第175話 俺は幼馴染ちゃんを労いたい

「ふぅ、一旦休憩するか」

 数十回目のチャレンジを終え、表示されたスコアも見ずに俺は、椅子の背もたれに身を委ねて天井を見上げた。

 かれこれ2時間以上、画面に向き合っていたらしい。回数を重ねる度に操作にも慣れてきて、譜面も暗記できるようになっているのだが、やはり疲労がそれを上回ってくる。

 今もだらんと下げた腕を、もう一度持ち上げるのを面倒だと思ってしまうくらいだ。

「あれ、あいつらは……?」

 ふと周りを見ると、雲母さん達が居ない。ただ、隣の台にジュースが置かれていた。そこにはメモもあり、『練習がんばってくだちいね』と書かれていた。

『くださいね』じゃなく『くだちいね』になっているあたり、おそらくセリーヌさんが置いてくれたのだろう。雲母さんに飲み物を頼まれていたもんな。

 話す日本語は得意みたいだが、書く方は苦手らしい。俺は心の中で礼を言いながら、コップを口元へと運んだ。

「……りんごジュース、美味いな」



 しばらく休憩した俺は、その後また2時間画面と向き合った。集中力ってすごいな、疲れていても集中すると全部忘れられる。まあ、切れるとどっと疲れが襲ってくるんだけどさ。

「それにしても、早苗はどこに行ったんだ?」

 彼女もどこかで得意を探しているんだろうか。そう思っていると、ドアから雲母さんが入ってきた。手に何か持っているようだ。

「雲母さん、それ、なんですか?」

 椅子から立ち上がり、彼女に近付きながらそう聞くと、雲母さんはその正体を俺に見せてくれた。

「アクウェリアス、スポーツドリンクですよ。小森さんに届けようと思って」

「早苗、何か運動をしているんですか?」

 確かにここには運動系のゲーム台も多かったからな。早苗はそういう系を選んだってことか。

「はい、頑張っていますよ?」

 雲母さんは部屋の奥をチラッと見ると、唇に人差し指を当てて「しーっ」と言いながら、俺に手招きをした。

 早苗が何をしているのか、俺も気になっていたので素直について行くことにする。陳列する格ゲーのエリアを抜け、突き当たりの角を曲がったところに彼女はいた。

 この広い部屋の隅にある大きなゲーム『ダンシングレボリューション』、通称ダンレボの上に。

 雲母さんから借りたのだろうか。ここに来た時とは違って、上は薄手のノースリーブ、下は膝丈のハーフパンツと、運動に適した服装に変わっていた。

「小森さん、あれを練習するって決めてから、ずっと踊ってるんです」

 雲母さんが小声でそう教えてくれる。運動が得意とは言えない彼女が、そんなにも熱心に取り組んでいるのか。

 見てみれば、彼女が腕や首を振る度に、キラキラと光を反射する水粒が落ちている。疲れ果てているはずなのに、表情は普段よりも引き締まっていて、瞳は画面をしっかりと見つめていた。

「やるからには失敗したくないのでしょうね。さすが、コスプレコンテストで1位を奪っただけのことはあります」

「奪ったというか……雲母さんは辞退扱いでしたけどね」

 それ以上言うと黒い部分が出てしまいそうなので、言いたいことは全部喉の奥へと引っ込めた。そして。

「そのアクウェリ、俺が渡してやってもいいですか?」

 渡すのが誰であれ、アクウェリの効果が変わらないことは分かっている。でも、頑張っている彼女を見ていると、どうしても一言言ってやりたくなった。

「ええ、構いませんよ。どうぞ♪」

 雲母さんは微笑みながらペットボトルを手渡してくれる。俺は彼女に礼を言ってから、早苗の踊りが終わったタイミングで姿を見せた。

「早苗、お疲れ様」

 後ろからアクウェリを首筋に当ててやると、彼女は体をビクッと跳ねさせて、それから力尽きたようにその場に座り込んだ。

「び、びっくりしたぁ……。あおくん、驚かせないでよぉ……」

「悪い悪い。ほら、雲母さんが持ってきてくれたぞ」

「あ、ありがと……」

 早苗はペットボトルを受け取ると、フタを開けてひと口飲んだ。俺は近くの手すりにかけてあったタオルを手に取り、滴る汗を拭いてやる。

「今、私汗臭いから……自分でやるよ?」

 早苗はそう遠慮するが、俺は構わずに拭き続けた。

「臭くないぞ?頑張ってる証拠だからな」

 何を言っても俺が離れないことを察したのだろう。彼女はこちらにだらんと身を委ねてくれる。お風呂上がりの犬のようにわしゃわしゃと髪を拭かれると、嬉しそうに頬を緩ませた。

