第37話 天野の差し入れ

「おじゃましまーす」

「どうぞー」


 土曜日。青葉ちゃんへの差し入れを持って、楓宅を訪れた。

 自分でも一応考えたが、差し入れとして何が相応しいのかわからず、楓がいくつかあげた候補の中から選ぶことにした。クレープは持ってくるのが大変だったので、却下。アイスは時期的にやめておいた。ケーキを全員分を買うお金が俺にはなかった。


 ということで、今回はプリンを差し入れとして持ってきた。一つあたりの値段もリーズナブルだったし、持ってくるのも容易だった。


「俺が来ること知ってるの?」

「一応、言っといたよ」


 二階に上がり、部屋の前まで来た。以前まで楓が使っていた部屋が青葉ちゃんの部屋になったようだ。


 ノックをし、「はーい」という声を聞いてから扉を開けた。


「久し......」

「青葉のために来てくれたんだよね!」


 俺の声は遮られた。受験が近く、精神的に不安定な状態になっていないか心配していたが、それは無用だったようだ。

 本当元気だなあ。


「良かったら、食べて。勉強の合間に」


 プリンが五つ入った箱を手渡す。


「これ何?」

「プリン。苦手だった?」

「ううん。すっごい好き! 今、食べてもいい?」

「どうぞ」

「やった。お姉〜、スプーン持ってきて欲しいなあ。青葉、勉強しないといけないから動けないんだよねえ」

「なんで私が!? あ、じゃあ、プリン二つ貰うね。すぐに持ってくる」


 楓は青葉ちゃんの返事を聞かず、部屋を出て行ってしまった。口を開きかけていたのに、喋らせてもらえなかった青葉ちゃんは眉間にしわを寄せて、少し険しい顔をしている。

 

「お姉、最初から一つは絶対貰うつもりだったんだね。本当意地汚いなあ。妹として恥ずかしいよ」

「楓、食べるの好きだよね」

「うんうん。家にあるデザートいつの間にかなくなってるもん。でも、あんなに食べて、どうして太らないのか不思議だ......。青葉と体型交換して欲しい」


 青葉ちゃんも太っているとは到底思えない体型をしていたけれど、デリケートな話題なのでここはスルーしておこう。当事者でないとわからない微妙な違いがあったりするものなのだろう。


「お姉の体重突然変異で十キロ増えないかなー。青葉と同じダイエットの苦しみを味わわせたい」

「なかなかエグいこと言うね」

「てへっ」


 可愛くポーズを決める青葉ちゃん。そこにちょうど扉が開き、楓が帰ってきた。


「何やってんの?」

「え、何でもないよ!」

「何でもないことないでしょ。変なポーズしてるし。何の話してたの?」


 渾身の決めポーズを変なポーズと言われ、一瞬頰を膨らませる。

 楓にさっきまで話していたことをそのまま伝えたら、お怒りモードになるに違いない。どうやって乗り切るんだろう。


「お、お姉って綺麗で頭も良くて、ヤバイよね〜って話をしてたところ!」

「おい」


 俺を巻き込むな。ポーズと全く関係ないし、こんなことで楓の気を逸らすことなんて......。


「え、嘘!? 悟もそんなこと言ってたの?」

「いや、俺は......」

「そうだよ!」


 今日一大きな声で、俺の声はかき消された。楓が調子に乗り始めてしまう。


「悟く〜ん。私の目の前で同じこと言ってみそ」


 ほら、調子に乗った。


 どうやら青葉ちゃんの話を逸らす作戦は成功したようだ。チラッと青葉ちゃんの方を見ると、両手を合わせて、こっちを見てる。

 プリン没収しても良いかな?

 

 俺にとって無益なのに楓をご機嫌にする言葉を吐くのは癪だけど、貸しを作っておくのも悪くないと思い、言ってしんぜよう。


「楓さんは美人で賢いなー。羨ましいなー」


 可能な限り棒読みで。感情を込めず、無心で言う。


「もっと心を込めてよ」

「さっきもこんなんだったけど。ねえ?」

「うん!」


 青葉ちゃんもちゃんと話を合わせてくれた。 


「えー、まあ、本気で言われたら恥ずかしすぎて、スプーン放り投げちゃいそうだし、今日はこれくらいで許してあげよう。ほいっ。スプーン」


 金属製のスプーンが飛んできたら、流血沙汰になっていたので助かった。スプーンは三つ用意してくれていたので、俺も食べることに。


「お姉、絶対二つまでだからね」

「わかってるって〜。食べよ食べよ」


 楓の部屋にあった丸いテーブルを持ってきて、そこで食べることにした。

 

