098 さいごのちゃんすだ。
「聞いたところ、桜井はクナウスト姫を人質にあの双子姉妹含めた幾人かの騎士を脅していたようだ。クナウスト姫がこちらに戻った以上、彼らもこちらに協力してくれるだろう」
場所は冒険者学園に併設された病院の通路。
そこに置かれたソファに座り込み俯く天内を前に、風紀委員を指揮する檜垣がそう言った。
天内の手によってユリアが病院に運び込まれたことで事態を知った檜垣率いる風紀委員は今や事件解決のために動き出しており、人員の殆どが出払っている。
そんな中で檜垣がこの場にいるのは意識が戻ったユリアに事情聴取をするためであり、同時に病院で待機を命じていた事件の当事者の一人である天内と言葉を交わすためだった。
「……アイツは一体何をするつもりなんですか」
顔を俯かせながら天内がポツリと呟く。
力の抜けたひどく静かな言葉に対して檜垣はただ一言「わからない」と言った。
「知る限り、あいつの直近の目的は愚者の首飾りだ。それが学園にある以上は街からでることはないだろうが……」
最も付き合いの長い檜垣であってもそれ以上のことはわからなかった。
ゴール地点は見えているというのにそこに辿り着くまでの過程が想像できない。その事実が桜井の特異性を指し示していた。
「(わからない……もう、何もわからない)」
これまでのこと、これからのこと。
過去の失態と否定、そしてこの誘拐事件への不安が綯い交ぜになって天内の頭の中はもうグチャグチャになりかけていた。
答えが欲しい。
まるで主人公のような、あらゆる困難を打ち破る解決の一手が欲しい。
しかし自分は所詮、前世の記憶がある程度の一般人。
浅知恵さえも思いつかない自分に残されているのは、赤野 玲花を救いたいという想いだけだった。
「檜垣さん。俺も、探してみます」
「いや君は休んだほうが良い。アイツの居場所を探すなら組織立って動かなければ逆に隙を見せることになる」
「動くな、と」
「休め、だ。とは言え私の言葉に強制力は無いのだがな」
言外に風紀委員たちの捜索に加えることができないと言われ、天内はそれに言葉を返すこと無く頭を抱えるように両手を額に当てた。
檜垣もまたその様子を見て言葉をかけることなくその場を立ち去る。励ますよりも先にやるべきことが彼女にはあった。
「…………」
この世界に生まれ落ちて、自分が『天内 隼人』であったと知って。
何かできることがあると思って、守りたいものができて、できるはずだと信じて。
「その結果がこれか、間抜けすぎるだろ。こんなん」
辛うじて捻り出した言葉は自らを自嘲するもので、それでも幾分か気が軽く……いや気を抜くことができてしまった事実に嫌悪感を募らせた。
「っ!」
何も解決していないのに、何もできていないのに、僅かな安堵を得てしまう自分の額を殴りつける。
自らを罰するように二度三度と立て続けに殴りつけて感情を押し込み、また小さくため息を吐く。
「こらこら、そう自分を責めるものではないよ」
「え?」
顔を上げた天内の視界に入ったのは松葉杖と共に歩いてきたユリアだった。
その姿は額に巻かれた包帯と首元に充てがわれているガーゼを除けば健常時と何ら変わること無く、その穏やかな笑みと余裕に天内は思わず姿勢を正した。
「体は大丈夫なんですか?」
「おかげさまでね。君が受け止めてくれたおかげで大事には至らない程度に抑えられたよ」
「……話を、伺ってもいいですか?」
「もちろん、私もそのつもりでここに来た」
天内の隣に腰掛けたユリアは彼の顔を覗き込み、何やら納得したように「ふぅん」と呟いた。
「時間も無いし要点だけ語ろう。とは言え私が持っているのも断片的な情報ばかりだから君の一助になるかどうかは確約できないが」
「それでも構いません。今はとにかく桜井の考えていることに近づけるきっかけにでもなれば」
「では私が捕らえられた経緯は省こう。深夜に奇襲を受けて、先程まで捕らえられていただけだからね。その間に色々と言葉を交わしたのだが、彼の目的は最初から君たちだったようだ」
「どういうことですか?」
