3. 月下の追跡
領都の巡回は八組十六人、四時間ずつと決まっている。異なった八つの地点をスタートし、四時間で都内を一周するように経路を指定してあり、それは組ごとに違う。ただし、八つに区割りされた領都内に、常に巡回騎士が留まっているように時間を調整してあった。これで、どの地区に何かがあっても、少なくとも二人はすぐに駆けつけられるようになっている。
そんな予定の中に、新人が三人同じ時間帯で、しかも順番を固めてあったらどう思うだろう。何も考えなければ、きっとそこが〝穴〟に見えるはずだ。脆く崩れやすい警備の穴。そこを突かれれば惨事になってしまう。そう見せかけたのが、今回の作戦だ。
シリルたちが作成しているここ数日分の巡回予定は、役人に提出されるものと騎士に配られるもので内容を変えてあった。役人たちには普段通りの内容で、騎士たちにはいつもより夜間の巡回当番を増やした内容で。
偽りの予定を教えることで賊たちおびき出し、襲ってきたところを騎士たちで捕らえる、というのが今回の作戦の趣旨だ。もちろん、偵察などされて襲撃を止められては困るので、見かけ上は普段通りを装う。提出書類に書かれていない騎士たちには、私服で飲みに言った風を装え、などといった指示も与えてあった。
少し冷静になれば怪しいことは瞭然なのだが、長年相手をして、彼らにそれを見抜く頭はないだろう、というのがシリルたちの判断だった。むしろ絶好の機会と捉えて意気揚々と襲ってくるはずだ、とまで言っていた。
そしてまさしくその通りに賊たちは現れた。偽りの報告書を鵜呑みにし、まんまと罠に引っかかった。はじめは歯向かった賊たちも私服の騎士たちの増援に為す術もなく、一人二人と捕まっていく。
「ほら、とっとと歩け」
領都の北西部。私服の騎士たちが次々に襲撃者たちを後ろ手に縛り連行していった。あらかじめ襲撃を察知していただけあって、被害は最小限。そして昼間から士気を上げていた彼らの行動は勢いがあって事態の収束は早かった。
「武器隠し持っていないか、きちんと確認しろよ。逃げ出されちゃ敵わんからな」
仕事帰りに酒を引っ掛けてきた男性にしか見えない、キャメロンの中ではベテランの部類に入る騎士が周囲を仕切っている。騎士たちは彼の指示に従って、賊の連行や被害状況の確認などの作業に追われていた。
ソフィアはそれをただ見ていた。事後処理は勝手知ったる領地の騎士たちがほとんどやっていて、放置されていた。相手は男ばかりで、剣を使うとはいえ女であるソフィアの手に余るだろうと連行の役目は与えられなかった。物損などの確認もやはり地元の騎士たちが詳しく、役に立てない。住民への声掛けもまた同じだ。
こちらは新参者だ。作戦はうまくいったがそれだけにやることは多く、本当ならばこういう時こそ指導が必要なのだろうが、肝心の指導者たちが余裕がないのだから失念してしまうのは仕方ないだろう。所詮客の分際なのだと事あるごとに思っていたので腹は立たなかったが、手持ち無沙汰なのは耐えられなかった。なにか役に立たねば、と考えを巡らす。そこで思いついたのが、見回りだ。捕らえ損ねたものが居ないか、知らぬところに被害がなかったか、見て歩き回るだけだが、なにもせず棒のように立っているよりは有益だろう。
「私は周囲を見回ってきます」
行動に移す前に、一応先輩騎士に声掛けをしておいた。
「おう」
ギルバートは忙しいらしく、こちらを見ずに返事をした。きちんと聞こえていたのかと少し不安になったが、大丈夫だろうと思い直して見回りに行く。
領都の北西部の大通りは、商店が立ち並ぶ場所だ。今日彼らは店の商品を盗む気だったらしい。彼らが狙うのは、専ら人々の暮らしにかかわる場所だ。逆に、政治にかかわる場所などは襲われたことがないらしい。彼らは機密書類には興味がなく、多額の政治資金は金庫の中。騎士庁も建っていて、襲うにはリスクが高い所為だ。
それにしても、そう仕組んでいたとはいえ、まさか本当に立て続けに領都を襲うとは思わなかった。一度襲ったところは警戒心が残っているだろうし、人の多い都はそれだけ警備の数も多いので連続した襲撃は避けると思っていたのに。やはり周囲の村よりも領都のほうが収益を見込めるのだろうか。
そんなことを考えていると、いつの間にか都の端に辿り着いていた。目の前に街を取り囲む黒い壁が聳え立つ。
ソフィアの視界の端を人影が横切ったのは、そのときだった。
こんな夜遅くに出歩く住民が居ただろうか。建物の壁に寄り、そっと様子を伺う。暗がりの中でもなんとか見て取れた。武具を拵えているところからして、どう見ても住民ではない。そして、身なりから私服の騎士とも考えられなかった。
答えは一つしかない。捕らえ損ねた者が居たのだ。
