第22幕 対決、電脳臓物摩天楼


 電夢境の夜空にも月はある。

 ただしそれは白く輝く髑髏どくろだ。虚ろな眼窩がんかを地上に向け、嘲笑うようにあぎとを開いている。


 その前を小さな影が横切った。二等辺三角形のそれは、漆黒のハンググライダー。

 操るは、赤いマスクと黒いロングコートの零次――いや、怪盗マリウス。


(いるな。あの赤い忍者のすかした臭いがプンプンする)


 高層ビルを睨んで、伯爵が言った。

 頭蓋骨が積み上げられてできた、百階建てビル。その足元をスパゲッティめいて取り囲むのは、人の皮と骨で作られたハイウェイだ。

 

 ぐねぐねと奇怪に曲がりくねった路面を、人体を歪めて造られた、車に似たモノが走り回る。

 「ぶうんぶうん」とエンジン音を真似て歌う、バンパーに並べられた生首たち。

 車体後部から伸びた大腸からは、耐えず糞の臭いが噴き出していた。


「まだ信じられない。自動運転車交通管制クナドシステムが乗っ取られるなんて」


 最初、零次はトラック単体が操られ暴走させられているのだと判断した。

 だが侵入してみてわかった。トラックは正常に動いている。都市交通課から送信される道路情報が間違っているだけだ。


「クナドはこの都市最高峰のセキュリティで守られてるんですよ」

(ということは、奴は我々以上の夢見忍ということになるな。だがそのほうがまだマシか)

「え?」


 そこでハンググライダーはガクンと傾いた。

 叩きつけるような下降気流。

 高層ビルの屋上に降りるはずのグライダーは真っ逆さまに落下する。

 目の前を流れるガラスばりの壁面は、無数の眼球が寄り集まってできたものだった。まばたきして怪盗を見送る。


「ちっ!」


 マリウスはグライダーのバーを操作、ビルに向かって体当たりした。

 壁に穴が空く。ガラスが散る代わりに、血の涙がどぷりと吐き出される。

 突入の勢いのまま、ハングライダーは広いオフィスを滑った。人骨デスクや書類棚が薙ぎ倒されていく。


 慌ただしい足音が怪盗の鼓膜を震わせた。

 警備員姿の骸骨が、アサルトライフルを手に雪崩れ込んでくる。

 マリウスがハンググライダーの陰に身を隠すのと、さっきまで立っていた床にライフル弾が穴を穿つのは同時だった。


『ようこそ、怪盗君』


 天井近くにあるスピーカーから男の声がした。

 囁きに似て、しかしよく通る声。


「公共交通システムに負担をかけるような真似はやめて、普通に勝負しませんか?」

『僕は最上階のVIPルームにいる。上がってくるがいい。それができれば、敵として認めてあげよう』

「おい――」


 骸骨警備員からの容赦ない銃撃。

 グライダーの皮膜には防弾・防刃加工が施されていたが、それも長くはもちそうにない。


 怪盗はグライダーの後ろから飛び出した。


(零次君? そっちは!)

「わかっています!」


 いかにもこちら側へ誘導したいという思惑が透けて見えるような、包囲網の薄い箇所。

 マリウスはあえてそちらに突っ込んだ。


 襲い来る無数の弾丸。怪盗は蛇腹鞭をヘリのローターめいて振り回し、盾とした。

 高速回転する刀身が飛来する凶弾をすべて弾き飛ばす。


 怪盗は指を鳴らした。

 その瞬間、ハンググライダーが爆発。

 しかけられていた爆弾による火球フレアがフロアを呑み込んだ。


 迫る炎を背に怪盗は走る。前方から迫ってくる警備員を斬り倒し、小部屋に飛び込む。

 閉じたドアが業火を受け止め、わずかに軋んだ。


「……くっ」


 マリウスは大きく息を吐いた。

 視界がぐらつく。脳が沸騰しそうだ。

 電夢境に入ってから、体感時間でまだ3分と経っていないのに。


 周囲を見回す。

 会議室のようだった。

 片側一面がガラス窓になった狭い肉部屋に、骨製の長机が楕円を描くように配置されている。

 その中央には脳味噌がひとつ、宙に浮かんでいた。


『お見事、よく包囲網を抜け出した』


 またもやスピーカーから敵の声。

 電夢境に入ったのは向こうが先のはずなのに、その声には余裕が滲み出ている。


『だが残念なお知らせが2つある』

「聞きたくありません」

『1、あの程度の戦力はすぐに補充できる。

 2、こちら側は行き止まりで、階段やエレベーターはない。つまり上には行けない。

 またスタート地点からやり直しだね。爆弾はまだあるのかな?』

「――いいえ、こっちで合っています」

『なに……?』

「クナド・システムは、複数の電算式神がエリアごとに分担し管理している」

『それがどうした』

「1区画ぶんの交通網を操るだけなら、わざわざ最上階の中枢電算式神を制圧しなくとも、電算式神を1つ支配すればいい――」


 マリウスは長机をまたぎ越え、浮かぶ脳に近づいた。

 黒い革手袋に包まれた怪盗の手が、子供の頭を撫でるように脳髄の上を這う。


「――今から、この導力脳ブレネーターをハッキングします。止められるものなら、止めてみてください」

『なに……?』

「行きますよ。いいですか?」


 導力脳と怪盗の指の間で、静電気に似た抵抗が起きた。

 それを意に介したふうもなく、マリウスはピンク色の塊に指を押し込み、持ち上げる。

 制圧完了。


「――他愛もない」

『…………!』

「これはよかった。24丁目、華族の住宅街だ。もしこのエリアに存在する車がすべて暴走したら、どうなるでしょうね?」

『君が大事故を引き起こしたとして、僕がそれを気にする必要があるのかな?』

「さっきのでわかった。夢見忍としての腕前はあなたよりぼくのほうが上だ。あなたに都市交通課の電算式神を丸ごと掌握できたとは思えない。であれば、こう考えられます。あなたはここをハッキングしたのではなく、正当な許可を得て使わせてもらっているのだと」

『…………』


 それこそ伯爵が危惧した事態だ。

 赤い忍者の背後には、この都市で大きな権力を握る存在がついている。


「だからこそ、ぼくがこのエリアのクナド・システムを暴走させ、大きな事故を引き起こしたとしたら? それをみすみす許したあなたに、あなたの後ろについている人間はどういう評価を下すでしょうね?」

『ハッタリだ。できるわけがない』

「おや。これから死ぬかもしれない違法探索者ハンザイシャの倫理観に、ずいぶんと期待されてるようですが」


 スピーカーから歯ぎしりが聞こえた。


「ぼくの親友が昔言いました。『認めてもらうのは奴らのほう、その逆はありえない』と。さあ、認めてあげますから、そっちから降りてきてください。主人ホストなら客をちゃんと出迎えてもらいましょう。さもなくば――」


 ガラス窓を突き破って、なにか大きなモノが飛び込んできた。

 人の姿をしていると見えた刹那、床に着地したそれはまっすぐ突っ込んできた。

 丸太のような足が怪盗の腹にめり込む。

 全身に亀裂が走ったような衝撃。

 襲撃者の回し蹴りが、怪盗を壁に叩きつける。


「不意打、失礼」


 赤い忍者装束。金の兜。

 忍者ボフリーここにあり。


「さあ、降りてきてあげたよ」

「……それはどうも」


 マリウスは壁を背で磨くようにして立ち上がった。


「君は本当に驚かせてくれる、袴田君」


 声に憎らしいまでの余裕を滲ませて、ボフリーは左手を掲げる。

 そこには、先程までマリウスが人質にしていた脳髄があった。

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