平凡なサラリーマンが異世界に行ったら魔術師になりました～科学者に投資したら異世界への扉が開発されたので、スローライフを満喫しようと思います～

カナタの回復とアリシアの見舞い

　目が覚めて最初に目にしたのは見慣れない天井だった。

　布団の感触がとても心地よくて、このまま寝ていたいとぼんやり思った。

　しかし意識が覚醒すると、ひどい頭痛と倦怠感が生じていることに気づく。

　ほのぼのとしたまどろみは最悪な気分に取って代わっていた。

　もしかして、風邪でも引いたのだろうか。

「いやあ、なかなかに無茶をしたもんだね」

　曇りのない澄んだ声が耳に届いた。

　その声に聞き覚えがある気がした。

　ゆっくりと身体を起こして確かめると、その姿にも見覚えがあった。

　魔術医のクラウスだ。

　一度、アリシアとマナ焼けを診てもらったことがある。

　中性的で整った顔立ちと肩まで伸びた銀髪が印象的だったのをよく覚えている。

「カナタくん、しばらくぶりだね」

「……こんにちは、で合ってますか」

　窓の方を見た時にカーテンの外は明るかった。

「うんまあ、だいたいそんな時間かな。気分はどう？」

「頭が痛い……全身がだるい……これで通じますか？」

　外国の医者に体調を説明するような気分だった。

「うんうん、頭痛も身体の症状も魔術の使いすぎが原因だね。しばらく安静にしてれば自然に回復するから安心していいよ」

「あっ、そういえば……ここはどこですか？」

「カナタくんが前に来たうちの診療所だね。無理は毒だからまずはゆっくり休んで。適当に様子を見にくるから」

　クラウスはドアを開けて部屋を後にした。

　彼と話していたらいくぶん気持ちが落ち着いた気がした。

　世界は違えど医者というのは偉大な職業だと思った。

　クラウスが言っていたとおり、魔術の使いすぎというのは心当たりがありすぎた。

　エルネスが戦線離脱を余儀なくされた後、オオコウモリ相手に限界を超えるような魔術を出したことが原因だろう。

　「休めば治る」というクラウスの言葉は気休めというよりもいい薬だった。

　得体のしれない病気になったかもしれないというのは強いストレスにつながりかねない。

　ましてや、ここは見知らぬ土地――異世界だ。

　そんな状況にあっても、クラウスという名医がいることでずいぶん心強く思えた。

　少し落ち着いたところで部屋の中を眺めてみると、シンプルで清潔感があることに気づいた。

　ベッドの横に薄手のカーテンがかかった窓があり、正面にはアンティーク調に見える小ぶりのチェストが置かれている。

　病室なのだから、余計なものが置いていないのは当然ではあるのか。

　それから窓の外を眺めていると、誰かがドアを開ける音がした。

「――カナタ、倒れたって聞いたんだけど」

「……おっ、久しぶり」

　アリシアが心配そうな様子で部屋に入ってきた。

　見舞いにでもきてくれたのだろうか。

　彼女はリボンのついた白いブラウス、紺色のワンピースを身につけている。

　白金の美しい髪は下ろしていて、花を模したような髪飾りが可愛らしく見えた。

「エルネスとオオコウモリを倒したって聞いたわ。いつの間にか魔術組合の仕事をするようになったのね」

「うん、そうだね。誰かに聞いたのかな？」

　この世界に来て日が浅く、交友関係を把握しきれていない。

　彼女がなぜ知っているのか率直な疑問だった。

「えっ、誰かって、そう誰だったかしら……」

「ふーん、まあ別にいいけど」

「…………」

　アリシアの態度は不自然だった。

　何のためにここへ来たのか判断しかねる。

　彼女のことをよく知らないので、何を話せばいいのか言葉が続かない。

　気まずいことに、二人だけの状況で微妙な雰囲気になってしまった。

「――ねえ、ニッポンに連れていって」

　アリシアが沈黙を破るように口を開いた。

「……えっ、日本に、どうして？」

「この国を……ウィリデを出てみたいの」

　彼女は切実そうな表情でこちらを見ていた。

「それこそどうして、ここは長閑で平和で間違いなくいいところじゃないか。日本にどんな期待をしてるのか分からないけれど……」

「わたしがフォンスに行くにしても、大森林を抜けないといけないからどうせ行かせてもらえないわ。大臣の娘だからと過保護にされるから、きっと一生この国を出ることもないのよ」

　アリシアは今まで見たことがないような、怒りとも悲しみとも受けとれる複雑な表情をしていた。

　俺はそんな彼女の様子に戸惑うばかりだった。

　転移装置――といっても実際は地球と異世界をつなぐ装置――のことを知らなければ、こんなふうにならずに済んだのだろうか。

「日本は平和な国だけど、ウィリデの方がその何倍も……１００倍ぐらい平和だ。それにこれだけ穏やかな国で育った人が行くには殺伐とした場所だよ」

　考えを巡らせるうちに頭痛が存在感を増している。

　今はむずかしい話をする時ではないと思った。

「……ひどい」

　アリシアはそう吐き出すように口にして、そのまま出ていった。

「……ここで育った人が行くことはおすすめできない」

　俺は誰にともなく呟いた。