君のうた

第1話 hanaになった日

　「例えば、自分が消えてなくなっても、この曲が残ってくれてたらいいよ……何十年経っても、ずっと誰かが口ずさんでくれたら、聴いてくれていたら……これ程、嬉しいことはないだろ？」

　「うん……いつか叶うかな？」

　「当たり前だろ？　water(s)の曲を、hanaの歌を……世界中何処にいても聴こえるようにする！」

　あの日から描いても、描いても足りないの。

　自分でも……どうしたらいいのか分からない……。

　あの満月の夜の……君の言葉が忘れられない。

　今日は親友の結婚式。

　純白のウェディングドレスに身を包んだ綾子（あやこ）に、彼女は微笑んでいた。幸せそうな親友の姿に安堵していたのだ。

　「奏（かなで）ー！　今日は来てくれてありがとう！」

　いつもの調子で飛びつきそうな勢いの綾子を、隣にいた男性が引き止めるような仕草を見せた。

　さすが年上の人……。

　奏はそう感じながらも、いつもと変わらない綾子の姿に、高校生の頃を想い返していた。

　綾ちゃんと出合って、もう十五年近く経つなんて……時の流れって早い……。

　新郎新婦のお色直しの入場に拍手がわき起こると、程なくして余興が始まった。主役二人の学生や社会人時代の友人がステージに立ち、流行りの曲で替え歌や編集したビデオレターの映像が流れ盛り上がる中、彼女の番となった。司会者より奏の紹介が終わると、ステージ横のアップライトピアノに腰掛け、二人に向けて微笑んでいる。

　「慎二（しんじ）さん、綾ちゃん、ご結婚おめでとうございます。……二人の為に作りました。聴いて下さい"Dear"……」

　彼女は鍵盤へと指を滑らせ、歌い出していた。

　綾子の為に作ったウェディングソングに、会場内は魅了されていく。彼女の紡ぎ出す音色は、色彩豊かな美しさを漂わせていた。

　鍵盤から手が離れると、一際大きな拍手と歓声が響いていた。奏が二人へ視線を移すと、綾子は大粒の涙を溢していたのだ。

　会場から出る際、新郎新婦よりプチギフトが一人ずつ手渡されていく中、綾子は彼女の手をしっかりと握っていた。

　「奏……素敵な歌をありがとう」

　「綾ちゃん、おめでとう」

　彼女は綾子に微笑んで応え、会場を後にすると、この後に開かれる二次会ではなく、スタジオへとタクシーで向かうのだった。

　ドレスアップしたままの姿で通い慣れたスタジオに着くと、いつものメンバーが奏を出迎えていた。

　「今日が友達の結婚式だったんだっけ？　可愛い格好してるじゃん！」

　「aki、ありがとう……」

　「着替えるか？　一応、一式置いてるんだろ？」

　keiの言葉に、彼女はハイヒールの靴を脱ぐと笑みを浮かべ、そのままブースへ入っていく。彼女はその姿のまま、他のメンバーが来るのを待たずに、歌録りを始める事になった。

　出だしが好調だった彼女が、何度も何度もリテイクを繰り返していく。彼女の想い描く声が出ていないからだ。ガラス越しのメンバーが納得していても、歌っている本人が納得しなければ収録は終わらない。

　ここは彼ら専用のスタジオの為、貸しスタジオのように時間を気にする必要はないが、もう夜中の十二時を回っている。それぞれ仕事を抱えている為、スタッフを一人残してメンバーは一度帰り、また数時間後に集まる事が決まる中、彼女の声が思い通りに出せたのだろう。彼女の歌声を、彼らは手を止め聴き入っていた。

