・四の部屋
第44話 呑気
後頭部を床で打ったナオキはその衝撃で目を覚ました。頭がボーっとする。自分がなぜ倒れているのか分からない。
俺は………………そうだっ――
臨戦態勢を取るべき状況であることを思い出して、一気に体を起こしたナオキを蛍光灯から逆光を受けているユミコが出迎えた。
「……大丈夫ですか?」
――自分が戻ってきていることを理解したナオキと帰ってきた男の酷い有様を見たユミコ、二人とも戸惑いながら、明かりが点いた部屋のイスに座った。
「……あの、えっと……生きててくれて良かったです」
ダンボールから取り出した救急箱を抱きしめて、目をパチパチさせているユミコ、その瞬きの一つが自分の目と合ったときに、あまりの眩しさでナオキは目を逸らした。
「……あ、うん」
血が塗られた自分の右手はじっと見つめているとなんだか襲い掛かってきそうだった。最後に気を失っただけであれは夢ではない。
感覚が麻痺しているのかあまり痛まない右手を力を入れないようにそっと下ろして、頭の中を整理しようとした。けれど、なんだかめんどくさくて――眠る前にやることを思い出した時みたいに頭を働かせる気がしない。ナオキは虚ろに茶色いテーブルで視界を満たした。
とりあえず、また進みたくなるまでここで休もうか……いやもう……
「怪我は大丈夫ですか?」
「……うん、まあ……ごめん。ちょっと休みたい」
ナオキは言いながら、イスから下りて、今度は壁にもたれて床に座った。そして、膝に置いた左手を枕にして目を閉じる。怪我はたぶん大丈夫じゃなかった。
ここに来て、これで四つの部屋を見て回ったのか……いや、部屋何て規模じゃないな。最初は部屋で次は家、その次は、ビルだ。八番目の部屋何て……もうふざけてる。
この先にはもっとやばい霊がいて、それに比例して空間もでかくなっていくのだとしたら……九番目十番目なんてどうなるんだ。利き腕も怪我したし正直舐めすぎてたなあ……そもそも、洋館を探索して出てくるなんていう難易度じゃねえよ。支給されたお札なんて何の役にも立っちゃいないし、あのブサイクな社長に騙されちまった……。
俺この先やれるのか?
そう思うと、思考が固まり――頭を空っぽにして現実から逃げた。けれど、痛みで顔が曲がってしまうほどの頭痛がして、ナオキはすぐに現実に戻された。数秒ほど頭の中心を貫くような痛みは続いたがすぐに痛みを感じなくなる。
初めて味わうタイプの頭痛に体に不調を訴えられたナオキはため息を吐いて、喉の渇きもうっとうしいので、眠る前に水だけでも飲むことに決めて立ち上がった。無意識で普段通り
あ、やばい……
痛みを感じる前に左手で傷を負った部分を抑えて、歯を食いしばる。しかし、待ち構えている者はやってこなかった。
あれ……?
違和感を覚えたナオキは右腕をさすって、揉んで――そうしてから赤く血が滲み込んだ包帯をほどいてみた。
まだ包帯に座れていない新鮮な血で傷口が見えない。蛍光灯の光を反射する綺麗な赤をゆっくり撫でると、そこには肌があるだけだった。ズキズキと苦しめ続けないのは感覚が麻痺していて痛まないように気を付けているからだと思っていたが黒ルナにつけられた傷は無くなっていた。
「消えてる……」
ユミコのほうを見ると、ナオキの行動と血を見たユミコが目を丸くしていた。
「消えてるんだ。俺の傷が」
その言葉から初めて、ナオキは自分の驚きの理由をユミコに説明した。なるべく怖がらせないように霊や部屋の仕組みについては深く説明せずに傷を負ってそれがなぜだか治っているということを話した。
「そんなことが……痛くないならそれは良かったですけど……」
「ああ。でもなんだか気味が悪い」
話ながら手に付いた血をユミコも一緒にウェットティッシュで拭いてくれて、手が綺麗になった。血の匂いと洗剤の匂いが部屋で混ざり合っている。
自分の右腕におかしなところがないか探したが紛れもなく自分の右腕で左腕と何も変わらない。そして疲労も無くなっているような気がする。それも体中の疲労が無くなっているような。思い込みで疲労していただけで、ちゃんと自分の体を確認すると調子の悪い部分は無かった。眠っていた体が起きてきたようだった。
「今回は長い時間入っていたし、もうダメかと思ってて、それでついに出てきてくれたナオキさんも怪我をしてて……私……喜んじゃダメだったから……っ……ごめんなさい」
ユミコが顔を赤くして泣き出した。ナオキの気づかないところで何か我慢していたみたいで、目を抑えた手から涙が粒になってこぼれている。
「そうだよね。心配だったよね」
長い時間入っていたという言葉について考える前にナオキはユミコの隣に座って背中に手を回した。するとユミコがナオキに抱きついて泣き始めた。
色々と複雑な感情を抱いて、複雑な状況に置かれていながらも、美女に抱きつかれたナオキの胸は高鳴った。えらいもんで何もかも一旦忘れて勝った気持ちになった。栗色の髪からはやっぱりいい匂いがする。
「俺が部屋に入っている間に、別の誰かは出てこなかった?」
ユミコの鳴き声が大きな呼吸に変わり、二人の間が暖かくなってからナオキが尋ねた。
「誰もっ……見てないです」
抱きついたままナオキの胸元でユミコが答える。
「そっか、この先の部屋に入っている人がいるみたいなんだよね」
ナオキがそう言うと、さっき呑気に居眠りしていたはずの老人が部屋の中に入ってきた。
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