その賊は、城壁の傍に積み上げられた、野菜などを入れる木箱の向こうでなにやらこそこそしていた。そして身を屈めて身体を完全に木箱の山の陰に隠れる。しばらく待ってみたが、再び出てくる気配はなかった。
剣を抜き、木箱に駆け寄る。ソフィアから見た方向の反対側、木箱の影の差す城壁の下側に、身を屈めれば通れそうなほどの穴があった。なにかの道具を使って無理矢理作り出した穴だ。穴の周囲の煉瓦の痛みがうっすら見える。
「こんなところにこんな穴があったのか……」
襲撃のときにどうやってあの壁を越えているのだろうと思っていたが、まさかこんなところに抜け道があったとは。普段は横に積んである木箱で巧妙に隠されているのだろう。常にそれが置かれていたとなれば、とうに風景の一部となってしまって、騎士たちが見逃してしまうのも無理ないのかもしれない。向かいの建物の壁はその面だけ窓がなく、寝静まった深夜であるならば余計に侵入に気付かれなかっただろう。
なんという落とし穴だ。実際は抜け穴だが。
追うか、追わないか。誰か近くにいないのか。声を上げようとして、やめた。逃げる賊に訊かれては意味がない。
少し迷って、追うことに決めた。穴の際によると、慎重に向こう側を覗き込み、気配を探る。待ち伏せの心配がなさそうだと分かると、身を屈めて壁の穴を通り抜けた。
月明かりの下、遠目に賊が北の方へ駆けていくのが見えた。振り向かれないよう祈りながら、付かず離れずの位置でその後を追う。次第に、森を背負う城が見えてきた。月明かりに照らされて、闇の中で灰色に佇む、王都のものに比べると小さく、しかしこの辺りでは特に大きな建物。時の流れを感じ威厳漂わせるそれは、領主の住まう城だ。
この領の領主の城は、北国に続く森の縁に建っていた。真っ先に敵に襲われるところに城があるのかと仰天したものだが、北国への牽制の為なのだと知ると納得した。守られるべきものの傍は武力が集中している。襲えばただでは済まないぞ、と警告しているのだ。
この裏の森を抜ければ北国だ。イザベルの推測がますます現実味を帯びていった。
賊は城の敷地内にこそ入らなかったが、それにほど近い脇をすり抜けていった。これほどの至近距離を賊に通らせているのだから、やはり相次ぐ襲撃に領主が噛んでいることは疑いようもない。
まったくもって、嘆かわしい。
アボット家は侯爵だ。侯爵ともなれば、当然領地も任されている。その経営は当主たる父とその後継者たる兄が行っているとはいえ、娘であるソフィアにもまた関わりのある話である。領民あっての領主だ、と幼い頃からその心得を聞かされてきたソフィアにとって、領民を食い物にするなど以ての外の行いだ。
いよいよ森に入り込もうというところで、別の方向に気配を感じた。仲間がいたか、とソフィアは焦り、剣に手を掛ける。見つかったのだろうか。追っていた相手を気にしながら、徐々に近づいてくるその気配に息を殺して身構える。
目に入ってきた人影が月明かりの下に出てきた瞬間、ソフィアは反射的に抜剣しそうになった手を必死に抑えた。驚きで目が見開かれる。
「ガスター……?」
現れたのは、ユーノだった。いつもの制服とは違う、闇に紛れるような真っ黒な服を着ていたから、遠目では本人だと判らなかった。
「なんでお前がここに居る?」
「それはこっちの台詞だ。お前の担当は、私の一つ後ろだっただろう」
作戦通りであるはずならば、彼もまた領都で囮となり、賊たちの捕縛に加わっているはずだった。巡回の順番はヴィクター、ソフィア、ユーノとなるように予定は組まれていた。今はソフィアが北西区にいる時間であるので、予定通りであるのなら彼は今北区の辺りにいるはずだ。結局北西区が襲われたのでそちらには賊は行っていないだろうが、だからといって巡回担当者が領主の城周辺にいる道理はないだろう。そもそも騎士の制服を着用していない点でおかしい。
不審なところが多かったが、賊の追跡中であることを思い出した。彼のことは後で追及することができるが、あちらはそうはいかない。
「すまない、それどころではないんだ」
ユーノから目を離し、森の方へと目を向ける。遠目にまだ人影が見えた。気付かれていないようだし、障害物の多い森の中で安堵したのか、速度が緩んでいた。今ならまだ追える。
「……賊か」
ユーノもまた人影を見つけたらしい。目を細め、森の奥を見ていた。
「逃げられてしまった。このまま後を追えば、潜伏先の見当がつくかもしれない」
そうでなくとも、おおよその位置を掴みたい。そう思って、一人でここまで追ってきたのだ。
「想像以上に無茶な奴だったんだな」
踏み出しかけたところで背後から声が掛かる。呆れた声に、ソフィアはたちまち赤面した。
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