「『組む相手を変える』、『赤野 玲花を捕まえるための手駒を作るために手っ取り早くお前の仲間を脅す。だから攫う』……と彼は言ってたね」
「そもそもの狙いが玲花って――っ!?」
天内の脳裏に最悪の想像が浮かび上がる。
何故、自分の幼馴染が狙われたのか。桜井の言う『組む相手』が誰なのか。
「な、なんで……玲花を。その理由は、何か」
「詳細な理由まではわからない。ただ桜井くんは『組むにしても手土産が必要』と言っていたが……それが彼女を示していたのかどうか」
すがる思いで発した問いかけにユリアがそう返した。
それを聞いて天内は苦虫を噛み潰したような表情を作り上げる。
その手土産というものが赤野のことであり、その取引相手が黒曜の剣であると確信したからだ。
『赤野 玲花』はゲームにおけるヒロインであり、ヒロインであるが故に
その特別性というものが『魔人化への完全適性』というものである。
黒曜の剣が開発した魔人化技術には欠点がある。
それは人にとって適合する魔物に違いがあることや、受け手の意志力次第で暴走のするという点だ。
そのせいで魔人化技術は選ばれた人間にしか施すことができないワンオフ技術となってしまっており、量産化ができないという行き詰まりが起きていた。
それを解決する鍵となるのが、赤野 玲花の持つ『完全適性』。
彼女の血肉はあらゆる魔物に対する適合が可能であり、作中ではその素質が判明したことで魔人量産化の鍵となる人物として黒曜の剣に狙われることになる。
「(でも肉体の適性があっても結局は魔物に負けない精神が無ければ魔人には至らない。それは作中で彼女を捕らえたピグマリオン・ドン・トロールが明言していた。桜井がそのことを知らないはずがない)」
しかしそのことを知っている桜井が行動を起こしているからこそ、彼が何らかの手段を見つけ出したのではないかと思わずにはいられない。
恐らく存在しているであろう黒曜の剣にいる転生者に対してその手段を明示できるのであれば、赤野は立派な手土産になるだろう。
「でも、なんて今更手を組む相手を変えるなんて……」
「それは……私に責任があるだろう」
「え?」
ふと漏れた疑問に反応したのはユリアだった。
顔を向ければ彼女は眉を下げて、普段と打って変わって酷く申し訳無さそうにしていた。
「実は昨日、広場で君とバルダサーレが戦っていたところを私は桜井くんと見ていたんだ」
「桜井と……あの戦いを?」
「出会ったのは偶然だった。君と桜井くんが手を組んでいることは知っていたからね、少し交流を深めるのも一つかと思って物陰から伺わせてもらったんだよ」
天内が目を細め眉を潜めた。
彼にとってあの広場での出来事は好ましく思えるものどころか、今もなお心の中で引きずられている苦い記憶だ。
それを隠れて見ていたと暴露されて顔を取り繕えるほどの余裕は今の天内にはなかった。
「私個人としては互いに成長の見込める良い試合であったと思っている。しかし桜井くんはあの戦いを見て何やら様子が変わったように考え込み始めたんだ。今にして思えばその時に君への協力を続けるか悩んでいたのかもしれない」
その悩んでいる姿に対してユリアは「思うがままに動くのがきっと君の強さだろう」と言ってその背を押したと天内に語った。
そしてその日の内に襲撃され、結果は御覧の有様だと悲しげに笑った。
天内はその様子を見て、ユリアは自分が桜井に敗北しなければこんなことにはならなかったと悔やんでいるように見えた。
「(……やっぱり、俺のせいじゃないか)」
結局のところ桜井が考えを変えた理由にはそもそも自身の実力不足にあるとハッキリした。
原因が自分にあるのであればこの問題は遅かれ早かれ顕在化していたに違いない。
自分が、悪い。
天内 隼人が全て悪い。
「は、ははっ」
ここまで明確にその事実を突き付けられれば嫌でも理解するもので、自分の愚かさ故に周りを巻き込んでしまった事実に一周回って乾いた笑いが漏れた。
「すまない。自分を責めるなと言っておいて、私の言葉が、君を」
「構いませんよ。おかげで問題点はハッキリしましたし、むしろこれからどうすべきかを前向きに考えられそうです」
