お見合い結婚します―僕たちやり直すことにしました!
登夢
第1話 赴任前になじみのスナックに立ち寄った!
秋の雨が降っている。お彼岸も過ぎてもうあの暑い日は戻ってこないだろう。僕は冬の寒さは気にならないが夏の暑さが苦手だ。それに人一倍の汗っかきだ。
今日は実験台とファイリングボックスの後片づけに時間がかかった。暗い道を駅へ向かう。徒歩で10分くらいだ。雨は激しくはない。すぐにマンションに帰ってもいいがもう誰もいない。スナック純に寄って行こう。一杯飲んで何か食べてもいい。
駅前にあるスナック純は直属の上司である森本さんがひいきにしている店だ。入社してここの研究所に配属された時に初めて連れて来てもらってから、二人で来ることが多かったが、このごろはひとりでも時々寄って帰っている。
スナック純はごく普通のスナックで、止まり木が6脚と4人掛けのボックス席が2つある。研究所の忘年会や送別会の2次会でも使っていて、ママの純子さんとはもう顔なじみになっている。アラフォーのすごい美人で、気さくで話し相手になってくれる。
8時を過ぎて混んでいるかなと思ったが、やはり雨の日だからか、空いていた。それに今日はまだ火曜日だった。年配の男性客が二人で飲みながらカラオケで歌っている。
「市瀬さん、お久しぶり。森本さんは?」
「今日は一人です。水割りを作ってくれますか? オムライスもお願いします」
「お疲れのご様子ね」
「ああ、ここは9月末までで、関西の研究所へ異動することになっているから、引継ぎやら後片付けで遅くなった」
「ええ、初めて、お聞きしました」
「ママはまだ僕のうわさ話を聞いていないんだね。いずれ聞くと思うから僕の口から話しておくけど、3か月前に離婚したんだ。研究も一区切りついたので、心機一転、転勤の希望を出したら、10月1日付で関西の茨木研究所へ異動になった」
「市瀬さんが離婚だなんて、信じられないわ」
「実は僕も今でも信じられないけど、もう終わってしまったことだ。僕が悪かったんだ。僕の妻への気遣いが足りなかった」
「理由は分からないけど、一方だけが悪いと言うことはないと思います。これは私の経験からだけど、どちらも悪いのです。決して市瀬さんだけが悪い訳はありませんよ」
「ママも離婚の経験があるの?」
「ええ」
「知らなかった」
「あまり人に話すようなことではありませんから。市瀬さんは心機一転して良い人をもう一度探したらいいわ」
「今は精も根も尽き果てているから、そんなこと考えられないし、仮にそういうことになってもまたうまくいかないような気がする」
「怖気づいてはいけません。同じ失敗を繰り返さなければいいのですから、そのうち気持ちも変わってきます」
「ママはどうなの?」
「私はもうこの歳だから諦めました。市瀬さんはまだお若いのだからやり直せるわ、きっと」
「そういうママも諦めないで。いい人いないの?」
「いないこともないけど、彼もバツイチで、お互いになかなか踏ん切りがつかなくて」
「やっぱり、怖気づいている?」
「そうかもしれませんね。人にはそう言えても、自分のこととなるとやっぱり考えてしまうわ」
「そうなんだ」
オムライスが出来上がった。ママの作るオムライスはうまい。ここで食事をするときは必ずこれにしている。
年配の客が交代で歌っている。それが耳に入ってくるが、不快ではない。今の僕の心を紛らわせてくれる。
どこかであったような歌詞が聞こえてくる。じっと聞いていると思わず身につまされて泣けてくるような歌だ。
「ママ、あの歌、曲名は何というの?」
「『22歳の別れ』という曲です。いつもあの歌を必ず歌っておられます。思い出の歌だそうです。若いころに同じような経験をしたとかで」
「へー、そういうことって結構あるんだ。僕も学生のころ同じような経験があるんだ。歳はもう少し上だったけどね」
「市瀬さんにも? だから歌にもなっているのかもしれませんね」
オムライスを食べ終わった。その歌を聞いて同級生の
歌っていた年配の二人連れは帰って行った。お客が途切れている。
「僕も帰ります。これで最後になるかもしれませんが、こちらへ来たらまた寄せてもらいます。お世話になりました。ママも頑張って」
「ありがとうございます。お元気で頑張って下さい。また、良いことがありますよ。きっと」
「ママにもね」
帰りの電車に乗った。マンションのある最寄りの駅までは15分くらいで、それから徒歩で5分くらいだ。マンションの自分の部屋だけ明かりがついていないのがとても寂しい。
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