第306話 俺は氷をもらいたい

「華奈、氷水の入った袋を用意して差し上げて」

「はい!すぐに持ってきます!」

 そう言って中居さんが元気よく飛び出して行った後、フロント横の扉から入った6畳程の部屋は、俺と真理亜さんの2人きりになった。

「…………」

「…………」

 ちょ、ちょっとだけ気まずい。エミリーのこともあるからだろうか。昔馴染みの母親だと思うと、女将さんとは少し違う見え方がする。

「そう言えば……」

「な、なんですか?」

 先に口を開いたのは真理亜さんだった。彼女は名簿みたいなものに書き込んでいた手を休めると、正座のまま顔だけをこちらに向ける。

「静香のことですが、聞きたいことがあるのです」

「エミリーのこと……ですか?それなら真理亜さんの方がよく知ってると思いますけど」

 俺がそう言うと、彼女は苦笑いしながらゆっくりと首を横に振った。

「お恥ずかしい話ですが、私はここの経営をしていますゆえ、娘とは離れて暮らしています。なので、あの子の学校での様子などは全く……」

「ああ、確かに……」

 エミリーの話では、数年前からここを切り盛りしてるんだっけ?となると、別れて暮らし始めたのも同じ時期だろう。

 それなら、中学生から今にかけての学校でのエミリーについては何も知らない可能性が大きいな。

「せっかくの機会だから、仲良くしてくれている碧斗君に聞いておきたいと思ったの」

 そう言って柔らかい笑みを見せた真理亜さんは、声からも表情からも、女将さんではなく母親としてのオーラを感じられた。

 それに釣られて、俺も自然と肩の力が抜ける。昔馴染みの母親……そう遥けさのある存在でもないのかもしれない。

「いいですよ、なんでも聞いてください」

「あら、今何でもするって――――――――」

「そこまでは言ってないです」

 残念そうな顔をする真理亜さんに、どことなく咲子さんの姿が重なる。うん、やっぱり母親は母親だな。

「エミリーのことなら何でも。それ以外は場合によります」

 おかしな事を聞かれないようにするためにも、あらかじめ柵は立てておいた。落石があってから落石注意の看板を立てても遅い。早め早めが危機管理の鉄則なのだ。

「そうねぇ……なら、あの子の交友関係について聞かせてもらえる?」

「交友関係ですか、それは―――――――――」

 俺は真理亜さんに、早苗や笹倉のことを話した。学校でエミリーが仲良くしてたのって、あの二人以外は特に思い浮かばなかったし。

 もちろん、ストレートにそんなことは言えないから、『特に仲がいいのは……』と言葉は濁しておいたけど。

「なら、仲のいい男の子はいないのね?」

「まあ、一言二言話したりはするでしょうけど、友達と言えるほどの相手は見たことないですね」

 一瞬、千鶴は……と思ったが、彼のことはカウントしない方がいいだろう。説明するのも時間がかかるし。

「なるほど……男友達は居ないのね……」

 俺の言葉に対して、真理亜さんは深刻そうな表情で何度か頷いた。やっぱり、娘に男っ気がないのは親として心配なのだろうか。

 エミリーは中身はとてもいい子ではあるし、見た目と語尾の『ですわ』を除けば、どこにでもいる普通の女の子だ。

 しかし、だからといって易々と告白したりできない理由が他にあると思う。これは俺の存在抜きにしても、きっと中学の時からいくらかの男子は口にしていたであろう言葉―――――――――――。


『あいつの父さん、ギャングらしいぜ?』


 そう、父親がギャングだと知れば、そこらの男子が興味本位で声をかけられるはずがない。その行為はすなわち、自ら危険な領域へ踏み込むことを意味するのだから。

 俺は仁さんが悪い人でないことを知っているから平気だが、そうでなければエミリーの隣にいるだけでビクビクしていたことだろう。

 まあ、考えてみれば今も昔も、エミリーの周りとは違うという『浮いてる感』に尻込みせずについていけたのは、俺たちしかいなかったって訳だ。ある意味、奇跡だな。

「男友達がいないってことは……彼氏もいないってことよね」

「まあ、そうなりますね」

 世の中には、友達がいないのに彼氏がいるという女子も存在すると聞くが、そちらはきっとごく少数だろう。

 そもそも、友達ゼロなのに彼氏ができるのは、超絶美少女か世界を敵に回した奴かの2択だと思う。後者も多分美少女だろうけど。

 エミリーは俺に告白してくれたわけだし、ここには当てはまらないと考えていいんじゃないだろうか。

「そうよね、彼氏いないのよね……」

「真理亜さん、なんかホッとしてません?」

 ボソボソと『いないのよね』を繰り返す彼女の表情からは、どことなく安堵のようなものを読み取れた。

 娘に彼氏がいないことを喜ぶなんて、ひとつ間違えたらパンチされちまうぞ。

「娘が悪い男に引っかかって、ピンクのホテルに連れ込まれたりしてないか心配していたんだもの」

「いや、まあ……無くはないですけど。そうならないために俺がお世話係を任された訳ですし……」

「そうよね、碧斗君がついてくれてるなら大丈夫よね」

 真理亜さんは自分に言い聞かせるようにそう言うと、「でも……」と声のトーンを少し下げつつ言葉を続ける。

「でも、もし碧斗君が手を出したら?守ってくれる人がいないと、抵抗する力のない静香はあっさりと穢されちゃうわ」

「自分の娘に対して、穢されるなんて言葉使わないでくださいよ……てか、俺はそんなことしませんから」

 断言して見せるものの、真理亜さんは疑いの目を向けながら「どうかしら」と呟いた。

「碧斗君も男の子だものね。昔より大人になったあの子に、何も思わない訳では無いでしょう?」

 確認するような声と目に、思わず視線を逸らしてしまう。

 確かにエミリーは魅力的になった。俺だって、完全に異性として意識していないわけじゃない。お嬢様口調の時はいいが、2人きりの時に昔の話し方へ戻されると、心にくるものがあるというか……。

