第98話 慎重者は去れど頭は重し
――――――ジューバの町。治療院の入院個室。
ジャスミンの怪我は命に別状なく、また日常生活にも支障のないものだった。だからといって問題がないわけではない。
「骨のヒビは安静が大前提、痛めた
ナーダは本来の滞在予定期間を変更を決定する。とりあえずワダン本国の訳知りな部下宛てに手紙を用意し、送る算段をつけた。
「申し訳ございません、足手まといにな―――」
「そこまでだ。配下の弱音を我が聞かぬ事くらい、貴様はよく理解しておるだろう、ジャス。弱音を吐くくらいならば言われた通り安静に努め、怪我を治す事に注力せよ」
これがナーダこと、ナーディア女王という人物である。クヨクヨと後ろ向きな言を吐くならば、前向きに行動する事を自他に
だがそれは、かつて最愛の母を失った事にいまだ引っ張られてしまう己の心根への、叱咤の意味から来ている強がりにも似たものであるとジャスミンは知っていた。
「ですが私めが療養中、ナーダはいかがなさるのです?」
滞在期間を延長するのはいいとしても、従者が動けない今、ナーダも下手な身動きはとれない。
この町でジャスミンが治るのをただじっと待つ―――それはこの女王様の性格から考えて厭うべき無駄であり、おそらくは何かするつもりでいる。
そしてジャスミンが少しばかりの嫌な予感を感じているとやはりというか、ナーダはとんでもない事を言い出した。
「正式に護衛として、リュッグらを雇う事とする。すでに話はつけておいたぞ」
ジャスミンの懸念はナーダの気質にあった。
これまではあくまで、リュッグ達とは辿り着いた町で知り合った他人ゆえ、偽名のまま通していた。
しかし正式に傭兵としての仕事として、護衛名目での雇用となれば、必ずナーダはこう考える―――筋を通すべきである、と。
『我はワダン=スード=メニダが現国王、ナーディアス=ワ=ドゥーナである。此度は仕事を引き受けてもらい感謝するぞ』
案の定というべきか、後出しはズルいのではと言うべきか、リュッグが仕事を引き受けた後に堂々と正体を名乗ったというのだから、その時にリュッグとシャルーアが浮かべた
一国を治める王たる気骨と褒めるべきか、正体を明かすなんて危険な真似をと叱るべきか……
ジャスミンは、安静が必要とはいえさほど重体というわけでもなく、感覚的にもまったく余裕だった身体が、急に重くなったように思えた。
その頃バラギは、ジューバの町を離れることを余儀なくされていた。
「くっ、背中の傷は思ったよりも深いか……。まったく、
砂漠を歩く足を止め、周囲に気配がない事を確かめてからその身に力をこめる。全身の血管がボコボコと不自然に波打ったかと思うと……
ボコンッ
ローブの背にあいた穴から塊のような血液が飛び出した。
それは肉体に悪影響を及ぼす様々な体内物質が混入した、体中の悪い血をかき集めたもの。
吐き出した後の背中の傷口は、周辺組織がギュッと締まって閉ざされた。
「とりあえずは良し、か。マズイな……これでは活動に支障が出る」
場合によってはジューバの町で指名手配されている可能性すらある。そうなればこの王国中に情報が広がり、バラギの活動は著しく制約される恐れが出てくる。
「(さて困った。……尾行にも問題があった、傭兵ごときと侮っていたな。観察は気づかれていたが、こちらの詳細はさすがに気取られてはいまい。やはりまだ、本来の力を出せぬ内は、
北の “ 御守り ” がいまだ健在である疑惑のせいで、自分の仕事に失敗があったのではという焦りがあったかもしれないと、バラギは深く反省した。
「(ともかくあの傭兵―――リュッグはシロだろう。最低でもあの “ ニホントウもどき ” の出どころくらいは知りたかったが、しばらくは接近はせぬ方が良さそうだ。それとは別に気になる事が出来たしな。あの女……)」
それは、ナーダが口にした同じ意匠の
「(
正直なところ、もはやニホントウや御守りについては一度置いておく。今はそれよりも、
「(……いや、ここで下手に手を出すのは危険だな。一度刃を交えたことで、向こうは確実にこちらを認識し、警戒しているはずだ。ならば一度大きく距離を置くか)」
気になることや懸念は色々とあるが、
少なくとも、今のバラギは自分でも思うほど、いつもの平静さが足りてない。自分の調子をしっかりと取り戻すまでは、僅かなリスクも忌諱すべきと結論付ける。
「(もっとも―――)―――ただ遠くあるだけでは済まさぬが、……な」
そう呟きながら彼は、吹く砂塵の向こうへとその姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます