第4話 聖母像
ボロックスが駆けつけた時、店は炎に包まれていた。熱さに鼻が焼かれ、張り付く臭気にボロックスは咽かえる。
「義兄さん!」
嗅覚が効かない。マヒした感覚にイラつきながら、ボロックスは義兄を探し続けた。
「カストル義兄さん!」
返事は無い。次第に歩みは遅くなり、遂にボロックスは立ち止まった。
目の前で炭屑となった建材が崩れ落ちた。咄嗟に背けた瞳に、舞い散った火の子がちらりと映った。
「カストル、何処だ!」
ボロックスは叫んだ。渦巻く熱と炎と煙の中に、間違いなくカストルがいる。
「カストル!」
熱さで喉がやられ、声が枯れた。それでもボロックスは叫び続ける。叫ぶ他に出来るのは祈る事だけだ。
― どうか…。
ボロックスは願った。その無意味さは十分に承知している。それでも、やはり、すがりたくなる。
長く、短い時間だった。そして、崩れ落ちていく建材と撒き上がる炎の中に、ボロックスは一つの影を見つけた。
― カストル!
確信があった。
ボロックスはためらわずに飛び込んだ。露出した肌が炎にあぶられ、自毛が焼き焦げるのが感覚で分かる。それでも、ボロックスは熱い空気を潜り、すり抜け、影の元へと駆けた。
― こ、これは?
影の正体を目の当たりにして、ボロックスは唖然となった。影の正体は聖母像だった。
両腕を広げ、ボロックスを迎えるように微笑んでいる。
「カストル!何処だ!」
ボロックスは絶叫した。そんなボロックスを前にしても、聖母像の微笑みは変わる事が無い。
「う、うう」
ボロックスの耳に、呻く声が聞こえた。
ー カストル?
目を向けると、聖母像の足元にある塊が微かに動いた。
「ボロックス、か?」
「カストル!」
ボロックスは駆け寄った。カストルを抱き上げ、覗き込む。途端に息を呑んだ。
「カストル…、義兄さん」
「ああ」
小さい呟きだった。
カストルは悲惨だった。
形の良かった鼻は潰れ、頬が抉られている。右拳はミンチ状で、左腕は肘から先が無い。
あちらこちらで燻っている炎が、肉の焦げる音を立てている。
カストルは虚ろな目をボロックスに向けた。
「カストル義兄さん。ありがとう」
その虚ろな目の中に面影を見つけ、ボロックスは涙を流した。その涙を拭おうと、カストルは右腕を伸ばすが、砕けた右腕には遠すぎる距離だ。
「泣くなよ。馬鹿野郎」
代わりに、小さな声がボロックスに届く。
「スライムの馬鹿野郎な、焼け死んだぜ。ザマアみろ。これで、お前も俺の家族だ」
「カストル!」
ボロックスはカストルの額に額を重ねた。
「なあ、ボロックス…」
「ああ、なんだい?」
「頼みがある」
カストルの死は疑いようも無い。残された気力も限界だろう。ボロックスは腕に力を込め、カストルを強く抱く。
「あの像を助けてくれ」
「え?」
「最後に、お前に会えた」
ボロックスは聖母像を見上げた。激しさを増す炎の中、聖母像は両手を広げて佇んでいる。
「最後の願いを叶えてくれたから、な。ソイツはかなり、御利益がある聖母様だぜ」
ボロックスは聖母像を見上げた。広げた腕に包まれ、カストルは死なずにいたのかもしれない。
「解った。分かったよ」
カストルは抉られた頬を歪めて笑った。そして、これが最後の笑いになる。
静かにカストルの目が閉じた。この時、魂が抜けた身体がとても重い事をボロックスは知る。
ボロックスは遺体をゆっくりと下ろした。そして、カストルに別れを告げる。
「さようなら、カストル」
ふと、頭をよぎる想いがあった。だが、それを振り払いボロックスは聖母像と向き合う。
一旦、息を止めた。
ボロックスは時意留を鞘に戻し、聖母像の身体を抱える。台座から切り離された聖母像はボロックスにその身を預けた。腕の中の聖母像は、熱く焼けていたが、思ったよりも軽い。
すかさず、ボロックスは駆け出していく。
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