第37話 〜たったひとつの願い〜


 ルシオラは夢を見ていた。

夢の中で彼女は、シンとフィオナとメナスと一緒にパーティーを組んでいて王都の目抜き通りを仲良く歩いていた。


 彼女は何度も同じ悪夢に悩まされた経験から、夢の中でこれが夢だと自覚する事は珍しくなかった。

 今回もすぐに夢だと気付いていた。


 すると、どこからともなく美味しそうな焼きたてのパンの匂いが漂ってきた。

 食いしん坊のフィオナに腕を引かれ路地を一本脇道に入ると、お洒落な看板の小さなパン屋が開いていた。


 ルシオラはこの店を知っていた。

ウェルカムマットは猫の足跡型。

店の玄関をくぐると美味しそうな香ばしい香りに包まれて、様々な焼きたてのパンが並んでいる。

 鈴を持った子供の天使の形をしたドアベルが鳴り、厨房から小柄な店員が姿を現した。


 それはパン屋の帽子をかぶり白いエプロンを腰に巻いた、シャウアだった。


「まぁルシオラ! 来てくれたのね。 ちょうどお昼のパンが焼けたところなのよ」


 シャウアが眩しい笑顔で歓迎してくれた。


「あら、その人たちが新しい仲間なの?」


 シャウアが、シンたちを見て言った。


「えぇ紹介するわ… 私の大切なお友だちなの…」

「良かったねルシオラ! みなさん、彼女はしっかり者だけど、実はとっても寂しがり屋なの… どうか、ルシオラのコトをよろしくね!」


 フィオナは早くも焼きたてのクロワッサンを頬張っていた。

 濃厚なバターの香りがここまで漂ってくる。


 メナスは、ベーコンエピをトングでトレーに載せたところだ。


 シンが、あの人懐っこい笑顔で優しくシャウアに頷いた。


「良かったわね、シャウア… 可愛いお店だね… 長年の夢が叶ったのね…」


 ルシオラは、すでに涙ぐんでいた。


「ありがとう、ルシオラ! だから私もう大丈夫よ… だからこれからは、あなたはあなたの人生を生きて!」


 シャウアの表情はとても穏やかで幸せそうだった。

 ルシオラの胸の奥で、もう何年も居座り続けていた硬く冷たい大きな氷が、暖かな光に包まれて溶けていくのを感じた。


「良かった… 本当に良かった… ごめんね…  守ってあげられなくて… 本当にごめんね…」


「ううん… 私の方こそ心配かけて… ずっと探してくれてありがとう… 大好きよ、私のお姉ちゃん!」


 ルシオラとシャウアは涙を流しながら抱き合った。


 それを見ていた新しい友人たちも笑顔で祝福してくれている。


 良かった… 本当に良かった…



 そこでルシオラは目を覚ました。

ここはギルド本部の単身者用の個室… 時間はまだ深夜のようだった。


 ルシオラは自分の頬に手を伸ばすと、恐る恐る指でなぞってみた。

どうやら本当に涙を流していたようだ。


 その後彼女は肩を震わせて、声も出さずにしばらく泣いた。


 長年住んだこの部屋ともそろそろお別れだ。

 一番の悲願が達成された日に、命を失いかけた。

 今までの私は一昨日死んで、明日から新しい人生が始まるのだ。 ──そう思った。


 枕の下から金属製の棒を取り出して、そっと胸に抱きしめてみる。

 それは、あの謎のゴーレムから射出されたクロスボウの矢だった。


 ルシオラは、貴重なサンプルの筈のそれをこっそり持ち帰っていたのだ。


 どれ程の速度で打ち出されたらこれだけの熱を帯びるのか… 金属の表面がただれて焼け焦げていた。


 それを素手で掴み取って私の命を救ってくれた人…


 自分の人生を奪う筈だった、この冷たく硬い金属の棒が、何故だかこれからの人生を守ってくれる『お守り』のように思えた…


(ルシオラ… どうか驚かないで欲しい…)


 どこからか優しい声が響いた。


 気がつくと、その者たちは暗い室内にいつの間にか立っていた。


 ふたつの人影… ひとつは長いローブにスタッフを手にした長身の人物… もうひとつは子供のような小柄な人物だった。


「あなた… たちは…」


 ルシオラは悲鳴をあげるタイミングを失ってしまった。 と言うより、現実感がなく夢の続きのように思ったのかも知れない。


 ルシオラは枕元から銀縁の丸眼鏡を取ってそれをかける。


 いくら目を凝らしても、二人の顔を見る事が出来ない。 部屋が暗いとかは関係なく、首から上がどうしても認識出来ないのだ。


(私は… ユリウス・ハインリヒ・クラプロスだ)


