たびねこ綺譚

DA☆

「たびねこ綺譚」

うみねこ

 僕は今まで、猫って動物は、街に住むものだと思っていた。街の中で、自分なりの縄張りを作り、人がいようが鼠がいようが、おれ様こそがここのボスと、でかい顔をしながら悠々自適に暮らすことが、猫なる生き物の本来あるべき姿だと思っていた。


 どうもこのトントンは違うらしい。


 いつ頃からこの黒くて小柄な猫が僕のあとをついてくるようになったんだか、よく覚えていない。餌をやったわけでも、喉を撫でてやったこともないのに。追っ払っても追っ払っても、またいつの間にかとことこ僕の足下を戯れるので、しまいにはあきらめてしまった。


 あきらめてしまうとこいつは調子のいいことに、自分が疲れたときには、僕が肩に担う、旅荷を詰め込んだ袋の上に駆け上って、そこで丸くなるようになった。僕がぼうっと何も考えずに歩いていると、とんとんっと心地よいリズムで肩まで駆け上がってきて居座ってしまう。爪も立てずにすばやく駆け上がるその技があんまり見事なので、肩が重くなってもさっぱり叱りつける気にならないのだ。とんとん上ってくるその様子が、トントンという僕が付けた名前の由来でもある。


 僕は、旅人だ。この世界をくまなく見て回りたい。遠いところでなくていい。僕の知らないところで、別の人たちが別の暮らしを作っている、ただそんな当たり前のことに、なぜだか魅かれる。


 太平の世になって、いくさは昔語りになった。多くの強者が世を闊歩しさわがしていた時代を、知りたくても知ることのできない僕らの世代は、血でもなく、スリルでもなく、ただ自らの眼と耳と足を満足させたくて旅に出る。そんな旅に―――何もしゃべらないが気心のみえてくる猫って生き物は、けっこう乙な相棒だ。だから僕は、トントンを、「自分の猫」ってことでひとっくくりにすることに決めたのだった。




 ある夏の日、僕はとある港町に来ていた。岬の先端にある、真っ白に塗られた灯台が町のシンボルになっていた。


 どうもふところが寂しくなってきていた。そんなとき僕は、しばらくその土地にとどまって、日雇いの仕事をして路銀を稼ぐ。宿のおかみさんに、仕事ないかしら、と尋ねると、すぐになじみの仲仕の親方を紹介してくれた。


 親方は豪快な人だった。特に笑い声がやたらと大きかった。こんな相棒がくっついてくると思いますけどいいですかとトントンを差し出したら、


 「ウチは年中人不足だが、まさかほんとうにネコの手を借りることになるとはな!」


 と、げらげら笑った。


 そんなわけで、僕は次の日の朝から港で力仕事に従事することになった。


 はしけから、荷札にしたがって、港の中の所定の場所へ。そこから、その品を待つ商人の馬車や、荷車へ運ぶ。あるいはその逆。親方が氷水をぶっかけてくれる休憩時間まで、身も心も泥のようにして働くのだ。その凍み入る美酒の至福といったら!


 初日はひたすら仕事に緊張し、二日目は筋肉痛でのたうち、おおよそのコツが飲み込めてきたのは三日経ってからだった。その三日間で、僕は親方配下の仲仕たちとだいたい仲良くなっていた。仲を取り持ってくれたのは、実際、ちび猫トントンだったりするのだ。


 僕が働いている間、トントンは僕の荷物のそばでじっとおとなしく待っていた。たいていは丸くなって寝ているだけなのだが、仕事が終わった途端に、僕の足下に駆けてきてじゃれるので、仲仕仲間にはよほどの忠猫とみえるらしく、みなしきりにトントンのことを褒めそやすのだった。


 「賢いなぁ、トントンは」


 「灯台守のじいさんも、こいつを見たら驚くぜ」


 僕は訊ねた。


 「灯台守のじいさんって?」


 「うん? あぁ、若ぇのは来たばっかりだから知らねぇか。もう四十年がとこ、ずっと岬の灯台をひとりで番してるじいさんがいてな。でけぇ白猫を飼ってて、そいつが何よりの自慢なんだ」


 日盛りに仕事をすると、どんな大力をもってしてもへたばってしまう暑さなので、この時期仲仕の仕事は朝夕のみに限られ、日が高く上るとすぐに長い昼休みに入る。たいていの人は、住まいに戻って昼食をとって戻ってくるのだが、僕は宿のおかみさんに弁当を作ってもらって、街の中をうろうろ歩き回っては、旧跡を訪ねたり、露店を冷やかしたりしていた。


 五日目の昼休みに、僕は、いよいよ名高い灯台に行ってみることにした。岬のまさしく先端にあって、街からはやや遠いのだが、地図など見せてもらい、昼休みの間に行って戻れると確信したからだ。灯台守のおじいさんにも、ぜひ会ってみたかった。四十年も灯台守を続けているのなら、さぞ面白い話が聞けるだろう。


