第520話 その尻ぬぐいはかつて愛したが故




 シャルーアはむくりと身体を起こす。軽く背伸びをし、窓から差し込む光の角度からおおよその時間帯を確認すると立ち上がった。

 逆光がその魅惑のシルエットを映し出す。


 少女の足元にはバルムークら、ジューバを追われた男たちが大いびきをかきながら眠っていた。

 その寝顔はいずれも憑き物が落ちたかのように清らかであり、まるで無垢な少年に戻ったかのよう―――シャルーアは、まるで母親が子の寝相を見守るかのような優しい視線で彼らの寝相を観察しながら、自身の衣服を着付け、その部屋を出た。



「お待たせ致しました、わざわざ迎えに来てくれてありがとうございます、マンハタ」

 扉から出てきたシャルーアはいつもと何ら変わらない。

 その心中を推し量るマンハタは、わずかに哀しそうな表情を浮かべた。


「シャルーア様、その……」

 かける言葉が見つからない。シャルーアが抱える哀しみを理解したことで、マンハタはつい委縮してしまった。




――――――先日、シャイトの執事の一人のフォンソの調査報告、その内容について無関係ではないシャルーアは話の場に呼ばれ、そして自分とヤーロッソのかつての関係をはじめとして様々なことをたずねられた。


 両親の死後、沈んでいた自分に近づいてきたヤーロッソ。愛し合った日々、エスカレートしてゆく快楽と外道なる扱い。そして子を成せなかったがために捨てられて……


 その一連の出来事はシャルーアの主観で話され、ヤーロッソを悪し様に捉えるようなワードや言い回しは、彼女の口からは一切出てはこなかった。

 しかもシャルーアは昨日、自分を切った男であるヤーロッソの非を、代わりに償うとばかりに自分から人生に関わるレベルで被害をこうむったバルムークらを慰める・・・と申し出ている。


 つまり、シャルーアとてヤーロッソという男がどれだけ醜悪外道であるのか、まったく分かっていない盲目の愛に囚われた少女、というわけでもないのだ。

 ……だが、その心に彼を責めたり悪しき者として嫌悪する気持ちが微塵もないのも確か。


 哀しいまでに優しくも尊い―――その御心にマンハタの方が泣きだしそうになっていた。




   ・


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「……時系列を考えたら、やっぱり義姉さんへのプロポーズ前になるね」

 シャイトの言葉を受けて執事陣が静かに頷きを返した。


「はい。確実にあの男ヤーロッソはシャルーア嬢の財産を奪う目的で近づき、それを自身の力であるとして、ルシュティース様とのご結婚の条件に対し、示したのでしょう」

 執事たちの調査の結果とシャルーアの身の上話を総合した事で、ヤーロッソの外道さはもはや疑いようのない事実として浮かび上がった。


「元々はそこそこの家柄ではあったものの没落、その後詐欺師まがいな方法で上流階級の者をたぶらかし、富貴をむさぼったもののそれも長くは続かず落ちぶれた男。……その後、ご両親を亡くされて悲しみにふさぎ込んでいらっしゃったシャルーア嬢に近づき、かどわかし、そして……」

「最終的にはすべて掠め取った―――その仕儀もどうやら町ぐるみでの共謀によるもののようです」

 別の執事が自分が調べてきたスルナ・フィ・アイアの役人たちの情報を記した書類をテーブル上に提示する。

 町の人間全員というわけではないが管理を担う役人を筆頭に、かなりの人数がヤーロッソから鼻薬ワイロを嗅がせられていた事が確認できたとまで記されていた。


「なんて酷い……」

 シャイトはしかめっ面を浮かべながらも、しかとその資料を熟読する。

 汚れた人間というのはどこにでもいるもの―――将来的にヴァヴロナでもそういった手合いに出くわす可能性は十分にあるのだ。貴族の一員として自分を鍛える意味でも目をそらしてはならない。

 強い嫌悪感を感じつつもこの若い青年貴族は、しかと向き合う姿勢を崩さなかった。


「バルムーク達の件も、かねてより根回ししていたジューバの役人に手を回しての、似たような手口を使っています。典型的な権威権力を利用した、虎の威を借りる狐のやり方ですね」

 ジューバでの調査を担ったフォンソが、怒りを通り越して感心すら覚えますよと言わんばかりの態度でさらなる調査資料を取り出す。

 実際、ヤーロッソはかなりマメに地元の権力者に対して、金や女遊びを通じて親交を深める行動をとっていたことが判明している。

 何ならわざわざ良さげな奴隷を購入してジューバの重役に献上するまでしているほどで、コネクション作りに熱心だった事が詳細に記されていた。



「まったくの無能ゴミクズではない、という事か……厄介な」

 やや粗暴な言葉遣いを漏らしてしまうも、すぐに己の粗相そそうに気づき、失礼しましたと短く謝りを入れるシャイトの護衛兵の長であるバーガナ。


 しかし彼の気持ちも理解できた。ヤーロッソという人間の実態を知れば知るほど外道過ぎるその人物像が鼻についてきて、つい口汚く罵りたくもなるのは当然だ。


「厄介である事は事実ですね。これでは安易に、義姉さんを連れ戻すこともできないでしょう」

 各情報を統合して見た時、ヤーロッソがなぜルシュティースを妻に迎えたか、その理由が愛によるもの―――ではなくパルミュラ家という強い後ろ盾を得るためだという事がよく分かる。


 事実、ルシュティースがヤーロッソに嫁いでからというもの、パルミュラ家はそれなりの・・・・・援助を贈っているのだ。

 無論、ルシュティースが異国の地で幸せに暮らせるようにという一族の願い故に他ならないわけだが、夫がとんでもない男だとわかった以上、これからはそうはいかない。



 ところがヤーロッソをどうにかしてルシュティースを連れ戻すという仕儀が、現状では限りなく困難な状況にあることも見えてきて、シャイトは頭を悩ませた。




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