第2話 (偽)彼女さんは幼馴染ちゃんを邪魔したい
「ねえ、あおくん?」
放課後、片付けをしていると早苗がよく分からない表情で声をかけてきた。泣くのをこらえているのか、笑うのを我慢しているのか、そんな感じの顔だ。
「なんだ?」
数学の教科書を鞄に入れながら返事をする。
あれ、上手く入らないな……。
一学期の期末テストまであと1ヶ月だし、そろそろ勉強しようと思ったのだが、持って帰る量が多すぎたらしい。鞄が膨れ上がっている。
仕方ない、数学と国語は諦めるとするか。授業さえ聞いていればなんとかなる教科だしな。
スッキリした鞄を肩にかけて、早苗の方に体を向ける。自分の声を聞いてもらえていることに安心したのか、小さくため息をついた彼女は、俺の目を見上げるとこう言った。
「あおくんってホモじゃなかったんだね」
「今更かよ」
反射的に出た言葉だった。
こいつ、本当に何も気付いてなかったんだな。幼馴染というものは、年月を重ねることがお互いをよく知ることに繋がる訳では無いらしい。
ただ、彼女が本当に言いたかったことはそれではないのだろう。下唇を噛み締めながら、膝の内側同士を擦らせてモジモジする。彼女がまだ何かを隠している時のサインだ。
「何か言いたいんだろ?早く帰って勉強したいんだ、はっきり言ってくれ」
少しキツい言い方にはなったが、これくらい言わないと、気の弱い彼女は踏み出してくれないからな。背中を押すのは優しい言葉だけじゃないってことを理解して頂きたい。
「えっとね……その……」
頑張れ!と心の中で応援しつつ、彼女の言葉を待つ。
「……笹倉さんと付き合ったって本当?」
ああ、なんだその事か。あまりに深刻そうだったから引越しでもするのかと思っていたが……噂は上手く回ったらしいな。
「ああ、本当だ」
これは事実だからな。
笹倉 彩葉を本気で好きじゃないふりをしなければならないのは、笹倉 彩葉本人と二人きりの時だけ。彼女は『私のことを好きじゃない方が都合がいい』と言っていた。つまり、彼女が求めているのは心の底からの偽者。片思い中の偽彼氏では無いのだから。
俺は念願の彼氏彼女関係を続けるために、演じ続けなければならない。
「そっか……本当なんだ……」
早苗はそう言うと肩をすぼめて俺に背中を向けた。
「また明日ね……」
俺の声も待たずに、そのまま逃げるように教室を飛び出していってしまった。
また明日って、あいつ……。
彼女は暗い表情をしていた。背中を向ける一瞬の間にそれが見えた。
あんな表情されたらな……。
俺はとある机の上に置かれた鞄を持ち上げて教室を飛び出した。
「早苗!鞄忘れてるぞ!」
結局、早苗と一緒に帰ることになった。
いつもはじゃれついてきたり、からかってきたり、一応楽しい帰宅路ではあったのだが、今日は何も話さない。
俺は鈍感ラノベ主人公ではない。だから、ある程度の察する能力は備わっているはずだ。
とりあえず頭の中で状況を整理する。
彼女の様子が変だったのは、昼休みが終わった頃からだったな。
5時間目後の休み時間、いつも休み時間になると必ず話しかけてくる彼女が、机に向かったまま一切こちらを見向きもしなかった。
そして放課後、さっきの話だよな。
『笹倉さんと付き合ったって本当?』と聞かれて、それに返事をしてからが更におかしかったんだ。
俺は『本当だ』と答えた。
その結果、彼女の表情はダークに……。
つまりだ、『本当じゃない』と答えて欲しい理由が、彼女にはあったということじゃないか?笹倉と付き合って欲しくなかった理由が。
犬みたいにじゃれついてくる幼馴染……そうか、ご主人が取られるのが嫌だったのか。……そうだよな。こいつにとって普通に話せる相手ってのは俺しかいないわけで、それが他の人に取られるってことは、自分の居場所を奪われるのと同義だ。
それは嫌がるよな。
そう思った瞬間から、俺は早苗のことが可哀想に思えてきた。
元はと言えば、俺が彼女に執拗に構ったから生まれた交友関係であって、それを自分から疎遠にしてしまうのは違う気がする。
笹倉の前だと嫌がっている風にはしているが、本心は彼女を大切な幼馴染だと思っている。ここはなんとか安心させてやりたいところではあるが……。
「きょ、今日の晩御飯、なににしようかなぁ〜」
上手く言葉が出てこん!!!
