『女王陛下のご懐妊』 女帝国家の不祥事

コトリノことり(旧こやま ことり)

前編 女帝国家の不祥事

 女王陛下がご懐妊された。

 その話はエオストラ国の王宮の客室を借りているウラヌスが朝食を終えた頃には届いた。

 他国の者であり、留学生という身分しかないウラヌスであるが、思案したのちにとある方への面会を願い出た。

 相手はこのエオストラ王国の第一王女、つまりエオストラ王国次期女王である王太女。そして自分の婚約者たるテルース殿下である。


「急なお願いでしたのに、昼餐にお誘いいただきありがとうございます」

「いいえ、大切な婚約者であるウラヌス殿下からのお願いですもの。むしろ侍女たちからはもっとウラヌス様とのお時間を作れと言われておりますのよ。同じ王宮にいるというのに、一緒におられず申し訳ないわ」


 テルースは柔らかく微笑みかけてくる。宵闇のような漆黒の髪に、朝焼けのような淡紅色の瞳はエオストラ王家の特色の色だ。すらりと整った容姿は儚くも神秘的な雰囲気をかもしだしている。


「テルース殿下は次期女王としてお忙しい身。私などただの留学生でしかありませんから、ご一緒できないことを不満になど思いません」

「あら、来年には私の夫となる方ですのに。もっとわがままをおっしゃって欲しいくらいです」

「春の女神の化身と言われるテルース殿下に一生お傍に仕えることができる名誉をいただいているのです。それ以上を望んでしまったら地母神よりお怒りを食らってしまいますよ」


 そういって肩をすくめるとテルースはおかしそうに笑う。彼女自身、ウラヌスが本気で王太女の婚約者の権利をかさに着て横暴をふるうなど考えていないだろう。なにせ、彼女はいずれ国の頂点に立つ身。彼女が選ぶべき王配は野心や権力に溺れるような人間ではなく、彼女自身に忠誠を誓う人間である。

 エオストラ王国は長きに渡り、国王の地位に立つものは女性である。王位継承権も男児には渡らないという、周辺国でも珍しい国だ。

 ウラヌスの母国も含め、周辺国では原則、王位は男児が継ぐものだ。そのため第三王子以下で、王位を継ぐ可能性が低い王子はエオストラ王国で女王の王配になることを望むものは多い。自国で王になれないならば他国で、ということだ。テルースが婚約者を探し始めた時も各国から立候補する王子が山のようにいた。

 しかし婿入りする立場の王配には権力はない。あくまで女王の夫というだけでまかり間違っても国主の座につくことも、同等の権力も持ちはしない。テルースが厳選に厳選を重ね、そのような勘違いした男ではないと認めてくれたおかげで、自国では第四王子という身分をもつウラヌスがここにいる。


「ですが、哀れな女神の下僕が問いかけるお許しをお願いしたく」

「ええ、私の大切な婚約者たるウラヌス様、あなたの問いを許しましょう」

「女王陛下がご懐妊されたという話は、真でしょうか?」

「はい、真実です」


 すぐに答えられ、まさか素直に答えをもらえると思っていなかったウラヌスは少しばかり驚く。

 テルースはそんなウラヌスに微笑みかけているが、それはウラヌスの様子に微笑んでいるだけで、決して女王――自分の母親が子供を身ごもったことに対して喜んでいるわけではないことはすぐに察せられた。


「女王陛下自身が発表するかは分かりませんが、懐妊されたのは事実です。まだ身ごもってふた月ほど、と聞いております」

「それは……やはり、喜ばしいことではないのでしょうか?」

「ええ、不祥事となんら変わりません」


 テルースは微笑みを絶やさないまま紅茶を口に含む。

 その仕種は優雅さと気品を兼ねそろえており、『不祥事』と言いながらも戸惑った姿は見られない。


「ウラヌス様もご存じのとおり、我が国は王族の女が王位についてきました。そして、即位するには条件があります」

「即位前にお世継ぎをおつくりになること、ですね」


 王族がその血統を絶やさぬように努めることは珍しい事ではないし、むしろ推奨されているだろう。そのために側室や後宮という制度を持つ国も周りには多い。

 だが、そういった制度は基本的に『国王』のために存在している。

 それは即位前でも後でも子を作る事が推奨され、子を身ごもることのない男性が国王の場合がほとんどだからである。


「子を身ごもると、どうしても執務に支障のでる時期が出てしまいます。さらに出産は万全の体制を整えても母体の命に影響があるかもしれません。ですから、女王は即位する前に自分の世継ぎを産んでおき、即位後は国のために尽くすことだけを考えなくてはいけません」


