第二話 旅の準備
スヴェドボリ山の自分の住処に戻ってきたオーケビョルンは、洞窟の奥の方で腕を組んでいた。
「旅に必要なもの……のう。と言ってもわしは
そう、旅の準備をしようにも、準備する必要のある荷物が殆ど無いのだ。
これまでの作品出版で得た金はあるが、その全てをマルクスに管理してもらっているし、今回の旅でもマルクスが持ち歩くことになっている。
執筆道具はそもそも使わない。自分の爪が筆であり、そこら辺の石や岩が紙だからだ。
食料や水は必要だろうが、別に一日二日食べなかったとしてもさして問題はない。それに一度の食事で結構な量が必要になるから、持ち歩くのは大変だ。どうせなら肉は新鮮である方がいいし。
服や下着は持っていないし必要としない。人間に変化する時は服も一緒に魔法で作り出せる。
いっそエネルギーの消耗を抑え、ついでに荷物をコンパクトにするために、変化魔法で人間になって行動したほうがいいだろうか。
そこまで考えて、オーケビョルンはぶるぶると首を振った。
「いやいや、いかん。変化魔法は必要じゃが、常からそうしていては意味がないんじゃ」
そう独り言ちるオーケビョルンだ。
人間の姿になることが必要な場面は絶対に出てくるだろう。しかし
すなわち、移動手段としての翼である。
短い時間で大きな距離を移動できるのは、旅において非常に有用だ。
「空から見た風景を詩に記すのもいいじゃろうなぁ……人間の目では見えない風景が見えるやもしれんしなぁ」
そんなことを言いながら、彼はまだ見ぬ世界の風景に思いを馳せた。
どこまでも広がる草原に、広々とした砂漠。真っ白な雪原に、急峻な山脈。そしてその世界に生きる人々と、人々の造り上げる街。
どんな風景が、どんな光景が自身を待っていることだろうか。
年甲斐もなくわくわくしながら、老竜はにんまりと笑った。
「とりあえずあれじゃな、保存食くらいは用意しておこう。洞窟にため込んどいた肉や果物を腐らせるわけにもいかん」
ずんずんと洞窟の奥の方に歩いていきながら、オーケビョルンは旅の準備を進めていった。
肉は乾かして干し肉にし、果物はドライフルーツにし、それらを革袋に詰めて持ち運べるようにした後。
オーケビョルンは洞窟の外に出た。
ばさりばさりと翼を羽搏かせながら空中に静止して、自分の住処である洞窟の入り口に視線を向けると。
彼はその口を大きく開いた。
「グオォォォン!!」
咆哮がスヴェドボリ山に響き渡る。
竜語魔法の一つ、隠匿の魔法だ。場所や物体を魔法で覆い隠し、一見してそこに何もないかのように見せかけることが出来る。
元々は
状況を確認したオーケビョルンがこくりと一つ頷く。
「よし、行くか」
そうして彼は山の麓、マルクスの待つ屋敷へと飛んでいった。
屋敷に舞い戻ってくると、マルクスはどうやら準備を進めている真っ最中だったようで、忙しなく自室の中を動き回っていた。
窓から中を覗き込むと、トランクにペンやら紙束やらを詰め込んでいたマルクスとちょうど目が合う。
オーケビョルンがこうして準備を終えてやってきたことに、どうやら驚いている様子だった。
「オーケビョルン、もう準備が終わったのかい!?」
「うむ、終わった。洞窟の入り口にも隠匿魔法をかけてきた。ばっちりじゃ」
「流石に早いなぁ……準備するものが多くないのは予想していたけど」
トランクの中に荷物を詰め込む作業を続けながら、感心したように言葉を零すマルクスだ。その手の動きは一切休むことがない。
ひっきりなしに準備に動き続けるマルクスの姿を見て、オーケビョルンは目を丸くしていた。
「そういうお前さんは、随分準備に手間取っておるようじゃな?」
「仕方がないんだ! 屋敷のメイドたちに僕がいない間の指示を出さないといけないし、君と違って荷物が多いんだから! お金だって君のものとはいえ、僕が持ち運ぶんだぞ!」
「うむ、あいすまん」
悲鳴を上げるように大声を上げたマルクスに、老竜は頭を下げるほかなかった。
実際、マルクスにかかる負担は大きい。屋敷の中には彼が面倒を見ているメイドがいるから不在の間の仕事や屋敷の保全をお願いする必要があるし、マルクスがいない間も彼へと届けられる書類やら仕事やらはあるだろう。
それに、マルクスは人間だ。オーケビョルンと違って服も、お金も、持たないと旅行が出来ない。
申し訳なさそうに下げた頭を戻しながら、確認するようにオーケビョルンが口を開く。
「ひとまず、バーリ公国の中を巡るという話じゃったな?」
「ああ、まずはここの傍にあるルーテンバリを開始地点にして、だいたい一月ほどかけて巡り、必要であれば国の外にも出ていこうという流れだ。君が飛んで移動してくれるから手早く動けて助かるよ」
頷いたマルクスがトランクに服を詰め込みながら言った。
ルーテンバリはバーリ公国の中央部、スヴェドボリ山の麓に作られた村落の中で最も大きな村だ。山の周辺にある村々の取りまとめを行うほか、物流の起点にもなっている。
オーケビョルン自身も何度か訪れたことのある村だ。彼が作った石板の生原稿がモニュメントとして置かれていたりもする。
見知った村から始まる旅。その行く末に期待の色を見せながら、オーケビョルンが笑った。
「ま、目的はわしが作品を作るためのインスピレーションを得るためじゃし、わしがスランプから脱却することじゃからな。気の向くまま、気楽に行こうじゃないか。のう?」
「気楽に言ってくれるなぁ……まぁいいさ、僕としても君の旅に同行して得られるものは数多いだろうしね。君の思うままに行こう」
苦笑を零すマルクスだが、老竜の言葉に異を唱えることはしない。荷物を詰め込む手を一時休めて、肩を竦めながら改めて微笑んだ。
そうしてお互いに見つめ合って笑ってから、再び動き始めるマルクスの手だ。トランクの中に次々服が詰め込まれていく。
「で、それはそれとして、悪いけどもうちょっとそこで待っていてくれるかい? まだ荷物を詰め終わっていないんだ……」
「おうおう、焦らず支度するんじゃぞ。忘れ物などあってはいかんからな」
焦った様子で準備を進める友人に、オーケビョルンは苦笑しながら優し気な視線を送っていた。
長い旅になるのだ、住み慣れたスヴェドボリ山に戻ってくるのはだいぶ先になるだろう。この屋敷にも。
人間なら特に念入りに準備をしなくてはならないだろうな、と思いながら、革袋から取り出したドライフルーツのスモモを取り出して、その大きな口に含んだのだった。
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