なんでこのタイミングで晩御飯の話だよ!幼馴染より晩御飯が大事って言ってるようなものだろ!俺の馬鹿野郎!
「……」
ほら、早苗も何も言わないじゃないか。
俺ってこういう時に限ってダメなんだよな。
俺は首をブンブンと横に振って、気持ちをリセットする。よし、言える気がするぞ。
「なあ、早苗」
俺は彼女を呼び止める。俺よりも2、3歩先で止まった彼女は、少し首を傾げながら振り返った。
面と向かってこんなことを言うのも照れるが、夕日の逆光で表情が見えないことが唯一の救いだ。
俺はグッと彼女の心に踏み込む気持ちで言った。
「俺はお前を大切な幼馴染だと思ってる。だから、笹倉と付き合っても関係が変わったりはしない。安心してくれ」
言い切った……。相変わらず彼女の表情は見えない。ただ、「うん、ありがとう」というか細い声だけが耳に届いた。その微妙な反応に、俺の心には不安の色が染み渡る。
あれ、俺は何か間違えたのか?
その答えがわからないまま、俺たちはそれぞれの家に帰った。
隣の家に住んでいる彼女を、玄関の扉が閉まるまで見送り、俺もそこから徒歩数秒の自宅へと帰る。
母親は去年から長期出張に行っている。
帰る家は静かで俺ひとりだ。
慣れてきたと思っていたが、今日はなんだか物寂しい。未婚のサラリーマンって、きっとこんな気持ちなんだろうな。
そんなことを考えながらソファーに寝転ぶ。今日はいつもよりも疲れたような気がした。
片思い相手の偽彼氏になったこと。
幼馴染の異変。
これらがあったからだろう。
ただ、この2つは絶対に繋がっている。
俺の前ではいつも笑顔な早苗があんな表情をするなんて、只事では無いはずだ。
俺は彼女のことが心配で心配で………zzZ……。考え事をしているうちに眠りに落ちていた。
ギィ……ギィ……
俺は耳障りな音で目を覚ました。ソファーの軋む音だろうか。電気をつけないで寝たせいで、部屋の中は真っ暗。目を凝らしてみるも何も見えない。
ただ、何かがいる気配はしている。
お化けなんてものは信じていないが、この状況で生きた人間が相手という方が怖い。俺は柄にもなく、腰が抜けて動けなくなっていた。
何かが俺の上に跨っている気がする。いや、気がするんじゃない。確かに跨っている。
ソファーの沈み込み具合から、俺の両肩と腰辺りに手足をついているらしい。
その何かの吐息が俺の顔にかかる。
……あ……ミントの香りがする。
こいつ、ちゃんと歯磨きしてやがるな。……って、そんなことはどうでもいいんだ。
俺はなんとか逃げ出そうと体を動かそうとするが、その何かによって腕を押さえつけられてしまう。
俺は寝転んでいて、相手は覆い被さるような体勢だ。体重のかけ方が上手いこともあって、全く抜け出せない。
せめて顔だけでも見てやろう。
俺はそう思って顔があるであろう位置を睨んだ。だが、そこには暗闇しかなくて、顔なんて見えなかった。
しかし、タイミングよく雲の隙間から月が顔を出したらしい。白色の光が部屋の中をうっすらと照らす。
「…………早苗?」
暗闇の中の正体を目にした俺は、思わず見知った人物の名を呟いた。俺の目の前にいたのはパジャマ姿の早苗だったのだ。
「っ!?すぅ……すぅ……」
「いや、寝たふりしても遅いだろ!」
ばっちり目が合ったぞ。
もしも本当に寝てたら、隣の家から来たことになる。寝相の問題じゃすまねぇよ。
「そんな所で何してるんだ?」
「あ、えっと……その……」
目線を右へ左へ。明らかに動揺している。おそらく何かを企んでいたんだろう。
「寝込みを襲いに来たのか?」
「そ、そんなんじゃ……ないことも無いけど……」
また下唇を噛んでいる。
「そう言えば、今日はお前の親は帰ってこないんだったな。なんだ、寂しくて寝れないのか」
早苗は小さく頷く。
まあ、この歳になってまで……と言われるかもしれないが、実際にそうなのだから仕方がない。
幼馴染なんだし、それくらいは助けてやるとするか。
「仕方ないな、今日は一緒に寝てやる。その代わり、襲うなよ?」
「お、襲わないもん!」
「なら安心だ」
俺はソファーから降り、早苗と一緒に二階にある自室に向かった。
少しの間外で待っておいてもらって、パジャマに着替える。
彼女を招き入れると、寝相が悪くて落ちてしまっては可哀想だと思い、彼女を壁側に寝させてやった。
そして、お互いにおやすみと言って目を閉じる。
ベッドに入ってからしばらくすると、早苗が寝息を立て始めた。一定のリズムで聞こえてくるそれは、絶妙なリラックス効果を持っていて……。
あれ……?そう言えば、早苗ってどうやって家に入ってきたんだ?