　奏はこの音が欲しかったのか……。

　そうバンドメンバーが確信する程の歌声だった。彼らは、water(s)の始まりの曲を想い出していた。

　五人で初めて人前で演奏した日。夢が夢でなくなった瞬間の事をーー……。

　「さすが奏！　ジャンケンで一発勝ちとか！」

　クラスメイトの佐藤（さとう）は、彼女が数人いた伴奏候補者の中からジャンケンで一発勝ちを決め、合唱発表会の伴奏者に決まった事に、爆笑しそうになっていた。

　「佐藤が推薦しなければ、よかったのにー」

　奏が彼を恨めしそうに見ていると、綾子が優しく声をかけた。

　「まぁー、いいじゃない！　奏のピアノの演奏が一番なんだし。応援してるよ」

　「ありがとう、綾ちゃん」

　彼女のエールに免じて、奏は気持ちを切り替えると、教室にあるグランドピアノへ手を滑らせていた。

　ーー本当は、私も歌いたかったな……。

　ピアノはすきだけど、歌の方がすきなんだけど……綾ちゃんも励ましてくれてたから、頑張らないとね。

　それから数日、彼女の家にもピアノはあるもののアップライトの為、教室で放課後練習する日々が続いていた。扉の開く音が響くと、彼女は演奏を止めていた。

　「奏？」

　「綾ちゃん、どうしたの？」

　「どうしたの？　って、弾き語りしてたよ？」

　「えっ？！」

　彼女は無意識に弾き語りしていたようだ。

　見られたのが綾ちゃんでよかった……。

　よくないけど……他の人に見られたらって思ったら、恥ずかしすぎる！

　ただでさえ、今でも十分恥ずかしいのに……。

　顔を赤くする彼女に、綾子は微笑んでいた。

　「奏らしいけど」

　「うっ……私らしい？」

　「うん。それに歌、上手くてびっくりした」

　「ーーありがとう？」

　「疑問系？」

　二人は顔を見合わせ、クスクスと笑い合うと、綾子は忘れ物を取って帰宅し、奏はまた鍵盤へ指を滑らせていく。

　歌が上手くて……か……。

　無意識だったけど、人に聞かれるなんて……私には合わないよね。

　ピアノの発表会やコンクールだって、いつもギリギリなのに……。

　彼女は溜め息を飲み込むと、再び集中力を高め、周囲の音が聞こえなくなっているのだった。

　「失礼します」

　昨日のような事があったら困るから、今日から練習室で弾く事にしたんだけど……。

　先生から先約がいるって聞いてたんだけど、誰もいないの？

　彼女は声をかけたが、教室には誰もいないようだ。

　先程、練習室の鍵を借りる際「先約がいる」と、言われた為、誰かがピアノを弾いていると、彼女は思っていたのだ。

　誰もいないなら、先に練習させて貰おう。

　彼女は楽譜を譜面台に広げると、グランドピアノを弾き始めた。練習室に彼女のピアノの音色が響く。本来ならピアノの音だけだが、何回も練習するうちに歌声も響いていた。綾子が指摘した通り、彼女は歌いたかったのだ。

　奏が練習を終える頃、辺りは暗くなっていた。

　「ーー帰らなきゃ……」

　最後の一音を弾き終え、彼女が独り言を呟くと拍手が聞こえてきた。

　えっ？

　聞かれてた？！

　驚き後ろを振り返ると、扉の前には背の高い黒髪の男の子が顔を出している。突然の出来事に、奏は言葉が出てこない。一人で弾き語りをしていた所を見られた事に、少なからず動揺していたのだ。

