第4話 蜂蜜キャンディー
夏休みが始まって五日目。
奏は制服に着替え、学校へ向かう準備をしていると、弟に声をかけられた。
「奏も学校なの?」
「うん、バンドの練習。
「そう……って、バンド組んでるの?!」
姉の予想外の活動に、創は思わず声を上げていた。
「うん、この間からね」
「夏休み中も活動するなんて、本格的な部活動なんだな」
どうやら創は自分の剣道部と同じように、部活でバンドを組んでいると思ったようだ。
「創、部活じゃなくてバンド組んでるの」
「本当に? バンド名は??」
普段の奏からは想像出来ない創は、バンド名と動画配信している事を聞くと、その場で携帯電話で検索をしている。
「water(s)……出てきた!」
創の手元を奏が覗くと、携帯電話の画面にライブハウスで演奏した時の映像が流れていく。
初めて聴く彼女達の曲に、奏の歌声に、創は目が晒せなくなっていた。
それは今まで、ピアノのコンクールで賞を獲っていた奏とは違い、高音の声に、長年のピアノで鍛えられた滑らかに動く指先から流れる音色。
普段から音楽を聴く創の耳にも、鮮明に残るようなメロディーライン。
「凄いな……」
創の声に奏は笑顔で応えていた。
「うん! みんな、凄い人達なの!」
自分の事のように嬉しそうに話す姉に、創は返す言葉を見つけられずにいた。弟からすれば、凄い人達には姉自身も含まれるからだ。
「ーー顔出しはしないのな」
「そうだね。今はまだね……」
今はまだ……。
だけど……音楽をずっと奏でられるようになれたら、その時はーー……。
奏はwater(s)でずっと演奏したいと感じながら、彼の待つ学校へ向かうのだった。
練習室の扉を開けると、和也がピアノを弾いていた。男性だから力強いだけでなく、彼の音色は繊細さがあると奏が感じていると、音が止み、彼はいつもの調子で話かけている。
「奏、まずこの曲をギターだけで歌って欲しい」
彼女が楽譜を受け取ると、数日前に二人で作り上げた曲、
和也がギターを弾き始めると、その音に続くように奏が楽しそうに歌っていく。
彼女の詞には、出会いと別れの季節である春の事。彼らと出逢った日の事が描かれている。
この出逢いに感謝しているのは彼女だけでなく、彼自身もまた、奏に出逢えた事。
五人が同じ時を過ごせる事に、感謝しているのだった。
アンダンテなメロディーが終わると、今まで和也が作ってきた曲を奏が歌っていく。まるで最初から彼女の曲のように。
その姿に、彼が求めていた理想的な歌い手をやっと見つけたと感じた……。あの日の事を想い浮かべながらギターを弾く和也がいた。
「一回、デモ撮ってみるか?」
「うん!」
和也の声に奏は勢いよく応え、二人はいつものiPadでメンバーに見せる音を撮影していく。
練習に夢中になると、二人とも休憩を忘れがちになるのは、ここ数日の練習で明らかだ。
今も昼食後、五時間ぶっ続けで演奏している。
「奏、そろそろ帰るか?」
「そうだね。もう六時なんだね」
圭介達がいたら、集中力の途切れない二人に感心していた事だろう。
二人は片付けを済ませると、並んで駅までの道を歩いていく。話題は音楽の話ばかりだ。
奏は蜂蜜キャンディーを舐めると、和也にも手渡した。
「美味しいな」
「よかったー」
「奏は喉の事とかちゃんと考えてるんだな」
「……今までなら、カラオケ行ったりしてもそのままだったけど、和也達と活動するようになってからは飲み物とか気をつけたり……考えてるよ?」
奏は彼をまっすぐに見つめていた。その瞳には夕暮れのせいではなく、光が宿っているように彼は感じていたのだ。
「water(s)に出逢ってから……。みんなに、少しでも近づけるように、私に出来る事はやるって決めたの」
「うん……」
彼女のまっすぐな言葉に、彼は奏でよかったと、改めて感じていた。
二人が別れると、駅のホームで去っていく電車を奏は見送っている。
彼女の右手にある携帯電話の画面には、いくつものフレーズが描かれていた。それは、まるで彼を表すような言葉の数々だった。
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