エレノア先生の魔術講義

「――それでは、本日の修練を終わります」

 

 講師の女性が周囲に広がった生徒たちにいった。それには俺も含まれる。

 修練場と呼ばれる草原の一角で10人ほどが腰を下ろしていた。


 事前資料で知った限りでは、彼女のように長く尖った耳をした種族をエルフというらしい。透き通るような肌と輝くような金色の髪は外国人モデルのようだが、やはり耳に視線が向いてしまう。


「カナタさん、何か分からないことがあったかしら?」

「……いえ、エレノア先生、問題ありません」


 俺は何事もないといった態度で答えた。

 ちなみに言葉通り、魔術学校入門コースから実用コースへ進んだ初日に困るような出来事はなかった。


 ――こちらに来て1週間ほどが経過していた。

 

 数年前に仲の良い研究者に投資したことがきっかけで魔術学校が存在する、ファンタジーあるいはおとぎの国のような世界に来ることができた。


 研究者の彼が身体を張った調査をしてくれたおかげで、言語習得は完了済みで現地の人たちとのコミュニケーションに差し支えなかった。


 それに加えて、こちらの世界からすればオーバーテクノロジーにあたる品々を見せびらかした結果、他国からの客人というかたちで厚遇されていた。


 俺も初日に王宮へ案内されて、その印の勲章みたいなものを受け取った。

 それは金色のメダルに緑色のリボンがついていて、服の胸ポケットにちょうど引っかかる便利な作りだった。もちろん、そういう意図で作られていないだろうが。


 その目印をつけておけば、異邦人でも無闇に攻撃されることはないので、なるべく目立ちやすいところにつけるように指示された。

 説明の仕方が仕方だけに、一時も気を許せないようなスラム街のようなところをイメージしたが、実際にはそんなことはない。友好的な人の方が多い印象だった。


 ちなみに街を歩いていると、日本人のような外見の人は見かけなかった。

 大半はヨーロッパ系の外国人を思わせるような風貌で、青や緑色の瞳に金や栗色の髪の毛だった。


 エルフの人たちもそれなりに生活していて、アジア系に至っては少数派というかゼロな状況。この国というか世界の人から見れば、自分自身が異質な存在に映ることは容易に想像できた。


 事前の情報で中世から近代ヨーロッパぐらいの文明と聞いていたが、西洋建築が立ち並ぶ光景は海外旅行に行ったような感じで得をした気分だった。


 俺は海外旅行へ行ったことがなかったので、喜びと感動がしばらく続いた。

 こんなにも胸が踊るような感覚が最後にあったのはいつだっただろう。


 住宅や個人店は普通に見かけるが、大聖堂みたいなものがないのは宗教が存在しないからとも教わっていた。

 宗教は争いの火種になるイメージなので、異世界に来てまでそういう話題を聞かされなくて済んでよかった。平和が一番だ。



 涼しげな風に吹かれながら修練場を離れて市街地に向けて歩いていた。

 草原の向こうの遠くの空に、夕日が沈んでいくのが見える。


 こちらに来てから日の出と日没を何度か経験したものの、こうしていると地球にいるような錯覚を抱いてしまう。

 もっとも、目を奪うほどに澄んだ青空、地球上に存在していたなら不自然なほど遅れた文明が異世界という説明を納得させる要素ではあった。

 

 当然ながら、ここにスマートフォンはおろか、電化製品も存在しない。


 電気がないと夜間は真っ暗になりそうだが、魔術師の皆さんのおかげで魔力をもとにした灯りが街を明るく照らしている。それも立派な仕事になっているようで、いわゆる夜勤のようだと思った。


 しばらくして夜闇が訪れる頃、街角にはそんな灯りがつくのだ。

 

「――あんた、魔術を習うふりして冷やかしにきてるの?」

 

 日本語ではない分だけ脳内変換が遅れたが、自分に向けられたのか判断できなかったので視線を向けた。


 そこには周囲の人たちに比べて上品な身なりの若い女性が立っていた。

 すらりとした体型ですっきりした顔立ち、白金(プラチナ)の糸のようなきめ細かい髪と青い宝石のような瞳が特徴的だった。年齢は十代後半に見える。


 修練の途中で何度か視線を感じていたが、何か彼女の気に障るようなことをしただろうか。文化や習慣が違うだけに、少し肝が冷えるような思いがしていた。


「……いえ、そんなつもりはありません。俺のいた世界……国では魔術は使えないので、この機会に学んでみたいと思ったからです」


 俺はできる限り言葉を選んで話した。

 つまらないトラブルを避けるために慎重に。


「はぁっ、あんたの国にはマナがないの?」

「いえ、マナという概念すらありません」

 

 決して嘘はいっていない。

 どう答えたら相手が納得するのか分からなかった。 


「ふーん、魔術が使えないのに進んだ技術があるなんて不思議ね、あんたの国は」

「アリシア様、異国の人をからかうのはやめましょう」

 

 俺たちの様子を見かねたのか、エレノア先生が近づいてきた。

 やや険しい表情で心配しているように見える。


「やだなー、異文化交流ですよ。ちょっと話してみたかっただけです」

 アリシアと呼ばれた女性はわざとらしい笑顔をつくって歩き去った。


「カナタさん、何か変なことは言われませんでしたか?」

 エレノア先生が心配そうにたずねた。


「いえいえ、話しかけられただけです」

「そうですか、何事もないのならよかったです。ではお気をつけて」

「はい、失礼します」

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