5日目 ~かさなるみずおと~①




 あの優しくて、そして儚い魂たちの輝きを見てから、俺は『イノチ』というものの意味を考えずにはいられなくなった。


 別に哲学的なことを考えているわけではない。


 ただほんの少しだけ、自分の生きている意味というヤツがどんなものか知りたくなっただけだ。


 もっとも、そんなものが本当にあるかと問われれば、きっと俺は『ないんじゃないこともないんじゃないか?』と答えると思う。要するに、あると言えばあるし、ないと言えばない、ということだ。


 そもそも生きている意味なんて、人によって千差万別津々浦々だ。『そんな非科学的なものは存在しない』と言い張る堅物の科学者も居れば、『サボテンに聞けば分かる!』と力説する花屋の親父――死んだ俺の父さんのことだ――もいるだろう。


 結局のところそれは、『1+1は?』なんていう簡単な問題ではなく、『一郎と三郎、女の子にもてるのはどっち?』というような、ある種の理不尽なイジワル問題なのだと俺は思う。自分で適当な答えを出すしかない、答えのない問題だと。


 ちなみに俺はまだその答えを出していない。出せるだけの時間があるかどうかすら怪しい状態だ。



 世界が終わるまで――残り三日。



 ずっと晴れ渡っていた那乃夏島の空に、暗雲注意報が出始めていた。








     ※






「くもくも~、もくもく~、くももく~、もくくも~~」


 店の前をほうきで掃きながら、明らかにオリジナルと分かる歌を歌う衣留を、鉢植えの手入れをしていた俺は横目で眺めた。


「なあ、衣留? なんなんだ、その歌は?」

「実は作詞作曲、私なんです」


 いや、言われなくてもそれは分かる。


「今日は空が青くないな~って思いまして、そんなハートを歌にしたんですけど……どうでしたか?」

「いや、どうと言われてもな」


 俺は手を休めると、衣留と同じように空を眺めた。

 本日の空模様は、ねずみ色の毛布をぎっしり積み重ねたかのようなくもりだった。もとは超高級羽布団のようだったはずのフワフワな雲も、ここまで重ねてしまうとゴワゴワに見える。そのせいだろうか、今日は一度もお日様が顔を出していない。


「まあ、誰だってゴワゴワな毛布で昼寝したいとは思わないか」

「店長、何か言いました?」

「いや、なんでもない。それより掃き終わったらゴミ出しも頼むな」

「はい。おまかせあれです」


 様にならない敬礼をする衣留を見送り、俺は再び鉢植えの手入れに戻る。


 那乃夏島で迎える五日目の朝は、昨日までと違ってどこか気怠いものだった。

その原因は実にシンプルで、早い話、ゴールに定めていた目標ポイント――花畑造りのことだ――を、予想以上のスピードで通過してしまったせいだった。


 それも予想の斜め上というか、少しだけ中途半端な形で。


「自分だけの最後を送って欲しい……か……」


 昨夜、ミズミカミさまが言った言葉を思い出す。


 太陽が手を振りながら西の海に沈み、空に星の瞬きが見え始めたところで、ようやく泣きやんだミズミカミさまは満足したような顔で俺たちにこう言った。


『花畑……もういいから……だからあなたたちは、自分だけの最後を送って欲しい……』


 それは寝耳に水どころか、寝耳に瞬間接着剤を流し込まれたくらい突然の言葉だった。


 これまでずっと俺は、自分の最後の時が、花畑を作りながらのものになるだろうと思っていた。確かに昨日、一つの花畑が完成したのは間違いない。しかし俺の感覚からすれば花畑一つではまだまだ『花いっぱい』とは言えず、今日から少しずつお店の花を移動させていこうと思っていたのだ。


 その矢先に鳴り響いた、予想外のゲーム終了のホイッスル。肩すかしというか燃焼不足というか、とにかくそんな感じだ。


 もちろん俺も、ミズミカミさまの気持ちが分からないわけではない。


 自分へのお供えもの、と言って花畑造りを依頼したミズミカミさまだが、本当にお供えしたかったのが誰なのかは、昨日の出来事から簡単に推理することができた。ミズミカミさまが本当に花を見せてあげたいと思ったのは、あの子供たちの魂に違いない。少しでも子供たちを慰めたいと思い、それで俺に依頼したのだ。


 だからこそ、昨日子供たちの感謝の言葉を聞いたことで、ミズミカミさまの心のシーツに染み付いていた汚れが綺麗さっぱり洗われてしまったのだろう。子供達は自分の思いを十分に分かってくれているのだと知り、肩の荷が下りたに違いない。


