信号待ちのひととき


 その男は少し変わった趣味を嗜んでいた。いや、趣味というよりかは単なる暇つぶしだろうか。ただ少し、やはり普通のとは異なっている。


 出勤中に片側三車線の道路を横断するための信号が設置されているのだが、それにタイミングよく引っかかった時だけ男はすることがある。


 仮想事件推理ゲーム。男はそう呼んでいた。


 内容は簡単だ。制限時間は歩行者信号が青になるまで。大きな道路なので切り替わるのに約五分かかる。それまでに男は眼前に仮の事件を妄想の中で起こし、その真相を推理するといった単純謎解きゲームである。


 男は今日も例の横断歩道手前でちょうど赤信号に阻まれた。二日連続だった。


 男はパイプ代わりにセブンスターを口にくわえ火をつける。シャーロック・ホームズ気取りだった。男は自己中心的で、信号待ちに煙草を吹かすなんてことは躊躇いも感じない人間だった。


 紫煙をくゆらせると、男は広がる視界に注意を向けた。最初に目が止まったのは、横で信号を待っている先頭の赤いフェラーリだった。運転手はサングラスをかけ、髪をワックスで固めた男だった。


 仮に、その赤いフェラーリが突然爆発し、大炎上を引き起こしたらどうだろうか。男はその情景を頭に浮かべてみた。けたたましい爆発音。燃え上がる炎。黒い煙。騒然とする人々。集まる野次馬。撮影する若者。徐々に場面が鮮明となってきた。


 そこで探偵のお出ましだ。警察、消防士が来る前に大まかな真相を推理する。果たして、これは不慮の事故なのか、それとも何者かが意図的に仕組んだ事件なのか。事件だった場合、犯人はどのような人物像なのか。


 男は妄想の中に潜り込む。




 男は野次馬を掻き分け、爆発の衝撃で横転した火だるまのフェラーリに近づいた。すると、何とか運転手を救おうとしている女の姿があった。


「そんなことしても無駄だ」


 男は冷めた口調で言った。


「そんなの分からないじゃない」


 女はハンカチを口に当てながら、ドアの部分を脱いだスーツで火を消そうとしている。意味の無いことだった。


「死んでるさ」


 女はギロりとこちらを睨んだ。たちまち男のいる方に回り込んできて上目遣いをした。


「あなた何、医者ですか。違いますよね。医者でもないのになんでそんなことわかるんですか」


 女は早口でまくしたてた。


「うるさいどけ。捜査の邪魔だ」


「はあ!?」


 額に血管を浮かび上がらせた女をよそに、男は先程の情景を思い返していた。


 突然、赤いフェラーリは噴水に乗り上がるようにして不自然に吹っ飛んだ。普通ならばこれは有り得ない。車が爆発するというのは、その前にボンネットの内部に備わっているエンジンが炎上してからのこと。何の前兆もなく、いきなり爆発するなんてことは自然なら起こりえないのだ。


 つまりこれは事故ではなく何者かが意図した事件。


 男は手がかりが残されていないか探るため、その場にしゃがみ込んだ。


「あの聞いてますか? 捜査ってあなた刑事? てかさっきからなにやって……」


 女が話し終わる頃に、男は彼女の手を取って勢いよく走っていた。


「ちょ、ちょっとなに……」


 女が突然のことで動揺していると、二人の背後で爆発音が轟いた。爆風が男たちを襲う。女は唖然としていた。


「ど、どういうこと?」


 女がさっきより粉々になったフェラーリを見て言った。幸い小さな爆発で済み、男も女も野次馬も無事だった。


「二次爆発さ」


「二次爆発?」


「地面に僅かだったがアルミニウム粉末が散らばっていた。最初の爆発によって元々あった粉末が空気中に拡散して、粉塵爆発を巻き起こした。何かしらの理由でアルミを車内に持ち込んでいたのだろう。それがもし大量だったら、俺たちはもうここにはいなかったろうな」


 女は首を傾げていた。


「よく分からないけど、私はあなたに助けられたってことよね」


「そういうことだ」


「ありがとう」


 女は意外にも丁寧に頭を下げた。


「礼はいらん。それより……」男は顎に手を添えた。「運転手を殺したやつ、いったいどんなやつだろうな」


「殺した?」


「ああ」


「殺したってどういうこと。これは事故でしょ?」


「いいや、事件さ。犯人は存在する。犯人は男のフェラーリの裏側に時限爆弾を設置していたのさ」


「なんでそんなこと言えるの」


「簡単だ。まず車は普通あんな吹っ飛び方はしない。真上に上がるように爆発したってことは、下からの衝撃が加わっている。それは真下の道路か車の裏側に爆弾があったことを示唆している」


「でもあなたさっき、車の裏側に爆弾があったって断言してたわよね」


「ああ。見てみろ」


 男はフェラーリ手前の地面に指さした。


「何よ」


「もし道路に爆弾が設置されてたとしたら、もっと損傷しててもおかしくないだろ。それなのにほとんど無傷だ。密着してたとは到底考えにくい」


「なるほどね」


「それに仮にそうだった場合、特定のターゲットをあそこにおびき出すのはほとんど無理だろうから無差別殺人になるが、だとしても規模が小さすぎる。やるならもっと派手にやるだろう」


 女は得心して二回ほど小さく頷く。


「犯人は運転手を殺すことに成功したわけだが、犯人はそうだな……爆弾を車内ではなく、わざわざ車の真下に設置したのは、被害者とは親密な関係ではなかったのかもしれないな。友人とかなら乗せてもらった際に設置すればいいだけの話だからな。あまり深い関係ではないが、男を憎んでいた可能性は十分に考えられる。だいたい金持ちってのは恨みを買ってるものだ。被害者の実績から嫉妬したと考えるならば、犯人は男か、男は何かとプライドが高いからな」


 女は感嘆としている様子だった。


「あなたやっぱり刑事なの?」


「いいや。ただの銀行員さ」


 女はおかしそうに笑った。


 サイレンの音がどこからともなく聞こえてきた。時間は終わりのようだ。


「じゃあな。もう二度と会わないだろうけど」


 男は軽く手を挙げて去ろうとした。


「さあ、わからないわよ。もしかしたらってのもあるかもしれない」


「ないさ」


 そう吐き捨てて男は去った。




 信号が青になった。男は直ぐに歩きだそうとはしなかった。少しの間、余韻に浸りたかった。


 今日は妄想の様子がおかしかったな、と男は思った。いつもは男以外の登場人物は出てこないのだ。黙々と一人で推理して終わる。それなのに今日は何故かあの女が出てきた。現実でも全く知らない女だった。それも妙にリアルで顔も鮮明に作られていた。妄想なので自分で登場させたのだろうが、なんだか釈然としない。不思議な気分だ。


 男は煙草を捨てて、横断歩道を渡ろうとした。


 すると、後ろから肩を触れられた。男は振り返る。


 男は目を剥いた。妄想に出たきたあの女が目の前に立っているのだ。それもこっちを見て笑っている。


「残念。犯人は私でした」


 その時、右折した赤いフェラーリが大爆発を起こし、衝撃が彼らを襲った。

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