第48話 ネヴァー・イズ・ア・プロミス(2)
(1)
アパートに帰宅すると、真っ暗な玄関先で爛々と輝くヴィヴィアンの目玉が待ち構えていた。
電気を点け、ただいま、と、ヴィヴィアンの頭や顎を軽く二、三度撫でた後、外靴からスリッパに履きかえる。
ヴィヴィアンは長短毛の黒い尻尾をピンと真っ直ぐに立て、エイミーの後をちょこちょことついていく。時折、立ち止まってはちらっとフレッドを振り返るあたり、一応彼のことも気にしているらしい。付き合い始めた当初は彼に見向きすらしなかったというのに。少なくとも週に一度は必ずこの部屋に泊まるからか、さすがに慣れてきたみたいだ。
最も、慣れる=懐くという訳ではないし、フレッドもヴィヴィアンから近づいてこない限りは構ったりしないので、互いに適度な距離感を保っているように見受けられる。
「何か食べる??」
「いや、いい。どうせ、もう寝るだけだし」
「そっか。私、まだやることがあるから、先にシャワー浴びてきて」
「ん、わかった」
フレッドはクローゼットから引き出した男物のパジャマを持って浴室に向かった。
彼が入浴している間にエイミーは部屋のちょっとした片付け、猫トイレの汚れ具合、餌や水の残り具合のチェックを行い、留守番のご褒美と称してヴィヴィアンにおやつのCHU―RUを与えた。スティック状のパウチから練り出されるおやつを一心不乱に舐め取る愛猫の姿に目を細めていると、丁度フレッドが浴室から出てきた。
「あ、いいところに出てきた!ねぇ、CHUーRU食べてるヴィヴィの写真撮ってくれない??」
「はぁ??別にいいけど……、俺のでもいいか??」
「うん。その代わり、あとで私のスマートフォンに写真を送ってね!」
はいはい、と、非常に面倒臭そうにタオルで髪を拭きながら、フレッドはベッドに放ってあった自分のスマートフォンを手に取り、エイミー達に向けて掲げる。
「じゃあ、適当に二、三枚撮るぞ」
適当と言いつつもフレッドはピンボケしないよう注意を払い、シャッターを続けざまに切った。
「ありがとう」
「ん。LINEで送っておくから、それやり終わったら早く入ってこいよ」
「うん、多分、もうすぐで食べ終わると思うから」
ベッドに腰掛け片手で髪を拭き、もう一方でスマートフォンを操作しながら、フレッドは床に座り込んで愛猫にかまけるエイミーの後ろ姿を呆れたように見下ろした。エイミーもまた、フレッドの視線を黙って背中で受け止めていた。
フレッドばかりがエイミーの部屋に泊まり、エイミーが彼の部屋に泊まらない理由はヴィヴィアンを置いて部屋を一晩明けたくないから。今では、エイミーの部屋にはフレッドの私物が増えて半同棲に近い状態だ。
半同棲状態なのは全く構わないけれど、問題はエイミーのアパートがフレッドの職場の図書館からかなり離れていること。そのため、この部屋に泊まった日の翌朝、フレッドは通常よりも随分と早い時間に出勤しなければならない。
この件に関して彼自身は気にも留めていないようだが、エイミーの方では密かな気がかりだった。今はいいかもしれないが、その内負担に感じたりしないだろうか、と。
「はい、もうおしまい!ほら、もうなくなったんだから、いつまでも舐めてないの」
空になったパウチの端を名残惜し気に舐め続けるのを無理矢理引き剥がす。ァオン!と不満そうに鳴くヴィヴィアンを「また明日、また明日ね。いい子でお留守番してたら明日もあげるから」と宥めると、エイミーはシャワーを浴びるために立ち上がった。
(2)
深夜の静寂に包まれてベッドに横たわるエイミーの耳に、時計の秒針の音、窓を叩く夜の寒風、フレッドの穏やかな寝息がすぐ隣から聞こえてくる。
二人並んで眠るにはこのベッドだと少し狭い。自然と体を横向きに、真ん中で向かい合って寄り添うように眠っている。冬は始まったばかり、本番までにはまだまだ至らないけれど、深夜の冷え込みは真冬並みの寒さになる時もある。
肌を重ねたりしなくても、ただ寄り添って人肌の温もりを間近に感じて眠りにつく。たったそれだけのことで、エイミーはこの上なく幸せで安心感に浸れていた。
(でも……、やっぱりこのベッドじゃ窮屈なのよね……)
もう少しお金に余裕ができたら、思いきって新しいベッドを買って、このベッドは処分してしまおう。
実を言うと、一人暮らしをする時に他の家具電化製品は揃えたものの、ベッドを買うお金がどうしても足りず、仕方なく実家で使っていたものを運んできたのだ。
アンティーク調のマホガニー素材のベッドはこの国の王室御用達ブランド製品。虚栄心が強く高級志向な母の趣味であり、自分のような若い女性が使うには身不相応なのだ。それに、このベッドを使い続けることで、未だに実家との繋がりを断ち切れずにいるような気がしてくる。
フレッドとの交際が深まるにつれ、エイミーの中で『実家との繋がりを完全に断ち切りたい』気持ちもより深まっていた。
「……ちょっと!どこ触ってるのよ?!」
「……ちっ……」
思考の海に沈みかけていたエイミーだったが、いつの間にか目を覚ましただけでなく、さりげなく身体に触れてきたフレッドによって一気に現実に引き戻される。
「ちっ、じゃない!明日も仕事だし、今夜はしないよ?!」
「別に触るくらいいいだろうが、減るものでも」
「……それ、オジさん臭いし、ただのセクハラだからね??」
『オジさん』と『セクハラ』扱いにショックを受けたらしく、たちまち渋面を浮かべるもフレッドは黙って大人しく手を引っ込めた。その様子が妙にいじらしく、エイミーは思わずフレッドの胸にそっと身を寄せる。
「ごめんね。怒ってる??」
「これくらいで本気で腹立てる程短気じゃない」
「そっか……、よかった」
エイミーの背中に腕が回され、滑らせるような優しい手つきで繰り返し髪を梳き、背中を撫でられる。
うっとりと目を閉じて心地良さにしばらく身を委ねていると、「少し前から、考えていたけど」と、幾分迷いを含んだ低い声で囁かれた。
その声を半ば夢心地に聞いていたエイミーだったが、次に告げられた言葉によって驚き、再び意識がはっきりと現実に引き戻されることとなった。
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