 ところが、だ。朝の仕事を終え、トントンを引き連れて、いざ行こうと街の目抜き通りに出た僕を、誰かが呼び止めた。


 「……こりゃあ!」


 振り向いて見れば、すっかり腰の曲がった、しわくちゃのおじいさんが、大きなリュックを背負って立っていた。頭には黒い髪は一本残らず、白い髪もいくらも残ってはおらず、土気色をした顔には、多くのしわといぼがあった。だがかくしゃくとして、手に持った杖をぶんぶん振り回して曰く、


 「猫はな、猫はぁぁぁ白じゃ! 白に限る! 黒猫などぉぉぉもってのぉぉほか! あっち行け! しっしっ!」


 自分が呼び止めたくせに自分で追い払って、おじいさんはのたのたと近くの酒場に入っていってしまった。


 びくびくして足の間に縮こまってしまったトントンを抱き上げ、僕は呆然とするよりなかった。と、また背後で声がした。今度は、聞き慣れた親方のはっはっはぁという豪快な笑い声だった。


 「あれが灯台守のじいさんだ。十日にいっぺんくらい、街に食料と酒の買い出しに出てくるんだ」


 「へぇ……ありがとう、親方」


 僕はさっそくおじいさんに会いに、後を追って酒場に入った。カウンター席に腰掛け、足下にリュックを置いて、おじいさんはちびちびとお酒をすすっていた。だが、話しかけてみると、


 「黒猫はぁぁわしゃぁぁ嫌いじゃ! 黒猫のぉぉ飼い主とぉぉ話すことなどぉぉなぁぁぁんもぉない!」


 困ったことに、何を話題にしようとしてもまったくとりつくしまがなかった。


 もともと頑固で、お酒が入るとなおそれがひどくなる性格とのことだった。なのにお酒が大好きで、もう相当の高齢なのに、満足するまでは他人がいくら止めてもいくらでも飲んでしまうらしい。


 しまいにその顔が赤くなってくると、立ち上がってトントンを蹴っ飛ばそうとする始末。しようがないので、その場はさがって、日を改めて訪ねることにした。




 ところが、その次の日に大きな商船が臨時に入港してきて、仲仕はみな連日てんてこまいになってしまった。昼休みも少し短くなり、とても灯台へ行く余裕はなかった。あんまり忙しくて、疲れもたまりがちになり、商船が去って昼休みが元に戻っても、灯台へおもむく気にはならなかった。一日もらった休みも、結局寝るだけに費やしてしまった。


 考えてみれば、灯台へ行くだけならともかく、あのよぼよぼのおじいさんに昔話をしてもらうなら、昼休みだけでは足りない。日銭がたまって、この街を去るときに、訪ねる方が良いように思えた。あるいは、また買い出しに出てきたときに会えれば、それが何よりだ。そんなふうに考えて、僕はしばらく灯台のことを忘れることにした。




 だが、その「しばらく」の日数を僕は数えていなかった。正直な話、忘れすぎていた。 その日の朝の僕は、そろそろおじいさんがまた買い出しにくる日だということを、完全に失念したままに、仕事をしていた。


 さほど忙しくもならずに、仕事はほぼ終わり、最後のひとつ、酒瓶のたくさん入った大きたい木箱を、僕は抱え上げて運んでいた。とても重くて、しびれてくる手に神経を集中していたので、およそ目的地以外は何も見えていなかったし、何も聞こえていなかった。


 と、突然、覚えのあるとんとんっというリズムが僕の背を駆け上がった。そしてなんと、僕の頭のてっぺんで後ろを向いて丸くなり、黒い尻尾を僕の眼前に垂らしたからたまらない。頭が重たいの前は見えないので、足がよろめき、僕はそのまんま前のめりにすっ転んでしまった。木箱は壊れ、がしゃがっしゃーん! と派手な音を立てて瓶はほとんど割れた。辺りを、果実酒の芳香が包んだ。


 「何するんだ、トントン!」


 僕はそれでも頭にしがみつくトントンを叱りつけた。怒りにまかせて尻尾を引っ張ってやったが、それでもトントンは下りてこようともしない。それどころか、なーおと怯えたような甘えるような鳴き声を挙げた。するとそれに応えるように、背後で、しゃーっという別の猫の怒りの声が挙がった。


 膝をついたままで振り向くと、トントンの三倍からの体格を持つ、やたら大きくて体毛の豊かな白い猫が、毛を逆立ててそこに立っていた。どうやらトントンはこの猫に追いかけられて、僕のところまですっ飛んで逃げてきたらしいのだ。


