21話「馬鹿なお嬢様」

 姫崎は、自分の過去を聞いた。

 気を抜くと耳に入ってくるひそひそ声。

「姫崎さん……小学……」

「カツアゲ……いじめ……」

 根も葉もない、ひどい噂だ……とは反論できない。なぜならそれは事実だからだ。

 消せない過去。学外にではあるが、今も当時のいじめ被害者はいる。誰かが好奇心を発揮して、彼女らにたずねれば、一発で真実をつかむ。

 いや、当時一緒に加害者となった人間は、今も学内にいる。ちょっと甘言を使って、巧みに聞き出せば、簡単に裏がとれる。

 幸い、智島には彼女はすでに打ち明けているので、改めて耳に入れた彼から失望される、ということはないはず。

 だが。

 こうして自分の過去の行いを、裏で広められるのはつらい。彼らは聞こえないように話しているつもりだが、案外耳は鋭いものだ。あちこちから「その話」が心を刺してくる。

 過去は、今さら静かに弓を引く。

「姫崎さん?」

 彼女が我に返ると、そこには智島の顔。

「顔色が悪いよ。大丈夫?」

「ああ、うん、大丈夫」

 姫崎は弱々しい笑みをこぼした。

「あの……『噂』のことで?」

 図星だった。

「……うん」

「そうか……」

 沈黙。

「でも」

「うん?」

「僕はそんなことで姫崎さんを見限ったりはしない。約束するよ。姫崎さんのことが好きだから」

 誰が見ても完璧な、器量に欠けることのない恋人。余人は智島こそが、性悪女にひっかかっていると見るだろう。

 実際は言うまでもない。智島は姫崎と同等以上の畜生である。

 ある意味お似合いの一組。

「智島くん……すき……」

 姫崎は何も、何もかも知らなかった。


 それからしばらくして、解任投票の申立てがなされた。申立人は新村。裏で智島たちが協議し、新村に矢面に立ってもらうことになったのだ――もっとも、そのことはまだ、智島一味以外誰も知らない。

 その報せは、学校中を駆けめぐった。

「来ましたか……」

 生徒会長は、選挙管理委員会からの重要な通知を読み、その美しい眉をゆがめた。

 他の生徒会役員は、姫崎含め出払っており、今、生徒会室には会長以外誰もいない。

 姫崎の例の噂が真実であることは、会長も把握している。危機管理の面からいえば、さっさと姫崎を更迭したほうが、姫崎以外の役員の損失を抑えられる。会長自身も含めて。

 しかし、姫崎の父は大物政治家。下手にざっくり切り捨てると、会長やその一族に、多かれ少なかれ影響が出る。取り返しのつかない報復を受けるおそれすらある。

 特に姫崎父は娘を溺愛している。その愛娘を切り捨てるのは、同じ政財界サイドの会長としては、あまりにも危険の多い選択だ。

 板挟みである。早期に更迭すると、姫崎父の仕返しが怖い。だが続投させると、各方面から突き上げを受ける。

 普通に考えると、姫崎とともに申立人たちと戦わざるをえない。防戦の構えに入り、馬鹿なお嬢様のために奔走するしかない。迷惑な話だ。

 馬鹿なお嬢様といえば。

 彼女が付き合っている智島は、申立人の新村の親友。この件に一枚かんでいるのではないか。

 ――いや、憶測にすぎませんね。決めつけるのは早計でしょう。

 しかし新村が智島を取り込むことは充分に考えられる。彼から色々なことがだだ漏れになるおそれは少なくない。

 とりあえず、姫崎が戻ってきたら、たっぷり話をする。

 巻き添えの会長は、ため息をつき、目がしらをもんだ。


 その帰り道、姫崎は恋人に愚痴る。

「ってわけで、会長がうざいんだよう」

「なるほど。それは大変だったね」

 智島は姫崎の頭をなでる。

「うにゃ」

「よしよし。姫崎さんは今日も可愛いよ」

 彼女はうっとりした表情になる。

「会長がさ、ダーリンのこと疑うんだ」

 智島の眉がぴくりと動いた。

「どういうことだい」

「申立人の新村に、情報をリークするんじゃないかって」

「むむ」

 智島は苦い顔をした。

「今のところ、新村からは何も尋問されていない」

「でしょ、でしょ!」

「でも……新村が権力で尋問班を作って、きつく問いつめることはありうる。彼は和解派だからね、そういう人間も動員できる」

「そんな……」

 姫崎の心がしおれる。

「もちろん、僕は姫崎さんが大事だ。でもね」

 ――姫崎さんに嘘は言えないんだ。

「どういうこと?」

「僕は『どんな尋問にも屈しない超人』ではないんだ。悲しいことにね。だから『何があっても黙秘する』とは言えない」

 口で、尋問や拷問に必ず耐え抜く、と誓うのは簡単である。しかし現実は、特殊な訓練を積んだ軍人でもない限り、それを実際に果たすことは不可能。それにもかかわらず、姫崎に鋼鉄の黙秘を約束するならば、それは姫崎に嘘をつくのと同じこと。

 彼の論理はそのようなものだった。

「だから、新村たちに尋問されたら、何か言わないとも限らない」

「智島くん……」

「きっとこの言葉で、姫崎さんは落胆しただろうね。でもこれは、僕なりの誠意なんだ。姫崎さんを想っているからこそ、姫崎さんに嘘はつかないんだ。姫崎さんが僕に隠し事をしないから、僕も嘘をつかないんだ」

「智島くん……!」

 彼女は彼をぎゅっと抱き寄せる。

「あ、でも」

 智島は続ける。

「生徒会長とかには、このことは言わないでほしい」

「ふぇ?」

「僕と姫崎さんは互いに嘘や隠し事をしない。でも他の人は別だ」

「うん」

「もし会長に言ったら、生徒会から無駄に警戒される。ひょっとしたら新村からも敵意を持たれるかもしれない。情けないかもしれないけど、僕はそうなったらさすがに苦しい」

 智島は心底臆病そうにうつむく。

「なるほど」

「姫崎さんが苦しいのは分かる。けど僕も危ういんだ。ちょっとだけでいいんだ、姫崎さんも優しくしてくれないかな」

「もちろん、ダーリンのためなら」

 彼女は何度もうなずきながら言う。

「好きだよ、ダーリン。私が守ってあげる」

「ありがとう」

 智島は涙を拭うふりをして、姫崎の死角で邪悪な笑みを浮かべた。

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