第28幕 犯人はおまえだ


「どうして……?」


 ラ・ジュテ計画が成功すれば、世界はよくなる。

 約80億の命が生まれ、ディオムグアや機動都市モビルコロニーの耐用限界に怯えることなく暮らしていける。

 それを邪魔する理由があるのか?


「だからおまえはダメなんだよ、零次。考えてみろ。最初に歴史を書き換えた誰かが、こんな世界、望んで作ったと思ってるのか?」

「いや……」

「歴史を変えた結果がどうなるかなんて、誰にも予想がつけられない。あれだ、チョウチョがバタバタしてどうこう……なんだっけ? まあいいや。とにかくだ、歴史を元に戻したつもりで、また別の歴史を作り出すだけかもしれねえ。それが今よりひどいものじゃねえって、誰が保証できるんだよ?」

「それを公儀探偵が言ってたわけ?」

「そーだよ、受け売りだそうだよ。けどな、間違っちゃいないだろ?」

「良くなる保証もなければ、悪くなる保証もない」


 零次がそう返すと、マルヤは意外そうな顔をした。


「どうしたの?」

「いや。おまえなら、悪くなるほうに賭けると思ってたんだけど」

「……そうだね。ぼくはマルヤこそ、良くなるほうに賭ける典型だと思ってたよ」


 見通しの悪い問題に対し、ポジティブな答えを期待するか、あるいはネガティブな結果を予想するか。

 それは個人がどちらにもっともらしさを感じるかということに過ぎず、楽観的に考えるほうが素晴らしいとか、悲観的なら現実的に物事が見えている、というわけではない。


 どちらに現実味を感じるかでいえば、確かに悲観的な解を想定するほうが自分らしい、と零次は思う。


「呑気に考えてるなよ? 歴史が変わったら、この時代に残るおまえにだって変化の影響を受ける。誰も他人事じゃ済まない」

「そうだね」

「けど銀兎会は自分たちの勝手で全体に大影響を与えるヤマをやろうとしてる。これはよくねえことだ」

「だったらやるべきは、銀兎会の目的を一般に知らしめ、そのうえでその是非を大衆に問うべきだと思うんだ。銀兎会もそれを望んでいると思うよ。なのになんで『潰す』前提で行くの?」

「…………」

「今夜にも、ってことは、もう鎮圧部隊は動きはじめてる。早く羅磐さんに伝えないと」

「いや、待てよ、待てって零次。ステイ! ……待てや!」


 マルヤは零次の手をつかんで引き留める。


「オレは探偵の味方をする」

「なんで?」

「なんでってオイ、そりゃこっちの台詞だ。普通こういうとき、公権力の味方をするのが正しい市民の在り方だろ」

「そりゃこっちの台詞だって、それこそこっちの台詞だよ。なに違法探索者のくせに突然良識人ぶってるの?」

「あー、まあ、なんだ。オレも大人になろうかなって」

「嘘だ」


 零次はマルヤの手を振り払い、距離を取った。


「……『協力すれば忍法帖ニンジャ・グリモアをくれてやる』とでも言われたんじゃないの」


 マルヤは視線を川に泳がせた。


「やっぱり」

「ああそうだよ、悪いかよ! どっかの誰かさんは、持ってても・・・・・くれねえからよぉ!」

「なにを言って――」

「おまえ、忍法帖、2つ持ってんだろ!」

「…………!」


 零次の手は無意識に心臓を押さえる。


「探偵から聞いたよ。シジル・コード以外にも、忍法帖を手に入れる手段がある。それは忍者から直接奪うことだ。おまえの、電夢境から現実空間に武器を引っ張ってくる秘伝忍法は、マリウスのじゃない。ライムって忍者のマギアプリだ。そうなんだろ?」