そんな疑問を抱えつつ、俺もすぐに眠ってしまった。
翌朝、目覚まし時計のけたたましい音で目が覚める。お腹を出して寝ている早苗も起こしてやった。
「寝方に女子力が微塵もないな」
そう言ってやると、
「寝ている間くらい忘れさせてよぉ!」
と返された。確かにごもっともだ。
俺は先にキッチンに降りると、二人分の朝食を作る。ベーコンと目玉焼きを薄切りのトーストに乗せただけの簡単なものだが、結構美味しいんだよな。早苗も満足そうに食べてくれたし、朝からいい気分だ。
食器を片付け、昨夜うたた寝して入れなかった風呂に入り、学校に行く準備を済ませたところでインターホンが鳴る。
「はーい」
返事をしながら玄関に向かい扉を開いた。
「おはよう、碧斗くん」
そこに立っていたのは笹倉 彩葉だった。
「え、なんで……」
「なんでって、一応付き合っているのだから、学校くらいは一緒に……あら?」
笹倉の視線が俺の背後に移る。
「あおくん、朝からお客さ……んっ!?」
歯磨きをしながら現れた早苗だ。彼女は笹倉の姿を見つけると、すぐに俺の背中に隠れてしまった。人見知りはまだ重症だな。
「どうして小森さんがあなたの家に?」
笹倉は冷たい視線を向けてくる。
そうだよな、一応彼氏彼女の関係でありながら、他の女子を家に泊めたんだもんな。
あれ、俺って最低なんじゃ……?
偽彼氏と言えど、嫌われてしまったら元も子もない。俺は慌てて弁解する。
「早苗は俺の幼馴染で……お隣さんなんだよ!だから、昔の名残というかなんというか……」
我ながら言い訳が下手だと思った。
ああ、どこかで言い訳教室とかやってないかな。あったら絶対通うのに。
「幼馴染、ね……ふーん」
彼女は意味深な視線を俺と早苗に向けると、軽くため息をついた。
「まあいいわ、早く支度をしなさい。学校に遅れるわよ」
許してくれたのかは分からないが、ここは言われた通りに早く支度を済ませよう。
俺は急いで鞄に教科書を入れて肩にかける。こんなに持って帰ってきたのに、結局勉強しなかったんだよな……。これじゃただの筋トレだ。
そんなことを思いながらまだ歯磨きをしている早苗を急かす。ていうかこいつ、わざわざ家から歯ブラシを持ってきて磨いてるなんて、絶対面倒だろ……。
「小森さんも一緒に行くつもりなのかしら?」
「ああ、今日はそのつもりらしい」
いつもは俺が早苗とわざと時間をずらして登校している。一緒に登校すると、付き合っているのでは?と囁かれてしまうからな。
ただ、今日は一緒に行くと約束してしまったし、そもそも同じ家にいるのに放っていくほど、俺も鬼ではない。だから仕方なく待っている状態だ。
「そう」
笹倉はあっさりとした返事をすると、家の中を見渡し始めた。話すこともなかったし、暇だったんだろう。彼女はその視界に写ったもののひとつに目を留めた。
「あら、この写真は……」
彼女が手に取ったのは、靴箱の上に置いてあった写真立てだ。
「ああ、それは俺が小さい頃の家族写真だな」
「そう……幸せそうね」
彼女はそう言いながら、写真に写る4人のうちの1人を指差す。
「碧斗くんに妹がいたなんて初めて知ったわ」
彼女が示したのは、幼少期の俺の隣に写る黒髪ショートの可愛らしい女の子だった。
「その子は妹じゃない。昔、時々一緒に遊んでた子だ。確か……『さあや』って呼んでたんだっけな」
「さあや……いい名前ね」
「ああ、同い年と思えないくらいしっかり者で、優しくて、でも少し泣き虫で……」
俺が思い出しながら話していると、笹倉はクスクスと笑った。
「碧斗くん、その子のことが好きだったのね」
「そ、そんなんじゃ……」