その様子を見てユリアは天内に何かを言おうとし口を何度か開閉させたが、かける言葉が見当たらなかったのか諦めるように口を閉ざした。
互いに無言のまま数十秒の時が過ぎる。沈黙を破ったのはユリアだった。
彼女は上着のポケットから一枚の紙を取り出し、それを彼の眼前に差し出す。
天内はそれを受け取る前にその紙が何であるかと視線で問いかけた。
「治療を受けている最中に私のポケットから見つかったものだ。恐らく桜井くんが書いたメモだろう。これが何を意味するのかは私にはわからないが、きっと彼に近づく手がかりになると私は踏んでいる。ただ……」
「ただ?」
「独特な暗号文で記されていて内容が読み取れない。もし君に何か分かればと思うのだが」
天内が差し出された紙を受け取り中を見て、額にシワを寄せた。
メモの中に書かれていたのは膨大な数字の羅列。
一行目から『31122222*55555448*0003334*』といった具合に何らかの規則性を見せる数字の並びが記されており、それが数行に渡り続いていた。
「…………」
「何か思いつくものはあるだろうか?」
天内は静かに首を横に振って紙を返した。
ユリアは「そうか」と言って残念そうにその紙を受け取ると、松葉杖を支えに立ち上がった。
「私たち士官学校生側も桜井の足取りを追う。何か分かればすぐに知らせるよ。だから今暫く」
「風紀委員長の檜垣さんにも言われたので、当事者でもあり素人の自分が下手に動かないほうが良いことは理解してます。だから、その、お願いします」
「あぁ、確かに承った。吉報を待っていてくれ」
杖を鳴らしながらユリアがその場を去っていく。
天内はその背が見えなくなるまで見つめ続けた後、ソファの背もたれに体重をかけて天井を仰ぎ見る。
真っ白なタイルが敷き詰められた天井。
見つめる視界の中にいくつもの数列が浮かび上がる。
それは天内が目にしたメモの中に書かれていた数字の羅列であり、彼は僅か十数秒でその全てを正確に記憶していた。
並んだ数字には法則性がある。だからこそユリアはこれが暗号文であると言っていた。
だが天内にしてみればこんなもの暗号文でもなんでもない。手間のかかる変換をしただけの文章だ。
「(でも、これは転生者にしかわからない。携帯電話の文字入力なんて、そもそもそれを知ってる人間じゃなければ思い当たるわけがない)」
前世の中でも幼少期に親から連絡用として渡された携帯電話、それを使ったメールのやり取りの記憶を思い出しながら天内は文章を解読していく。
携帯電話が存在しないこの世界において、この数字の羅列が今はもう懐かしいと言えるガラケーのテンキーを利用した文字入力方式を示しているとわかる者は転生者以外に存在はしない。
逆に言えば転生者にしかわからない文字列であるからこそ、天内はこれが桜井からのメッセージであると確信できた。
そして案の定というべきか。脳内で正しく変換し終えた文章の一文目は、間違いなく天内に向けられたものであった。
『さいごのちゃんすだ』
残りの文章は時刻と場所が端的に記されていた。
天内はそれを読み取り目を瞑り細い息を吐く。
彼がそういうのであれば、自身にとってこれが最後のチャンスなのだろう。
その言葉は意外なほどにストンと天内の胸の内に収まった。
「……ふぅ」
天内 隼人がゆっくりと立ち上がる。
備え続けるという待ちの姿勢がこの状況を生んでしまったのだから、自らが動き出さねばならない……そんな漠然とした考えが天内を立ち上がらせた。
覚悟を決めたわけでも、決意を新たにしたわけでも、何か明確なビジョンが浮んだわけでもない。
足に込められた力はこれ以上周りを巻き込むわけには行かないという自責の念と攫われた幼馴染を助けなければならないという使命感のみ。
天内は今の自分が物語の主人公には程遠い姿だと自覚していたが、それでも足を止めることだけは出来ずに歩き出した。
ゆらゆらと、不確かな足取りで。まるで幽鬼の如き有り様で。
それでも少しずつ前へ前へと歩き続け、一人病院から姿を消したのであった。
――そんな天内の姿を上階の窓から見下ろす2人の人物がいた。
「……流石に荒療治にすぎると思いますが」
