天狗斬りの乙女

真弓創

孟秋の天狗

 天乃あまの石立いわたて神社の鳥居をくぐるたび、柳生やぎゅう宗厳むねよしは厳粛な思いに包まれる。


 山深くに作られたこの神社に本殿はない。簡素な拝殿のほかは、御神体の巨岩と、寄り添うように大きな岩々が鎮座するのみである。かつて手力雄命たぢからおのみこと天岩戸あまのいわとを引き開けたとき、力余って放り投げた扉石が落ちてきたものだという。柳生一族がこの地に根を下ろすより遥か昔、太古からの祭祀の足跡を遺す社なのだ。


 まだ紅葉も始まっていないのに、ここにはすでに冷気が漂っている。ひと気のない神社の境内で一人稽古を行うのが宗厳の日課だった。


 じき齢五十に達しようという宗厳だが、筋骨に弛みはなく、磨き上げた太刀筋にも衰えは見えない。淀みなく、揺るぎなく、新陰流しんかげりゅうの型に沿って袋竹刀を振るう姿はまさに達人の貫禄である。


 その竹刀が空中で静止して、ゆらりと垂れ下がった。


 宗厳は、己に向かって歩み寄る人影に目を凝らした。鳥の翼らしきものを背に広げており、赤ら顔をひどく歪ませ、長い鼻は威嚇するように突き出ている。そして、手には抜き身の真剣を携えていた。


「天狗が、このわしに何用かな」


 答えず、無言で構える天狗。その構えと足運びを見て、宗厳もまた口を結んで構えた。肌を刺すような殺気が天狗の剣からほとばしっていた。


 先に仕掛けたのは天狗だった。跳ねるように間合いを詰め、宗厳の正眼の構えをくぐり抜けるようにして袈裟斬りを浴びせかける。その斬撃は鋭くはやい。袋竹刀では受け止められないだろう。だが宗厳は右足と左足の前後を入れ替え、体の向きを変えただけで斬撃をかわしてしまった。前に出した左足は、そのまま相手の懐に踏み込む一足となっている。宗厳の竹刀が小手を打った。思わずのけぞった天狗の首元に、竹刀の切っ先が滑り込む。そのまま喉を突き破るかに見えた宗厳の突きは、顎先で軌道を変え、弧を描いて手元に戻っていった。


 やや遅れて、竹刀によって跳ね上げられた天狗の面が地上に落ちた。


「参りました!」


 深々と平伏したのは、宗厳の教え子、明音あかねだった。かがんだ勢いで、後ろに結わえて隠していた長い黒髪がばさりと背中に広がる。


「稽古ならいつでもつけてやるとは言ったが、真剣で挑んでくるとは何事か。少しは遠慮せい」

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