第185話 幼馴染ちゃんは『ゆゆ』を演じたい

 ゆゆは潤んだ瞳でまりを見つめると、パジャマのズボンを握り締めながら、絞り出すような声で言った。

「……違う、すき」

「それは友達としてだよね。私はそうじゃなくて―――――――――」

 ゆゆは気を遣ってくれている。そう感じたまりは、目を逸らしながら自ら距離を取ろうとしてしまった。しかし、逆にゆゆは物理的な距離を縮める。

「私だってそうだよ!」

 まりの両肩を掴み、見下ろすような体勢でそう声を上げた。

「私も好きなの!まりのことが、大好きなのっ!」

「ゆゆ……でも、最近私の事を避けて……」

「そ、それは……」

 まりの言葉に、ゆゆは体重をかけていた姿勢を引っ込め、申し訳なさそうに肩をすくめる。

「私、まりが私のことを好きになってくれて嬉しかった。でも、女の子同士だし、そんなのみんな許してくれない。なら、そんな気持ち知らないことにしてさようならしちゃえばって……」

 あの素っ気なさも冷たさも、感じた寂しささえもが全て自分のためだった。そう知ったまりの目からは、思わず一粒の涙がこぼれ落ちる。

「ゆゆのバカ……」

 まりはそう呟くと、勢いよくゆゆに抱きついた。そしてそのまま、押し倒す形で床に倒れ込む。




 ……あれ?


 控え場所のテレビで演技を見ていた俺は、ふと違和感を感じた。押し倒された『ゆゆ』、もとい早苗の表情が演技の内容にあっていない気がするのだ。

 どこか焦ったような、血の気の引いた表情。舞台が暗くされているため分かりづらいが、何故かそんな気がした。

 先程まで完全に『ゆゆ』に入り込んでいた早苗が、もしも本当に青ざめているのだとしたら、これってもしかして――――――――――――。

『好きならもっと早く好きって言って欲しかった』

『まり』役の栗田さんはそう言うと、ゆっくりと顔を下げていく。その先にはもちろん押し倒された早苗の顔があって……。

『ま、待って、栗田さん……そんなの台本には……!』

 早苗は焦りすぎて、もはや本名を呼んでしまっている。てか、やっぱりあれは台本に無い演技なんだな。練習したならともかく、全く知らないことが早苗にできるはずがない。

 ここで1番恐ろしいのは、栗田さんが早苗に対して意味深な発言をしていたことだ。

 早苗があそこまで焦っているのはやはり、『小森さんは気をつけた方がいい』という一言が頭に残っているからだろう。

 もしもこれが演技ではなく、栗田さんの本心から来る行動だとしたら、逃げ出せない舞台という名の檻の中で、早苗は抵抗も出来ずにその唇を……。


 チュッ。


 小さくもハッキリとした音が会場に響いた。

「……早苗」

 お前の初めてのキスが望まないものだなんて……栗田さんには悪いが気の毒としか言いようがない。帰ってきたら精一杯励ましてやろう。

 そう思った瞬間だった。


『2人はそれから幸せに暮らしましたとさ』という石橋さんのナレーションで演劇は締めくくられ、用意されていたカーテンが自動で閉じた。次に出てくるのが、普通の参加者とは違うからだろう。

 控え場所には、にんまり顔の栗田さんが先に戻ってき、早苗は動けなかったため、スタッフさんに担架に乗せられて帰ってきた。

「大丈夫か……?」

「……」

 声をかけても、彼女は明後日の方向を見つめてぐったりとしたまま。ここまで元気の無い彼女は、何気に初めて見るかもしれない。テスト後でももう少し元気だもんな。

「…………された」

 早苗が何かを呟き、俺はそれをよく聞こうとその口元に耳を寄せる。

「……ちゅーされた」

「あ、ああ、見てたぞ。やっぱり本当にされてたんだな……」

 テレビに映っているカメラの画角では、栗田さんの頭に隠れてよく見えなかったのだ。音が聞こえたから、されたものだと判断したのだが……。

 少しずつ感情を取り戻してきた早苗は、先程の光景を思い出したのか、うるうると目に涙を溜めた。

「私、ほっぺにちゅーされた……」

「そうだよな、チュッて音が聞こえて―――――――――って、ほっぺ!?」

 思っていたのと違ったことに、思わず声が大きくなってしまう。唇だと思っていたのに、まさかのほっぺ。

 ……あれ、俺、今ほっとしたのか?