 しかし逆に俺の心のシーツには、黒いシミがじわじわと広がることになってしまった。


「自分だけの最後、か」


 俺はぐるりんと首を巡らせ、店内に溢れた花たちをゆっくりと眺めた。曇のせいか、今日の花娘たちは少しだけアンニュイそうだ。


 いや、曇のせいではない。

 きっと彼女たちが気落ちしているのは、もうすぐ世界ごと自分も終わるというのに、自分を見てくれる観客が俺と衣留の二人しかいないからだった。


「…………」


 目の前に迷子で泣いている小さな子供がいて、それを見て見ぬふりしたかのような罪悪感が、俺の身体を支配しようとする。


 もの言いたげにこちらを見てくる花娘さん達から、俺は顔を背けようとした。

しかし店内はどこもかしこも一生懸命に花を咲かせる乙女たちばかりで、正直、目のやり場がない。


 唯一、咲き誇っていない乙女と言えばレジカウンターの脇に置かれたイノチノシズクだけなのだが、ではイノチノシズクを見ればいいかというと、そう言うわけではない。すでに十分な茎を伸ばし、何枚かの葉っぱまで出しているイノチノシズクも生きることに一生懸命で、やはり目を背けたくなる。


 しかし目を背けるより早く、ふと俺はあることを思い出した。


 そういやイノチノシズクって、たっぷりの光がないと育たないはずじゃなかったか?


「この天気だとヤバイか?」


 春を待ちわびる子狐のように軒先から顔を出し、俺は空を見上げた。

 灰色のブランケットはやはりゴワゴワで、あまりにゴワゴワすぎて今にも空は泣いてしまいそうだった。


「衣留、ちょっと留守番頼んでもいいか?」

「いいですけど……どこに行くんですか、店長?」


 ゴミ出しから戻ってきた衣留に向かって、俺は空を見上げながらこう告げた。


「ちょっと太陽買いに行ってくる。すぐに戻るから」

「ほわっと?」


 首をかしげる衣留を尻目に、俺はスクーターの鍵を握りしめ、店の外に飛び出す。


 たっぷりの光は、俺の元には降り注いでくれなかった。






     ※






 リサイクルショップや雑貨屋や駄菓子屋の様なお店には、何とも言えないワクワクがあると俺は思う。宝探しのようなドキドキ感と言い換えてもいいのかもしれない。山と積まれた商品の中には、きっと自分に見付け出して貰いたがっている宝物があって、長い発掘作業の末にそいつを見付けることが出来たならば、すばらしい達成感と満足感を味わうことが出来るだろう。


 ホームセンター『ノノムラ』もまた、そんな感動体験を提供してくれる店だった。

 駐輪場にスクーターを停めた俺は、すぐさま自動ドアをくぐり、明るい店内に記念すべき第一歩を踏み入れた。


 俺がここに来たのは、ひとえにリーズナブルな太陽を購入するためだった。早い話、太陽の代わりに光を放ってくれるライトを買い求めに来たのだ。花屋ではまれにだが、なかなか背の伸びない花に対して人工光というドーピング剤を注射して、成長を促してやることがあった。


 店内に足を踏み入れた俺は、天井から吊されている商品ジャンルの札を眺め、目当ての宝物がどこに埋まっているか探しだそうとする。


 と、そこで聞き覚えのある無感動ボイスが俺の耳をノックした。


「いらっしゃいませ。良い終焉です」


 石膏型に残しておきたいくらいの御辞儀をしていたのは、予想通りというか何というか、スミレ2800さんだった。


 そういや、ここでバイトしてるんだったな。


「何かお探しでしょうか、皆垣草弥様?」

「あ、ああ、実は……」


 俺は電灯……それもなるべく明るい電灯を探していることを告げる。

 スミレさんは一つ頷くと、


「なるほど、つまり皆垣草弥様はこうおっしゃりたいわけですね? 君の頭上にある天使の輪の輝きに惚れた、どうか俺の心を明るく照らし出してくれ、と」


 ちょっと待て。


「どういう連想ゲームの末にそこに行き着いたのか聞かせてくれ、マジで」

「貴方の心の内を読み取った結果です」

「かってに人の内心を捏造するな」

「金色に輝く天使の輪は、伊達ではないのです」


 いや、もう意味が分からないから。


「確かにこの感覚は、天使の輪を持たない草弥様には理解しがたいのかもしれませんね」


 スミレさんはやれやれと首を横に振ると、すっと腕を上げ、人差し指でとある方向を指し示した。


「草弥様、彼女をご覧下さい」

「……?」


 スミレさんの指先から伸びる、目に見えないレーザー光線を追う。

 レーザーが行き着いたのは、レジカウンターでマネキンのように立ちつくすアンジェロイドのオネーサンだった。黄色い髪で、頭上にはスミレさん同様、やはり金色の輪っかが浮いていた。


「彼女は汎用型アンジェロイド、ルピナス1280です」


 次いでスミレさんは、ペットコーナーで子犬相手に四苦八苦している赤い髪の小柄なアンジェロイドを指さす。


「さらにむこうのペットコーナーで働いているのが軽量型アンジェロイド、ホウセンカ1050になります」

「みんな花の名前プラス数字なんだな」


 どうやらアンジェロイドの名前というのは、『花の名前+四桁の数字』というふうに決まっているらしい。


 ちなみに数字には法則性がないように感じられたが……

 いや? でもちょっと待てよ?