「そんなに昔のことを楽しそうに話せるんだもの。好きだったに決まってるわ」
「まあ、そうだな。好きだった……かもな」
「ふふっ、素直になれたようでよろしい」
彼女は満足気に頷くと、写真を元の位置に戻した。
「お、おまたせ……」
やっと準備を済ませてきた早苗が出てくる。笹倉の前だからか、かなり緊張しているらしいな。
「忘れ物はないか?」
「た、多分……」
「靴下は……左右同じだな。よし、じゃあ行くか」
早苗は無言で頷き、笹倉は「ええ」と返事をした。
学校までは徒歩15分ほど。
私立でありながらこの近さにあったことが、この学校を選んだ一番の理由だな。
偏差値は飛び抜けて良くもなく、かと言って悪くもない。だが、スポーツの成績は中の上くらいで、全国大会に行く生徒もチラホラとだが居る。同じクラスの高橋くんも、剣道で全国大会に出たんだとか。羨ましいぜ。俺は帰宅部だから、運動神経は平均くらいだろうと思う。
「ね、ねえ、あおく――――――」
「そう言えば、碧斗くん。お弁当は持ってきたかしら?」
「え、あ、いや……食堂で買おうと思っていたところだ」
「それなら私が多めに作ってきたから分けてあげるわ。付き合っているのだから、それくらい当然よね」
「そ、そうか?それは助かるが……」
先程からずっとこんな感じだ。早苗が俺に話しかけようとする度に笹倉が割り込んできて別の話を振る。気の弱い早苗は俺以外には強く言うことが出来ない。だからずっと負けっぱなしだ。
この歩道は3人並んで歩くには狭すぎる。笹倉が早苗を押しのけると、彼女は自然と俺たちの後ろを歩くことになる。それが余計に彼女を傷つけてしまっている気がして……。
「なあ、早苗。お前も一緒に―――――」
昼飯を食べよう。そう言おうとしたのに。
「彼氏彼女水入らずな時間を邪魔するなんて、そんなことはしないわよね?小森さん」
笹倉は立ち止まり、振り返りながらそう言った。いくら彼氏彼女を演じるんだとしても、さっきからやりすぎだろう。
これでは早苗が傷つくだけになってしまう。いくら好きな人だとしても、それは許せない。
「ちょっといいか」
俺は笹倉の腕を掴み、少し早苗と離れた場所で声を抑えて言う。
「さすがにやりすぎだ」
「そんなことは無いはずよ。むしろ、あの子が碧斗くんに近付く方が私にとって問題だわ。私とあなたとの偽彼氏彼女関係にボロが出るかもしれないもの」
「だからって早苗を傷つけるのは違うだろ」
俺がそう言うと、笹倉は心底面倒くさそうにため息をついた。
「分かったわよ。彼女を傷つけるようなことはしない。けれど、最優先事項は偽彼氏彼女関係よ。彼女がそれを邪魔しようとするなら、私は容赦しないから」
彼女の目は本気だった。
「……わかった、それでいい」
渋々頷くと、彼女は少し頬を緩めて早苗の方へと戻った。
「小森さん、ごめんなさいね。どうしても碧斗くんと話したいことがあったの。さあ、遅れないように早く行きましょうか」
「う、うん……」
まだ怯えている早苗の手を引いて、笹倉は俺の横を通り過ぎていった。俺もすぐに2人を追いかける。彼女らの後ろ姿を見つめながら、俺は心の中だけで呟いた。
さっき見た笹倉 彩葉は、俺の好きだった彼女ではない気がする。クールかと聞かれればクールだったが、いつもとは何かが違った。
それでも、振り返って少しだけ微笑む彼女はいつも通りの彼女で、俺はやっぱり笹倉 彩葉が好きなんだなと、胸が熱くなるのを感じながら学校へと歩を進めていった。
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