「なんで……それを……?」

「そして、ライムってのは……りん姉のコードネームだ」

「…………っ」

「奪えるのは生きている間だけ。死んだ奴のワイズチップにはアクセスできねえからな。つまりあのとき、おまえが駆けつけた時点で、りん姉はまだ生きてたんだ」


 りんの死に立ち会い、忍法帖を託された――そうであれば、マルヤに隠すことはない。

 しかし零次は黙っていた。りんが目の前で死んだことも、忍法帖をもらったことも。


 つまり――。


 マルヤは零次に指を突きつけ、言った。


「――おまえが、りん姉を殺したんだ」


 零次は、反論しない。

 なぜなら――マルヤの指摘は、真実だったから。


「……そうだ。おりんさんを殺したのは、ぼくだ」


 マルヤが飛びかかってきた。零次は為す術なく押し倒される。

 馬乗りになったマルヤの指が、零次の首を締め上げる。


「おめえは忍法帖欲しさに、りん姉を殺した! でもってオレを、ずっと、騙して!」

「ち、違う……。そうじゃ……なくて……!」


 零次はそこで、視界の端に矢鶴を見つけた。


 血相を変えてこっちに駆け寄ってくる、そんな彼女の背後に、零次は巨大な影を見た。

 ぼくは大丈夫。そう言おうとした。早く逃げて、と。

 だが絞めつけられた喉からは、かすれるような吐息しか出てこない。


 マギアプリまで使ってマルヤを引き剥がしたときには遅かった。


 ロードローラーの巨大な鉄円柱が、女の華奢な肢体を押し潰す。

 小枝を踏み折るほどの抵抗もなかった。

 ぶちゅ、ゴリ、ばり――。禍々しい音を立て、重機はローラーの下の赤とピンクを地に塗り込めるように往復し、そして動きを止めた。


 零次は、すぐ手前の地面にまで散った血の花をぼんやりと眺める。

 こういうときは、驚いたり泣き叫んだりするものと思っていた。

 だが実際は、『虚無』だ。

 胸にも頭にも、なにもわきあがっていてこない。

 いや、なにもわき上がらせたくない。

 考えたくない。

 現実を追認することを、本能が拒絶している。


 悲鳴が聞こえた。

 零次の――いや、スティナだ。

 矢鶴から少し遅れて出てきたスティナ。けれど助かったとは言いがたい。ロードローラーは彼女に向けて方向転換する。


(呆けている場合ではない! 零次君!)

「…………」

(彼女まで失うつもりか!)


 失う、という単語が心に波紋を起こした。

 なんてひどい言葉だろう。なにももっていない自分から、更に取り上げようとするなんて。

 誰が。


 なにが起きているかは想像がつく。

 ボフリーだ。彼は重機にインプットされた建築プログラムに紛れ込み、零次に気づかれることなくアーミッシュ区内に潜入。そして外部カメラが矢鶴の姿を捕らえた瞬間、一気に襲いかかった。


 そして今度はスティナを襲おうとしている。


「行くな、零次」

 

 ロードローラーの電夢境に飛び込もうとしたとき、マルヤの声が零次の背中に振った。

 明確な道を示してくれるマルヤの声を、零次はこれまでずっと快いものと認識していた。

 今はたまらなく耳障りだ。


「これが最後のチャンスだ。スティナは見捨てろ。そうすりゃ、りん姉のことは許してやる」

「…………」

「2人で銀兎会を潰そう。そしたらオレは探偵から忍法帖を手に入れられる。でもって少年公儀探偵団として、この街でのし上がってくんだ。悪い話じゃないだろ」


 涙目で必死に走る幼女の後を、ロードローラーがいたぶるように追いかける。


「あいつらには死んでもらうしかねえ。マロウドがいなくなりゃ、羅磐はどうすることもできなくなるからな」

「……マルヤ」

「なんだよ、あのオバサン殺されたのが許せねえってか! オレからりん姉を奪ったおまえが言えることかよ!」

「ぼくがどうして、おりんさんを殺したことを黙ってたと思う?」

「は? そりゃ、バレるのが怖くて――」

「――おりんさんは、君を殺すつもりだったからだ」


 零次は、ロードローラーの電夢境に飛んだ。

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