「そういや、ちょうどホウセンカやルピナスの鉢植えを買うと、そのくらいの値段だな」


 スミレさんの『2800』も、ホウセンカさんやルピナスさんの『1280』や『1050』も、よくよく考えると何かの値段のように思える。


 とはいえ、俺はすぐに自分の考えに『否定』のスタンプをペタコンと押した。

普通に考えれば、名前に値段が付いているなんてことがあるわけは……


「良くお気づきになられました」

「……は?」


 わずかに感心したようなスミレさんの顔を、俺はまじまじと見つめた。


「草弥様がおっしゃられた通りです。ワタクシたちアンジェロイドの名前の後ろについた数字は、そのアンジェロイドの値段――すなわち雇ったときの『時給』を現しているのです」


 俺は思わず口をぽかんと開けた。


「…………時給?」

「時給です」

「……マジっすか?」

「大マジです」

「いや、だってそんな……名前に値段が付いてるだなんて……」


 俺の感じた衝撃というかショックは、思いの外、大きなものだった。


 だってそうだろう。名前に本人の価値を示す数字を付けるなど、俺の感覚からすれば不謹慎極まりないものだった。一番目に生まれたから『一郎』、三番目に生まれたから『三郎』と名付けるのとは訳が違う。誰だって名前の後ろに値札を付けられたら嫌な気分を味わうだろうし、俺も自分の名前が『皆垣草弥980円(税込)』とかだったら、間違いなく世を儚み、名を捨てて坊さんになるだろう。


「何を考えているのか、だいたい予想できますが」


 スミレさんは複雑そうな目で俺を見つめると、


「ワタクシたちの命名法について、草弥様がどのような意見をもたれても別に構いません。しかし、これだけは申しておきましょう」


 時間給二八〇〇円という割と高給取りであるアンドロイド型天使さんは、フツーの人間である俺に向かってこう言った。


「草弥様たち『人間』と違い、ワタクシたちアンジェロイドは、自分の生きている意味を生まれながらに知っています。それは、とても幸福なことです」

「……生きている……意味?」

「その通りです」


 スミレさんは大仰に頷く。


「以前にも申しましたが、ワタクシたちアンジェロイドは、那乃夏島に移住された方々が最後の七日間を滞りなく生活できるようにと、七日という期限付きの命を与えられ、創り出されました。すなわちワタクシたちの存在意義は、労働ということになります」


 誰かの為に働く。


 自分たちアンジェロイドはその為だけに創り出され、その為だけに生き、そして終わってゆくのだと、スミレさんは語った。


「もしかしたら草弥様は、与えられた『意味』しか持たないワタクシたちを、憐れな存在と思われるかもしれません。あるいは操り人形のようなものだと、儚むかもしれません。しかしワタクシたちアンジェロイドからすれば、生きる意味を自ら探さねばならない草弥様たち人間の方が、よほど大変だと思うのです」

「…………」

「そしてそう思うからこそ、ワタシは不思議に思えてなりません。生きる意味を探さねばならないというのに、なぜ草弥様はここに移住されたのですか? わずか七日で終わってしまう、那乃夏島という世界に」


 スミレさんはじっと俺を見つめ、そう尋ねる。

 ここにきて俺は、ようやくスミレさんの瞳を染めている複雑なカラーリングの正体を察知することが出来た。


 スミレさんの瞳を染めている色、それは様々な『心配』がマーブリングのように混ぜ合わさったものだった。


 天使としての性質だろうか、きっとスミレさんは本気で俺のような人間を心配しているに違いない。


 もっともその心配色を別の色に塗り替えることは、俺には出来そうになかった。


「なんでだろうな……」


 俺はスミレさんから視線をはずすと、ホームセンターの中をおもむろに見渡した。雑多極まりない商品たちが、運命の相手との出会いを夢見、無言で待ち続けている。


 いったいこの中のどれほどが、運命の相手に出会えるのか?


 そう考えた俺は、きっと多くの商品たちが運命の相手に見いだされることなく忘れ去られてゆくのだろうと思い、それは生きる意味にも当てはまることだと思った。

 何度も言うが、人の生きる意味など千差万別津々浦々だ。ホームセンターに並ぶ商品のように雑多極まりないに違いない。


 そんな中から本当に自分にとっての宝物を見つけ出すのは、とても大変なことだと俺は思った。


「……申し訳ありません、草弥様」


 無言のまま商品を眺める俺をどう思ったのか、スミレさんは無表情のまま、わずかに目を伏せた。


「差し出がましいことを申しました。天使の戯れ言とお聞き流し下さい」

「いや、別に……」

「まことに申し訳ありません」


 スミレさんは深々と頭を下げた。その姿からは、俺に対する申し訳なさがジワジワとにじみ出ている。


 しかしやはり俺では、そのシミを消すことも塗り替えることも出来なかった。


「……電灯を買いに来たんだけどさ……その……どこにあるか分かるか?」

「こちらになります」


 スミレさんの後について、俺はホームセンターの奧へと入ってゆく。


 俺の生きる意味がその辺の棚に陳列されていないか探してみたが、やはりというか見つからなかった。








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