「三賢人の⁈ 大魔導師のユリウス・ハインリヒ・クラプロス様…⁈ 生きていらっしゃったんですかっ⁈」

(そうだ… 私が不遜にも三賢人などと呼ばれていたユリウスだ… 突然こんな形で訪ねる無礼を許して欲しい… どうしても君に会って伝えたい事があったんだ…)

「暗くてお姿が見えません… 今明かりを──」


 そう言いかけたルシオラを人影は片手で制した。


(すまないルシオラ… 私たちの顔を見せる事は出来ない。 だから【認識阻害リコグニション・ブロック】の呪文を使わせてもらっている)

「そんな… 私は以前ユリウス様にお会いしたコトがあります! 9年前に… ウィリアム大司教様と一緒に!」

(もちろん、覚えているよ… だが今の私の姿は誰にも知られたくないんだ… 私の我儘わがままをどうか許して欲しい)


 ユリウスの声は思念テレパシーの呪文により、ルシオラの頭に直接届いていた。

思念テレパシーの呪文は相手の脳に直接意思を言語として届ける。 だから本来は声色までは再現されない… しかし知り合いからの思念テレパシーは脳が勝手に記憶の声で自動再生してしまうのだった。

 したがって現在のルシオラには、ユリウスの声がシンの物だとは認識出来ない。


「今までどこで何を… それより7年前に一体何があったんですかっ⁈」

(悪いがそれも話す事は出来ない… 私たちは… 君も知っているね、私とウィリアム大司教と錬金術師のミュラーは人知れず交友関係を結んでいた… その過程で有意義な物もいくつか産み出す事が出来たが、ある時決して開けてはいけないパンドラの箱を開いてしまったのだ…)

「パンドラの… 箱…?」

(そう… だからウィリアムはああした決断をし、私たちは人の世から身を隠した… それはこれからも変わらないだろう……)

「それは… 私たちが知るコトは決してないのでしょうか…?」

(ない。 それだけは断言しよう)


 納得は出来なかったが、これ以上追求しても結果は変わらないだろうとルシオラは悟った。


「それでは… 私に… どんな御用があるのでしょうか…?」

(私は人の世界を離れ、長く闇の底に沈んでいた… しかし最近目が覚めて世界の様子を眺めた時いくつかの異変に気が付いた… そしてそれとは別に、私たちが姿を隠した事で一時王国の治安が悪くなっていた事も知った。 私たちを探すために少なくない数の王国兵士や冒険者たちが動員され、犠牲者さえ出してしまった事も… それは大変申し訳なく思っている…)


 ルシオラの脳裏に一瞬、懐かしいシャウアの顔が浮かんで消えた。


「それを… わざわざ私に伝えに? なぜ私なのですか…?」

(それを調べている過程で君の事を知った。 随分私たちの捜索に注力してくれていたようだね。 冒険者として、ギルド職員として… 感謝するよ)

「いえ、それは……」

(そして君の大切な友人が、私たちの捜索で行方不明になった事も……)

「……」


(これは私の罪悪感を埋めるための愚かな自己満足であって、決してこれで許して欲しいなどとは思わないが、もし何か少しでも私に力になれる事があったら言って貰えないだろうか…? 例えば… 何か叶えて欲しい願いとか……)


「……⁈」


 ルシオラははっと顔を上げた。

言葉の意味がすぐに飲み込めなかったのか、それともユリウスの真意を測りあぐねていたのか… しばらく言葉を発する事が出来なかった。


(なんでもいいんだ… 私にできる事なら… 私に償いをさせてくれ…)


 いったん唇を開きかけて、ルシオラはまた言葉を飲み込んだ。

目を閉じてゆっくりと大きく息を吐き出す。


「ありがとうございます。 お気持ちだけ頂いておきます。 私の一番の願いは先日叶いました。 行方不明の友人の消息が分かり、その憎むべき犯人たちももうこの世にはありません」


「そして、二番目の願い… それも今叶いました。 戻ってきて下さらないのは残念ですが、賢人の貴方が生きてらっしゃる事が判明したのです」


「後はもう、私には自分で叶えられる願いしかありません。 今の願いは新しい友人たちと共に、少しでも世の中のためになるよう冒険の旅を続けるコトです」


 言い終えたルシオラの表情は、とても晴れやかだった。

 じっと耳を傾けていたユリウスはゆっくりと深く頷いた。


(ルシオラ、思った通り君は素晴らしい女性だ……)


 そう言うとユリウスは、彼女に片手を差し出した。


(おいで… 私から君にささやか・・・・な贈り物をさせて欲しい…)


 その声は、まるで天から舞い落ちる粉雪のように、優しくルシオラの胸に降り積もった。

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