 瓶の割れた音に驚いて、すわ何事と、仲仕仲間が僕のところに駆けてきた。……そして、白い猫に目を留めた。


 「おいおい、そいつぁ灯台守のじいさんとこの猫じゃないか!」


 「何でこんなところに? じいさん、滅多に外には出さなかったのによ!」


 白猫はいっこうに動じる様子もなく、それどころか、集まってきた仲仕たちを一様にねめまわすように見ると、かっと口を開いて、ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃっと三声、猫と思えぬ吠え声を挙げた。そしてふんと鼻を鳴らし、割れた酒瓶から出て地を伝う流れに歩み寄り、ちろちろと酒を舐め出したのである。


 みな気味悪がって、だがどうなるものでもなく、しかたなくその場の片づけを始めた。一度だけトントンが、ようやく僕の頭から下りて、なおーと声をかけたが、ふぎゃっと一喝されてしまった。


 やがて白猫は、頬を朱に染めるまでに酒を舐めると、満足したのか悠々とその場を去った。と、親方が僕の肩をどついた。


 「おい、あの後を追うぞ。どうも気になる」


 その場は他の仲仕に任せて、親方と僕とトントンは、白猫の後を追った。果たして白猫は、灯台への道をてくてくと歩いていった。


 「親方、気になるって……?」


 「昨夜、灯台に火が灯らなかった」


 灯台守の住む掘っ立て小屋は、白い灯台の下にぽつねんと一軒建っていた。吹き倒されないのが不思議なほどの、古ぼけたあばら屋だった。


 扉はわずかに開いていた。その隙間から、白猫は入っていった。追って中に入ると、空の酒瓶がひとつ足元に転がってきた。岬特有の吹き抜ける強い風のために、小屋の中はまるで泥棒に荒らされたように散らかっていた。それは、誰も片づけようとしなかったこと、また扉や窓を閉めようとしなかったことを意味していた。


 小屋の主の、灯台守のおじいさんは、窓際のベッドの中で、二度と目覚めることのない眠りについていた。




 港の方でもいずれこうなるであろうことは予測していたらしく、おじいさんの葬式は滞りなく行われ、また新しい灯台守もすぐに決まった。


 僕は、割ってしまった酒瓶の穴埋めをする分、心づもりより二、三日長く働き、それから親方に礼を言い、宿につけを払って職を辞した。


 街を出る前に、一度灯台に行ってみた。灯台守の小屋には補修が加えられ、また色も灯台に合わせて白く塗られており、おじいさんが住んでいた面影はなくなっていた。後任の若い灯台守は、快く僕を迎えてくれたが、実になるような面白い話は、何も知らなかった。


 白猫は、小屋に居着いたままだった。後任の灯台守が世話をしていることに、いちおうはなっているが、まったく勝手気ままに暮らしているというのが実のところらしかった。後から風のうわさに聞いた話では、十日に一度は、やはり街にやってきて、誰かに酒を注いでもらっているという。


 僕が訪ねたとき、白猫は、灯台の下でじっと座って水平線が丸く見える海を眺めていた。


 僕より先にトントンが駆け寄った。白猫は、がっと一喝したが、トントンは、今度はすくむ様子もなく、白猫の隣にちょこんと座り込んだ。白猫もそれを不服とするではなく、ただ少しだけ居住まいを正すのみだった。大きな白猫と、小さな黒猫は、ひげだけを風に揺らしながら、しばらくじっと海を眺めていた。



 僕は、その後、思うところあって故郷へ急ぎとって返した。故郷の村に入る直前、トントンはふっとどこかへ姿を隠してしまった。


 帰り着くとすぐ、ひとつの訃報を聞かされた。


 僕には幼なじみがいた。肺を患っていて、医者から運動を制限されていた。もちろん旅行などもってのほかだった。だからか、僕に旅の話をするようせがんできた。僕も旅の話を聞かせるのが、故郷に帰ったときの何よりの楽しみだった。いつか一緒に旅をしようね、というのが、僕らがいつも交わした遠い約束だった。


 その幼なじみが、薬効甲斐なく逝ってしまった、と。


 だが僕の家族をはじめ、村人たちは皆、その死を気味悪がっていた。なんでも、死の数カ月前から、迷い込んできた黒い子猫をとてもかわいがり、死の間際までそばに置いていた、と……。黒猫は、葬式の直後に村人が総出で村から叩き出し、以後姿を見せていないという。




 しばらく実家にいて、幼なじみの墓へも立ち寄り、それから、僕はまた旅に出ることにした。


 村を出ると、どこに隠れていたのか、トントンが現れて、僕の肩に駆け上ってきた。


 「行こうか、トントン」


 僕が呼びかけると、トントンは、なおー、と応えた。


 それで僕は今日も、トントンと一緒に旅を続けている。

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