「大丈夫さ。私が彼を信じているように、桜井くんも彼が立ち上がってくれると信じているからこその提案だろうからね」
方や風紀委員長、檜垣 碧。
方や王族、ユリア・フォン・クナウスト。
共犯関係にある2人は此度の企みに絡め取られた天内を思いながらもそれぞれの所感を口にした。
「正直なところ、私はあいつの企みが成功するとは思えません。こんな追い詰められた人間の背を更に突き落とすような真似をして前向きな方向に意識が変わると言われましても」
「それくらいのことをしなければならないほど天内くんの問題は根深いと判断したのだろう。私も同じ考えだよ」
「姫様は桜井のことを買いかぶり過ぎです。あいつ、きっと『衝撃的なことを起こせば良い感じになるだろう』程度の雑な考えしか持ってないと思いますよ?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし少なくとも彼なら何とかしてくれると思わせるだけの熱意や勢いがあるのは確かだろう」
確かに桜井は周りを巻き込むほどの強い熱量と勢いを持っている。それは彼との出会いを通じて檜垣も強く感じていた。
なにせ彼と出会わなければ自分の腫瘍のような狂愛は苛烈さを増し続けていただろうし、彼と共に冥府に落ちなければ自分の愚かさを自覚する機会も得られなかったのだ。
自身に反省を促して畜生道から人の道へ矯正してくれたのはアイリスではあるものの、物事の起点には常に彼が居て、その熱意と勢いに押し流されて今の檜垣がここにいる。
その事実を否定する言葉を彼女は持ち合わせてなかった。
「それでも、誰もが立ち上がれるとは思えません」
自分の弱さや間違いを突き付けられてそこから立ち上がることは誰にでもできるわけではない。
むしろ膝を屈して別の道を探すなり、諦めや妥協を選ぶなりする人間のほうが多いはずだ。
だからこそ「立ち上がる」ことが尊ばれ理想的であるとされている。少なくとも檜垣はそう思っている。
そして檜垣は天内のことを多くは知らない。こうと言えるほどの印象を持てるほどの関わりがない。
だから彼女は彼が立ち上がれる人間であると信じることができない。
そして「もしも」の時が起きたのならば、それは自分たちのせいで一人の少年を追い込んでしまったという事実だけが残る。
桜井とユリアに請われたからとは言えすでにこうして協力をしてしまっている時点でそんなことを言える立場では無いというのに。
「大丈夫だよ、問題ない」
「しかし」
「これでも私は人を見る目があると自負している。桜井くんに任せればきっと天内くんは強くなるよ」
危惧する檜垣に対してユリアは彼女の懸念を何処吹く風とばかりに軽く流して、桜井と天内に向けた信頼を口にした。
桜井ならばきっと現状を望ましい方向に変えてくれる。
天内は桜井の手によって生まれ変わったかのような成長を遂げてくれる。
昨日今日出会ったばかりの相手に全霊の信頼を置くユリアのその堂々とした発言に、檜垣は困惑しながらも反論を控えた。彼女がそこまで言うのであれば、と。
それでも納得しきれていない空気を察したのかユリアは檜垣に向き直り、爽やかなウィンクと共に告げた。
「それに『明日の総当たり戦で最高の状態になった相手を用意する』と桜井くんは約束してくれた。友の言葉を信じるのは当然のことだろう?」
「姫様、友人は選んだ方が良い」
「あれー?」
想定していた反応とは違う絶対零度の声色にユリアは笑顔のまま小首をかしげた。
しかしそれはそうとここまで自分にスバリと切り込むような言い方をする人間は物珍しく、ユリアはその新鮮さに微笑した。
「ひ~がき~さ~~ん、な~にをしてるんでーすーかァ~」
なお、桜井の捜索を続けていたために彼の策謀から一人仲間外れにされていたアイリスが静かな怒りと共に檜垣の背に迫っており、その迫力に進行中の作戦について口を滑らせたユリア共々「現世の王族なんぞ知るか!」とばかりにアイリスの大説教を食らう羽目になったのはまた別の話である。
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