　「……上原（うえはら）奏（かなで）、water(s)に入らない？ 」

　……何で私の名前を知ってるの？

　ウォーターズって？？

　奏の頭に疑問ばかりが浮かんでくる中、彼女が口を挟むより前に、彼は先程まで使っていたであろうｉＰａｄにヘッドホン、そして楽譜の紙切れを手渡していた。

　「あの……」

　彼女が手元から彼へと視線を移すと、彼は嬉しそうな笑みを浮かべている。

　「明日、午後一時に井の頭公園のステージに来て欲しい」

　彼は一言そう告げると、グランドピアノに音楽室の鍵を置いて去っていった。

　ーー今の人……誰？

　一人取り残される形になった奏は、手元に残った紙切れを広げている。そこには、手書きの言葉が並んでいたのだ。

　「ーー春夢（はるゆめ）……」

　紙切れには、歌詞が書かれてあったのだ。

　奏は家に着くと、練習室での出来事を振り返っていた。

　ーー普通なら、データが入ってるｉＰａｄを……他人に預けたりしないよね？

　彼は、彼女が明日来ると信じていたから預けたのだろう。勿論、彼の意図が分からない奏は疑問に思いながらも、ｉＰａｄに入っている曲をヘッドホンをつけ、再生し始めた。

　綺麗な旋律……。

　聴いたことのない曲。

　彼女は何度も繰り返し聴くと、紙切れに書かれた歌詞を片手に歌い出していた。

　この曲……すき……。

　優しい声……。

　もっと、他の曲も聴いてみたい。

　奏は彼の音色に夢中になっていたが、他の曲はロックが掛かっている為、再生する事は出来ない。まんまと彼の作戦にハマったと言えるだろう。彼女は迷う事なく、井の頭公園へ行くと決めていた。

　もう一度、彼に会いたい。

　そう強く思う奏がいたのだ。

　昨日の興奮冷めやらぬうちに、彼女はその勢いのまま井の頭公園へ来ていたが、少し緊張気味になっていた。

　勢いだけで来たけど、よかったのかな？

　もう一度、聴きたいのは本当だけど……。

　奏の中に迷いが生まれていたが、すぐにそれは打ち消されていく。小さなステージから音楽が聞こえてきたからだ。耳の良い彼女には、すぐにｉＰａｄで繰り返し聴いた曲と同じ人が作っている事が分かった。

　ステージの周りには沢山の人が集まっている。

　奏はステージ中央で、ギターを片手に歌う彼を見つめていた。

　昨日、練習室で会った人だ……。

　人が集まるの……分かる気がする……。

　素人の私から見ても……四人とも上手い。

　彼女がそう感じていると、あっという間に演奏が終わり、アンコールの声が響いていた。

　もう一曲だけでもいいなら、私も聴きたい！

　アンコールの声に、彼女のテンションも上がっている。彼女も彼らの音の虜になっていたのだ。

　「では、アンコールの声にお応えして……hana！」

　ーーえっ？

　あの人、私を見てない？

　気のせいかな？？

　彼は奏を見て、そう呼んでいる。彼女は自分の事を呼ばれていると気づかずに周囲を見渡していると、彼に手を取られ、ステージへと上がっていた。

　「ーーあの……」

　「kei、いいでしょ？ 」

　ちょっ……手！

　まさか……この流れって……。

　奏の声を待たずに、彼は同じくギターを持つ長身の男性に向かって告げていた。彼の真剣な眼差しにkeiが頷くと、すぐに曲が流れ始める。イントロが流れる中、奏は彼に導かれるようにステージ中央に立っていた。

　「歌って……」

　そう耳元で囁かれ、彼からマイクを受け取ると、彼女は歌っていた。昨日から何度もリピートした曲、春夢を。奏が歌い出した瞬間、三人は彼女へと視線を移し、一瞬驚いた表情を浮かべていたが、彼女の隣に立つ彼だけは嬉しそうにハモリのパートを歌っている。初めて聴くバンドの生の音を背に、奏はピッチを外す事なく、楽しそうな表情を浮かべているのだった。

　音色が止むと、拍手と歓声が公園に響いていた。

　ーー……楽しかった……。

　手が震えてるのが、分かる。

　ただ夢中になってた……。

　彼らがステージから去ると、奏はステージ横に設置された簡易のスペースに入るなり、緊張の糸が切れたのかしゃがみ込んでいた。

　「大丈夫か？！」

　昨日出合ったばかりの彼が、彼女の手を取り、椅子に腰を掛けるように促している。

　「俺はmiya！　よろしくなhana」

　そう言って差し伸べられた彼の手を、奏は握り返していた。

　ーーミヤ……。

　ハナって……私のこと？

　状況が理解出来ていないけど、確かな事が一つだけある。

　この人達の作る音楽をもっと聴いてみたい。

　もっと……。

　握り返した手に力が込められている事に、彼は微笑んでいた。

　「やっと、見つけた……」

　miyaの声は周囲の喧騒に掻き消され、奏の耳には届いていなかったが、彼の表情だけで彼らには、これがどういう意味か分かっていたのだ。

　その日、water(s)というバンドにhanaが加入し、五人での活動が始まる事となった。

　上原（うえはら）奏（かなで）がhanaとなった日。