 たじろぐ俺の姿に、早苗は口元を緩めた。そして起き上がると、自分の唇をちょんちょんと人差し指でつつく。

「ファーストはまだだよ?」

 その子供っぽい笑顔と大人なセリフのコントラストに、俺の心臓は不覚にも反応してしまう。俺はそれを隠すため、わざと顔をしかめた。

「お前、立ち直るの早すぎだろ」

「話を逸らそうとしてる?」

「ぐっ……」

 さすが幼馴染、俺の内心を的確に見抜いてくる。いや、俺がわかりやすすぎるだけか?

「大丈夫だよ、焦らなくてもあおくん以外の人にあげる気ないもん。私のファーストは全部ね♪」

 彼女はそう言って艶めかしい表情で俺に詰め寄る。そして、その小さな背をめいっぱいに伸ばし、俺の肩を掴んで口を耳元に近づけた。

「なんなら、今からここで奪ってくれても――――――――――ぶへっ!?」

 と、不意に早苗の体が後ろに倒れる。早苗にばかり注意がいっていて気付かなかったが、笹倉が俺の後ろから割れた板の欠片を投げつけたらしい。

 ちょっと尖ってるし、当たり方が悪かったらやばかったな……。

「な、なにするのっ!」

 よろけて尻もちをついた早苗は、笹倉に対して猛抗議する。だが、笹倉は全く怯むことなく、足音を立てながら早苗に歩み寄ると、胸ぐらを掴んで引き寄せた。

 顔と顔の距離はほぼゼロ。おでこが触れ合う程の距離で、笹倉は早苗に鋭い視線を向けた。

「小森さん、何度も言わせないでもらえるかしら。私の彼氏とイチャつくな」

 もはや命令形。俺が今日、早苗ばかり心配しているからか、いつもより笹倉のイライラゲージが溜まりやすくなっていたらしい。

「で、でも……私だってあおくんのこと……」

「口答えするなら、あなたのファーストは全部私が奪ってもいいのよ?」

「……へ?」

 言っていることはぶっ飛んでいるが、笹倉の目は本気だ。『世の中には同性ならノーカン』という言葉があるが、やっぱり3秒以内ならセーフとは訳が違う。

 特にファーストなんかだと、何事においても記憶にこびりついて離れてくれないだろう。口ではノーカンと言っても、結局忘れられないのだ。

「あおくんに奪わせるくらいなら、私が全部奪ってあげる。そうすればあなたのファーストは無くなって、なんの意味もないセカンドになるのよ」

 まるで悪役のように悪い笑みを浮かべる笹倉。これにはさすがに俺も動かざるを得なかった。

 断じて早苗のファーストが欲しいとかでは無いし、セカンドに意味が無いとも全く思っていないのだが、笹倉が口にしているそれは、あまりにも残酷すぎる。

 早苗の相手が例え俺でなかったとしても、永遠に残るようなそういう部分は、笑顔で思い出せるものになって欲しい。

 だから俺は、2人の元へと足を踏み出し……。

「おわっ!?」

 いや、踏み外した。普段曲がることの無い方向に足首が曲がり、俺の体はそのまま倒れ込む。

 慌てて手を着こうとするも間に合わず、俺は顔から床に―――――――――――はぶつからなかった。

 なにか柔らかいものに受け止められ、助かったと安堵した直後、俺は頭から血の気が引くのを感じた。

 柔らかいものの正体は、笹倉の胸だったからだ。

「こ、これは、その、そうじゃなくて……」

 慌てていいわけをしようとするが、上手く言葉が出てこない。

「碧斗くん……そういうことがしたいなら、人がいないところにしてもらえる?」

「人がいないところならいいのかよ!?」

 いや、良くねぇよ?てか、そういうつもりじゃないんだって……。

 俺の首に腕を回し、離すまいと胸に押付けようとする笹倉を必死の抵抗で引き離す。だが、力を入れすぎたせいで、離れた瞬間に俺の体も後ろによろけ、また転んでしまった。

 今度は本当に頭から床に倒れ、鼻の頭から痛みが電気のように伝わってくる。折れたんじゃないかと怖くなるほど痛む鼻。その反面、手だけはやたらと幸せな感触を感じていた。

「……あっ」

 俺は顔を上げずとも察してしまった。俺が今触れてるものって、まさか……!

「ファースト……タッチ……?」

 照れたように呟いた早苗の言葉に、俺は心の中で絶叫した。



 その後、俺はしばらくの間笹倉と早苗の両方に頭を下げ続けることとなった。

 大きな得をした分、やっぱり見返りも大きいんだな。人生って荒波だ。

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