 近くのケーキ屋で買ったプリンだけど、美味しいのかな。須藤にこの辺りで一番美味しいプリンはどこか訊いたら、そのケーキ屋の名前が返ってきた。

 俺も食べたことがなかったし、楽しみだ。


「んまいっ」


 南姉妹の声が重なった。味は申し分なかったようだ。買ってきた立場からすると、美味しそうに食べてくれるととても嬉しい。


 俺も一口食べてみる。


 これは美味しいぞ。口に入れた瞬間の甘さと後からやってくるカラメルのほろ苦さ。どちらも甘すぎず、苦すぎず、ちょうど良かった。とても食べやすく、プリンは一瞬でなくなった。帰りに自分用に買って帰っても良いかもしれない。


 楓たちもすぐに平らげてしまい、空の容器が三つできた。


「いやー、最高だった。これどこのプリン?」


 楓も食べたことがないプリンだったらしい。


「駅前のケーキ屋」

「あそこか! 初めて食べたけど、めちゃくちゃ気に入った!」


 ここまで満足してもらえたのも、須藤のおかげだ。今度お礼しないとな。いつも助けてもらってるし。


「お姉へ、青葉の合格祝いにここのプリンをお願いします」

「別に構わないけど。合格することが前提になってるけど、まだ受かってないからね」

「そんなことわかってるしー。青葉は勉強に戻るよ。今日は悟来てくれてありがとー」

「いえいえ。あと一ヶ月。応援してる」


 姉によく似た笑顔で部屋を出る俺を見送ってくれた。

 勉強机の上に積み上げられた教科書やプリント類。ノートの消費量を見れば、どれだけ努力しているのかが一目でわかった。絶対に合格して欲しい。


 楓も一緒に部屋を出て、玄関までついてきてくれた。


「今日はわざわざありがと」

「別に大した労力じゃないし」

「それでも青葉は嬉しかったと思うよ。最近、口数も少なくなってたし、あんなに楽しそうに喋ってるの久しぶりだった」

「......そうなの?」

「うん」


 暗い部分を微塵も感じられなかったのは、俺が来てるから終始明るく振舞うことで、隠そうとしてくれていたのだろうか......。


「無理させちゃったかな......」

「無理はしてない、と思う。数ヶ月前の青葉だ! って私思ったもん。自然体だった。だから、今日来てくれたことに、悟が思ってる以上に私は感謝してるよ。悟に」

「......そうか」

「私、つまらない意地張ってないで、もう少し早くから勉強教えてあげてれば、良かったって後悔してた。悟、たまに勉強みてあげてたんだよね?」

「どうしてそれを」

「姉の勘」


 青葉ちゃんから、秘密にしておいて、と言ってきたので自分から言ったわけではないだろう。長年一緒にいる妹のことならわかってしまうのかもしれない。 


「相手が妹だとちょっとしたことで言い合いになったりするんだよね。本気で嫌ってるわけじゃないのに。だから、私もあんまり素直になれなかった。本当は合格して欲しいと思ってるし、落ちて欲しくない。後悔しても遅いよね。これで青葉が落ちたら、私、どうしよう......。どうすればいいと思う......?」


 あと一つ要素が加わった瞬間、楓は泣き出してしまうのではないか、というくらい悲哀に満ちた表情をしている。

 こんな楓をはじめて見たし、俺は何と声をかけるのが正解なのかわからない。

 落ちたとしても、楓が要因ではない。でも、そんなことを言っても、「うん。そうだよね」と言って、納得するとは思えない。

 

 沈黙が続く。兄弟がいない俺には楓の感覚を全てわかってあげられていない、と思う。そんな俺に何が言えるんだ? 自問自答しても答えは出てくれない。


 黙っていても、前に進まない。俺が思ったことを伝えよう。

 一呼吸置き、喋り始める。


「楓はさ、後悔してるんだよね」

「うん」


 少し声が震えているようにも感じた。


「青葉ちゃんが受験に失敗しても、楓のせいではないよ」

「そんなことない。私が去年のうちから教えてあげてれば......」

「去年から教えてあげてれば、合格可能性は上がったかもしれない。でも、青葉ちゃんももっと早くから勉強してれば、もっと上がったと思うし、楓一人の責任じゃないよ」

「でも......」

「青葉ちゃんが勉強してこなかった時間は戻ってこないけど、その分を取り戻そうと、今、勉強してる。きっと青葉ちゃんも後悔してると思うよ。後悔のない人なんてほとんどいないだろうし。それならさ、楓も後悔した時間を取り戻すくらいの気持ちで教えてあげればいい。時間は限られているから、去年できなかった分を完全に取り戻すのは難しいけど、一緒に頑張ってあげればそれでいいんじゃないかな。それが楓にできる精一杯だと思う」


 数秒間、時が止まったのかと思うくらい静かで、彼女に動きはなかった。一番最初に動いたのは口角だった。それに連鎖するかのように、目尻も下がり、柔らかな笑みを浮かべる。


「優しいね。悟らしい」


 自分では自分らしくないと思う。


「私も残り一ヶ月。頑張ってみるよ」

「また差し入れ持ってくるよ」

「ありがとっ」


 最後に彼女の笑顔を見て、俺は南家を出た。

 根拠はないけど、一ヶ月後には良い報告を聞けるのではないか、と思った。

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