声が耳元で蘇った。里を出る前に与えられた預言だ。しかし、一体どこまで話していいかもわからず、うまく説明できる自信がなくて、ランファは口を噤んだ。部屋に広がる静寂。階下の賑わいがここまで届いてきた。

 困らせるつもりはない、と沙南が言った。

「まあ誰にだって、人に言えない事情の一つや二つはあるだろうが」

 がしがしと長い髪をかきあげ溜息をついた。視線を上げると、困らせてしまったのはこちらも同じらしい。ランファと目が合うと、沙南が険しい表情になった。

「だが、これからも旅を続けるつもりなら、危険には自ら近付かないことだ」

 鋭い視線に貫かれて、ランファは神妙に頷いた。

「じゃあ、もう今日はそのまま休むと良い。疲れてるだろう」

「え、あ、でも寝台は一つしかないし……」

「私はまだ少しやることがある。冷えないようにクルルで暖をとって寝るといい」

 自分が座っている寝台を見下ろした。ギリギリ三人一緒に寝れるかな、と考えてランファは勧められるまま大人しく横になった。いつものようにクルルを抱えて目を閉じる。寝台は固く、布団は薄かったが、それでも疲れた体に眠気はすぐにやって来た。


 その夜、ランファは夢をみた。

 真っ暗な暗闇の中、一人の男がいた。――必ず帰る、と。

 聞いてるこちらの胸を締めつけるような声で何度も何度も繰り返す夢だった。

 はっと目を覚ましたランファは辺りを見回した。男の姿はもちろんない。木戸の隙間からわずかに明かりがもれていた。

 目をこすりながら体を起こすと、椅子に腰掛けたまま目を閉じる沙南の姿があった。

 慌てて自分が占領していた寝台を見下ろすと、まだクルルが伸びて眠っていた。沙南はあのまま寝台をランファとクルルに譲ってくれたらしい。

 起きたらお礼を言わなきゃ、と思いながら、ランファはそっと寝台を下りた。足音を殺して、音を立てないよう木戸を少し開けた。そこに昨夜の幻想的な景色はなかった。

 トウシュクの夜が明けていた。


 それからすぐに目を覚ました沙南と共に朝食をとった。沙南は港の様子を見てから今日にも山賊討伐隊に合流するということだった。

「沙南さんは強いから大丈夫だと思うけど、でも、気をつけてくださいね!」

「ああ、ありがとう。ランファこそ、今日も行く宛がなかったら、この宿においで。あと二日はとってあるから」

 それは洒落にならないな、とランファは引きつった笑みを浮かべた。宿から通りに出ると、沙南に向き合ったランファは深々と一礼した。

「本当にお世話になりました」

「ランファとクルルも今度は気をつけるんだぞ」

「はい!」

 差し出された右手を握った。じゃあな、と沙南はそのまま港へ向かった。

 よし! と拳を握ってランファは気合を入れた。昨日よりずっと元気だ。ゆっくり休めたおかげで体中に力が満ちている気がした。

「今日こそ働き口を見つけて、お金を稼がないと!」

 握りこんだ拳を天高く突きあげて、意気揚々と出発した。

 しかし、もちろん全てがうまくいくはずがなかった。七件目の店に断られたところで、ランファは河岸に来ていた。

「やっぱり簡単にはいかないなぁ。どうしようか……」

 桟橋に腰掛けて足をぶらぶらと揺らす。クルルは隣で陽の光を反射する水面を興味深そうに眺めていた。

「ランファさん?」

 クルルのように唸っていると、岸の方から聞き覚えのある声がした。視線をやると、手を振る明鈴の姿があった。

「明鈴ちゃん!」

 弾かれたように立ち上がると、ランファは明鈴の元へと駆け寄った。

「明鈴ちゃん、お仕事は?」

「今日は夕方からなんです。ランファさんはこんなところで何してるんですか?」

「ええっと、仕事を探して七連敗中というか……。それより明鈴ちゃん、私たちってきっと同い年くらいでしょ? 敬語なんてくすぐったいよ」

 頬をかいて言えば、明鈴がくすくす笑って頷いた。実際はランファより一つ年下の十三歳だった。

「今、トウシュクで仕事を探すのは難しいかもしれないわ。みんな、自分たちが食べていくだけで精一杯だから」

「そうみたいだね。早く山賊が退治されるといいのにね」

「大丈夫よ。今回は大人数って噂だし、今度こそきっとうまくいくわ。ところで、ランファはどうして一人で旅なんてしているの?」

 不思議そうに尋ねられて、ランファは視線を足元に落とした。暖かな陽光を浴びて気持ち良さげなクルルがいた。

「詳しくは言えないっていうか、私にもよくはわからないんだけど、でも、やらなくちゃいけないことがあるの」

 着物をぎゅっを握った。

 使命を果たすためにも、まずは船賃をなんとしなくてはいけない。

「それは、一人で?」

「うん」

「そっか。……あたしは、どうしても父さんは死んだって思えないのよ。まだ生きてるって信じてるの」

 そこでひとつ息をして、明鈴は河へと視線を移した。

「だから、山賊が討伐されたら、あたしこの目で確かめに行くわ」

 明鈴は残酷すぎるほど固い決意を瞳に宿していた。ランファはその手をそっと取った。

「私たち、きっと頑張ろうね!」

 きょとん、としてから、すぐに明鈴は泣きそうな笑顔を浮かべた。

「ええ、かならず!」


     *     *     *


 頬に何か冷たい感触がして、ランファはゆるゆると目を開けた。自分のいる暗闇に目を凝らす。どこか遠くで水滴が落ちる音がした。

「……?」

 ぼうっとしていると、再び頬に水滴が落ちてきた。起き上がろうとしたランファは、体が自由に動かないことに気づいた。

「え、なに、なに?」

 今のランファは恐らく固い地面――洞窟の岩肌の上に転がされていた。首だけで背中を振り返ると、手首が縄で縛られていた。ご丁寧に足まで同様だった。

「えええ!? あれ、ここどこ? クルル、クルルは!?」

 暗闇に素早く慣れた瞳でその姿を探した。少し離れた場所の麻袋が、応えるようにもごもごと動いた。鳴き声も聞こえてくる。どうやら無事のようだ。

 ほっと息をつくと、ランファは混乱する頭で状況を理解しようとした。

少し離れた位置に見える灯りの前には、人が通れそうにない柵が均等に並んでいた。これではまるで檻に閉じ込められたようだ。

 ここはどこだろう? そもそも、どうしてこんなところで縛られてるんだっけ?

 ――お嬢さん、随分見かけないモノを連れているんだね

 河岸で明鈴と別れた後、商人風情の男にクルルのことで話しかけられた。

 男はクルルの毛並みや金色の瞳を何度も称えて、親しげに接してきた。クルルをモノ扱いしたことに引っ掛かりを覚えながらも「これは俺からの奢りだから」とランファは勧められるまま出来立ての饅頭を食べた。その後の記憶がない。気が付いた時にはこの洞窟と思しき場所で転がっていた。

 そこまで思い出して 、ようやく自分は騙されたのだと思い至った。

 さ、沙南さんに怒られる!! 優しそうな人だったから、油断した……!

 見当違いなことで顔を青くさせていると、灯りの奥から足音が響いてきた。音が聞こえてくる方向に苦心して顔を向けた。影が伸びて揺れている。寝たふりをするのが賢いのかどうなのかと考えているうちに、足音の主が輝光石の灯りを持って姿を現した。

 一瞬、それが影なのか人間なのかわからなかった。現れたのは黒の長衣に身を包み、顔も同色の覆面で隠した、影の化身のような人物だった。

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