第24話 もう一度、魔術学校へ

 幼年学校を12歳で卒業してすぐに入った魔術学校は、2年生から3年生に進級する前に辞めてしまった。裕福な家庭では、幼年学校を出てから魔術学校や士官学校や高等教育を受けられる学校に通うことは珍しくないが、そうでない場合には仕事を持って働き始めることが多い。特に6歳から12歳までの幼年学校は、セイリュウ領ではサナの意向で、学費が免除で、給食が出るということで、一食分の家計が助かると貧しい家でも通わせているが、魔術学校や士官学校やその他の高等教育を受けられる学校となると、学費がかかるようになる。

 成績優秀者は学費免除になるようにサナが改革を進めたが、そうでないものは働いて学費を貯めてから魔術学校に通うこともあった。学費が足りなくなって辞めていくものや、成績が落ちて学費免除が受けられなくなって辞めるものも少なくはない。できる限り領民の教育水準を押し上げようとするサナの政策も、順調とはいえなかった。

 もう一度魔術学校にイサギが通い出すことは、サナの願いでもある。勉強を投げ出して逃げてしまった領主の従弟が学校に戻ってくるのだから、注目されていることには気付いていた。

 領地の中心街にある魔術学校には、寄宿舎もある。魔術学校が作られるまでは、王都に行かなければ魔術教育は受けられなかったので、学校ができてから、魔術学校のないモウコ領やコウエン領からも生徒が移り住んで来ていた。

 セイリュウ領の領主になってから一番に手を付けた政策がそれで、7年前に完成した校舎はまだ真新しい。食堂や運動場、体育館、中庭、図書館、ホールもある。

 2年目の途中で辞めてしまった上に、在学中はずっとツムギの後ろに隠れていたイサギは、教科書をカバンに詰め込んで、教室の隅の席に目立たないように腰かけた。カバンの中には、エドヴァルドの作ってくれたお弁当が水筒と一緒に入っている。

 魔術学校の制服は、濃い緑のチェックのジャケットと濃いグレーのパンツかスカートで、ジャケットの裾の長さと、パンツとスカートの丈や幅は個人で選べて、中に着るシャツは自由だった。緑のリボンタイが基礎魔術の下級生の証、上級生になるとグレーのリボンタイをつけるようになる。


「もしかして、イサギ先輩?」

「ぎゃー!?」

「きゃー!?」


 濃いグレーのプリーツスカートに緑のリボンタイの少女に声をかけられて、イサギは思わず叫んでしまった。知らない相手に急に声をかけられるなど、挙動不審になっても仕方がない。しかも、相手は自分の名前を知っているなど、怖すぎる。


「一年下だったマユリです。ツムギ先輩にお世話になってて……ツムギ先輩、王都で活躍する劇団員になったって聞いてます」

「めっちゃ叫ばれとる。マユリ、被った猫が剥げてるんやないか?」

「煩い、ヨータ! このひとは、領主のサナ様の従弟さんなんだよ!」

「さ、サナちゃんと俺はなんの関係もあらしまへん。許して……」


 本来ならば領主の従弟妹いとこで、前領主の息子と娘ということで、イサギとツムギは領地でも最高の屋敷を与えられて、何人もの使用人に傅かれて、貴族として生きていくはずだった。8年前にサナを暗殺しようとした事件のせいで、母親に虐待されて操られていたことを考慮しても、イサギとツムギを好待遇で育てるというのは、まだ領主になりたての15歳のサナには難しく、権力争いから離れて隠居生活をしている母方の叔父に預けて育ててもらうのが精いっぱいだった。

 領主の従弟なのだから、産まれた子どもに魔術師の才能があれば次の領主になる資格もあるはずなのだが、そういう権力争いこそイサギにとっては恐ろしく、子どもなどいない方が良いと願っていた。そういう意味でも、イサギにとっては子どもができることのないエドヴァルドとの結婚は願ったりかなったりなのだ。


「授業始まるよ。イサギくんやっけ? せっかく授業料払ってるんやけん、前の方で聞かな、もったいなかよ」


 マユリと呼ばれた焦げ茶色の髪と目の少女と、ヨータと呼ばれた赤茶色の髪と目の少年より少し年上の雰囲気の褐色の肌に黒髪の青年が穏やかに言う。導かれるようにして、前の真ん中の席に座ったイサギは、褐色の肌の青年とマユリとヨータに、囲まれてしまった。

 魔術学校の授業料は決して安くはない。

 授業が始まると、全員が教科書を広げて、教壇に立つ教授に注目する。

 光るチョークで空中に古代文字を書いていく教授に、光が消える前に必死にイサギもノートをとった。魔術学校に通っていたころに、受けたはずの授業なのに、全然覚えていない。それだけ興味がなかったのだろう。