 額や頬、肩の汗もタオルをポンポンと当てて拭き取ると、俺はタオルを元の位置へと戻そうとする。だが、早苗はそれを掴んで止めた。

「まだ体が拭けてないよ?」

「ああ、悪い。忘れてた」

 そう言ってタオルを渡すと、彼女は不思議そうに首を傾げる。

「拭いてくれないの?」

 運動後特有の火照り方をした顔で俺を見上げながら、ねだるような声でそう言った。

「いや、まあ……あとは自分でやってくれ」

 先程までとは違って、早苗は体をこちらに向けている。汗でびしょびしょになったシャツが張り付き、強調されている体のラインが視界の真正面からアタックしてくるのだ。さすがにこれ以上はラインを引かせてもらいたい……。

「ダメ……?」

 そんな目で俺を見るなよ……。残念そうに、乞うような瞳で……。

「……少しだけだからな」

 俺が早苗からタオルを受け取ると、彼女は嬉しそうに微笑んで、シャツをめくってお腹だけを見せた。女の子らしい肉付きをしていて、可愛らしいおへその細いおなかだ。

 タオルを小さくたたんでお腹に当ててやると、彼女はくすぐったそうに背中を丸める。俺が「大丈夫か?」と聞くと、「続けて」と囁いてくれる。

 腹の上にタオルをスライドさせ、汗を拭き取っていく。上へ、下へ、右へ、左へ。

「んん……」

「くすぐったいか?」

「大丈夫、もっとして」

 脇腹の方へと動かせば、こそばゆさに耐えているのか、肩をピクピクとさせた。

「あおくん、背中も拭いて……」

「ああ、わかった」

 そう言って彼女の後ろに回ろうとすると、早苗は俺の腕を掴んで首を横に振る。

「そこからでいいから……」

 前から背中を拭くなんて、面倒というか手間な気もするが、彼女がそうして欲しいと言うなら……と俺は彼女の背中へと手を回した。

「もう少し下も」

「こうか?」

「もう少し左かな」

 早苗の指示通りにタオルを動かしていく。この程度で喜んでくれるなら、むしろ俺の方が嬉しかったから。

 だが、彼女の思惑はもう少し先を行っていたらしい。

「…………ハグ、してるみたいだね♪」

 耳元でそう囁かれてようやく気がついた。前から背中に手を回させ、タオルを下へと誘導することで体の距離を縮める。してやられたな。

「このまま、抱きしめてもいーよ?」

 早苗の声がいつもよりも艶っぽい気がして、耳がこそばゆくなる。至近距離で感じる彼女の匂いに、鼻が刺激される。体を寄せられて触れてきた彼女の柔らかい感触に……心が揺れる。

 色々な方面から早苗の魅力に攻撃され、さすがの俺もこれにはグラついてしまった。

 持っていたタオルを床に落とし、手のひらは直に彼女の背中へと触れる。しっとりとした肌の感触が、じんわりと伝わってきた。



 そして俺は、彼女を抱き寄せる。



「んっ……♪」

 嬉しそうに声を漏らし、抱き締め返してくる早苗。俺よりもふたまわりほど小さな体で、離すまいと強く抱き寄せられた。

「あおくん……大好き……」

 耳元で囁かれ、背筋がゾクッとする。

「知ってる」

 さすがに『俺も』という勇気はなく、言葉は喉の手前でそれに変わる。彼女吐息が俺の首筋を撫でた。

「早苗……」

 彼女の両肩を掴み、彼女と自分の視線を交わらせる。艶やかな唇が主張するように少し突き出されていた。


 そして俺は――――――――――――。

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