「……ふふっ」

 たじろぐ俺を見て、真理亜さんはまるで小動物でも愛でるような目でこちらを見つめながら笑いを零した。

「私、静香は碧斗君にもらってほしいのよ。あの子のことを全部受け入れてくれる男の子なんて、あなたしか居ないもの」

「なっ……もらうだなんてそんな……真理亜さんとは昨日会ったばかりですよ?俺の事なんて何も……」

「私は知らなくても静香は知ってるわ。あの子にあんな表情をさせるんだもの、素敵な人なんでしょうね」

 試すような視線や口調はいつの間にか優しく包み込むようなものに変わっていて、つい受け入れてしまいたくなる。

 でも、俺はそうする訳にはいかないんだ。

「真理亜さんがなんと言おうと、エミリーの気持ちは友達としてのものですよ。恋愛感情じゃありません」

「何を言ってるの?一緒になりたいと望んでいるからこそ、あの子は肝試しの時に告白したんでしょう?」

「し、知ってたんですか……」

 真理亜さんはエミリーの告白について知らないのだと思い込んでいた。だって、ここに来てからの一言目でそれについての質問をされなかったから。

 そうか、エミリーはこういうことも親に話すタイプだったのか……。

「もちろんよ。静香の服の裏に盗聴器を仕掛けていたの」

「いや、最低だな?!」

 いくら気がかりだからって、法に抵触しそうなことをやるのはやめて欲しい。こんなこと言われたら、これからも盗聴されていないか気にしながら接さないといけなくなりそうだから。

「娘の幸せのためなら手段は選べないわ!」

「くっ……完全に否定できない……」

 ますます咲子さんと重なるな。やっぱり、少し頼りない娘を持つと、こういうある意味たくましい母親になるのだろうか。

「とにかく、私は碧斗君が静香の初めてを貰う権利をあげます!」

 バンッと机を叩きながら、そう宣言する真理亜さん。俺も『内容変わってるじゃねぇか!』と言い返そうと思った矢先、部屋の扉が勢いよく開かれて、巨体が踏み込んできた。

「私からも頼もう。あの子と結婚してやってくれないか?」

「仁さんまで!?てか、いつから聞いてたんですか!」

「『冷やすための氷貰えませんか?』辺りからだな」

「一言目じゃねぇか!」

 俺が気まずそうにしている間も、真理亜さんと会話している時も、ずっとフロント横の扉前で聞き耳立ててたってことだろ?不審者じゃねぇか!

「両親から許しが出ていて、本人も望んでいる状態……それでも碧斗君は断るの?」

 真理亜さんに詰め寄られ、一瞬顔が引きつってしまうが、ここで気圧されてはいけない。俺は表情筋をしっかりと引き締め治してから答えた。

「断ります、俺には他に好きな人がいるので」

「……そう、なら仕方ないわ」

「ああ、仕方ないな」

 意外にもあっさりと引き下がる2人。こういう場合は何言っても聞いて貰えないと思っていたんだが、そこは大人なだけあるな。

 ……でも、何やらコソコソと二人で話している。そっと音を感じることに意識を集中させてみれば、小さいながらにも内容が聞こえてきた。


「寝てる間に惚れ薬でも飲ませてあげましょうか」

「ああ、起きた時に静香がいれば、刷り込みの要領で落ちるかもしれん」

「私があなたを落とした時も、同じ手を使ったのよ?きっと上手くいくわ」

「そうだったのか?どうりであの日から真理亜の事が愛おしくてたまらなかったんだな」

「もぅ、あなたったら。薬の効果はとっくに切れてるわよ?」

「じゃあ、これは私の本当の気持ちってことになるのか?はっはっは!」

「もぉ〜、そんな所も……好き♡」

「私も愛してるよ、真理亜」


「…………」

―――――――――――前言撤回、全くもって大人じゃなかった。やろうとしてる事が姑息すぎる。てか、勝手に自分たちの世界に入らないでもらいたい。この空気、とてつもなく居心地が悪いから。

「とにかく、俺は自分の恋に真っ直ぐ生きますから!」

 この辺りで話を終わらせてしまおうとそう声を上げると同時に、部屋へ中居さんが飛び込んでくる。片手に握られているのは氷水の入った袋だ。

「お待たせしました!氷水です!」

「ありがとうございます」

 礼を言いながら受け取り、そのまま部屋を出ようとすると、直前で真理亜さんに呼び止められた。

 どうせエミリーのことだろう。寝込みに惚れ薬とか言ってるくらいだから、娘の為なら嫌がられる程しつこくなるくらいは余裕でしてきそうだもんな。

 俺が「なんですか……」とため息をつきながら振り返ると、真理亜さんはやけに改まったように背筋を伸ばしながら、右手の平をゆっくりと差し出した。

「氷水、20円になります」

「金取るのかよ!」


 この後、めちゃくちゃ急いでお金を取りに戻った。

 結城から「この時間、何してたんですか……」と呆れられたのは言うまでもない。

 俺のせいじゃないんだ、俺も被害者なんだよ……。

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