 古代文字を読めるようになれば、過去の文献を読み解くこともできる。

 

「現代に使われている文字と対応しているものもありますが、古代文字特有の文字もあります。中には、意味を持たない、幽霊文字と呼ばれる文字もあります」

「なんに使ったんやろな」

「ヨータくん、良い質問ですね。それを研究者が研究中ですよ」


 静かな教室の中では、ヨータの独り言も大きく響いてしまう。飛び上がって口を閉じたヨータに、教授は授業の続きをした。

 講義が終わると、演習の時間になる。図書館に移動して、古代文字で書かれた文献を持ってきて、実際に読み解いてみるのだ。薬草学の本を探していたイサギは、いつの間にかヨータとマユリと褐色肌の青年に囲まれていた。


「名乗ってなかったね。俺はジュドー。コウエン領から来たとよ」

「俺、ヨータ! 夕方から酒場で働いてるんや。ぜひ、うちの店に食べに来てや」

「あの……覚えてないですか? ツムギ先輩と仲良くしてもらってた、マユリです」

「よ、よろしく……あの、ごめん、覚えてへん」


 愛想のいいツムギは、イサギと違って下級生の女の子に慕われていた気がする。劇団でも男性役をやるので女性に人気があるというから、マユリはツムギのことが好きだったのかもしれない。


「俺はレン様に憧れて術具製作者になりたかったけん、サナ様がレン様を王都から連れて来て、めっちゃ嬉しいっちゃん」

「コウエン領では、レン様のサクセスストーリーは有名やって、何度ジュドーから聞かされたことか」

「それだけ凄い方ってことよね。私は学費免除で通わせてもらってるから、成績落とせないのよ」


 お先にと文献を手に取って図書室を出ていくマユリに、ヨータがイサギをまじまじと見つめる。視線の先には、イサギが抱き締めている薬草学の文献があった。


「それ、難しい奴や、やめといた方がええで」

「俺は、これを勉強したいんや」

「ひとのこと言ってないで、自分のことせんね」

「だって、どれが簡単なんか、分からへんのやもん」

「簡単なのやってたら、勉強になるわけないやん」

「ジュドー、イサギ、俺に教えてぇ」


 古代文字の授業は全然分からないと泣きつかれて、ジュドーとイサギは顔を見合わせる。同じ文献を題材にしても構わないはずだったので、教室に戻って、辞書を引きながら、ジュドーとイサギとヨータで薬草学の文献を数ページ、現代文字に訳した。

 訳した文献から得られた情報で、実践をする宿題が出て、午前中の授業は終わった。


「肉体強化と攻撃の魔術の実践なら自信があるんやけど、座学は全然ダメや」

「それでよく2年に進級できたな」

「マユリとジュドーにめちゃめちゃ教えてもらって、詰め込んで頑張った」

「あのときは大変やった……もう、二度としちゃらんけんね!」


 1年生のときから、この三人は仲が良かったようである。

 マユリが最年少で14歳、ヨータが16歳、ジュドーが最年長で18歳だという。

 中庭でそれぞれお弁当を広げてベンチで食べながら、イサギは三人の中に混じっていた。以前だったら学校でツムギ以外と話すつもりはなかったが、もう一緒にいてくれるツムギはいない。自分なりに居場所を作らなければいけないのは分かっている。


「コウエン領、魔術学校がなかったけん、そのまま工房に入ったっちゃけど、やっぱり、全然勉強が足りんで、師匠マイスターは自分で覚えろって、無茶苦茶やし……」


 基礎ができていないと、才能があっても魔術具製作者にはなれない。丁寧に教えてくれる師匠に拾われたレンは幸運だっただけで、コウエン領ではこんな風に才能が潰されているのだとジュドーは語っていた。


「学ぶ機会があったのに、俺は、辞めてしもうたんや……でも、婚約したし、立派な魔術師にならなあかんから、もう逃げへん!」

「婚約!?」


 身を乗り出してくるマユリに、イサギはお弁当を落としそうになった。大事なエドヴァルドの作ってくれたお弁当を抱き締めて守ると、がくがくと震えながら頷く。


「サナ様の従弟はんやったら、婚約もするやろ。どないなひとなん?」

「青い海のような目が、綺麗で……年上で、優しくて、料理上手で……お胸の豊かな、素敵なひとや」


 作ってくれたサンドイッチは今日も美味しい。もぐもぐと咀嚼するイサギは、ヨータが目を輝かせて「年上の巨乳のお姉様!?」と打ち震えているのにも気付かなかったし、「貴族の婚約なんて、政略結婚でしょ」とマユリが眉を潜めているのにも気付いていなかった。

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