 改めて説明するテルースも、現女王が王女の時に産んだ世継ぎである。テルースを次期後継者に指名し、現女王陛下は即位された。

 ウラヌスのように、国王が即位してからも子を作るのが常識である国で育ったものとしては、自分の子を産むことを「即位するために必要な仕事」という位置づけであるのは馴染みがない。

 が、この国からしたら他国のほうが「国主が後継者を決めないことで起こる王位継承権争い、正妃か側室が産んだ子供の順番による混乱などの問題が多い。何より確かな王家の血を引くことを証明できるのは母親が王族の場合だけである」と言われるとそうしたものかとも思う。


「私には妹もおりますし、陛下が子を産む必要はありません。王家の血がとぎれそうになった緊急事態であれば仕方ありませんが、今回は違います。しかし、なぜこのようなことになったのか、いえ、なされたのか……」

「陛下がどうしてご懐妊され、隠されないことについて……ですか?」

「私には陛下の深慮をはかることなどできません。陛下には後宮もありますが、ご存じの通り――そこにいる男たちは子種がありません」


 これもエオストラ王国の他国とは違う文化だ。女王の為に後宮は存在し、幾人もの美男子たちがそこで女王の無聊を慰めるために待っている。しかし、他国では後宮の女性が妊娠することはあるが、この国の後宮の男たちは子種を作る能力を削がれてから後宮入りする。それは女王が身籠もらないようにするためだ。また、そこに普通の男が入り込むことなど後宮の警護を考えれば不可能に近い。


「さて……どちらにしても、明日の朝議は荒れるでしょう」

「女王陛下の代わりを狙う者たちが現れる可能性があるということでしょうか?」

「さすがウラヌス様。その通りでございます。陛下は偉大なお方ですが、やはり玉座とは野心あるものにとっては魅力的なもの……。世継ぎの私はまだ成人もしていない若輩者。そのうえ、一番に代理人としての権利を訴えそうな方に心当たりもあります」


 テルースはため息をついた。それは仕方のない子供の癇癪をなだめるのに疲れたような憂いだった。


「女王陛下の夫であり、私の父親です」


 女王陛下の王配、ピメーテウス公。

 ウラヌスはもちろん彼に会ったことがあるが、「なぜあの陛下が彼を夫に選んだのかわからない」が率直な感想であった。

 女王の王配とは権力もなく役職を持つこともない、ただの称号だ。それにも関わらずピメーテウスは非常に野心的だった。王配に権力はないといえども、女王陛下の正式な配偶者であり、さらに王太女の父親という『名』がある。それを使ってピメーテウスは国政に口を挟んだり、自分の派閥を作ることに忙しない。

 ピメーテウスは自分の立場を過信しているところがある。彼は女王陛下と対等であると考えているようなのだ。彼の母国は男性にしか王位継承権が与えられていないため、『王配』は『国王』と同じはず、という価値観の違いがぬぐえていない。

 それだけならまだしも、彼が明らかに女王陛下に対して忠誠を誓っていない、という証となる出来事があった。

 そのような夫と女王陛下が仲が良いかと言われれば、当然そんなことはない。女王とは仮面夫婦も同然なことは暗黙の了解であった。


「しかし、王配といえどもそのようなことは、この国では認められないでしょう」

「例えば私を代理人として、その後継人になるということでしたら全く通らない理屈、ではありません。今頃はご自分の派閥の方々に根回しされていることでしょう……ウラヌス様もご注意あそばせ」

「私が……ですか? そんな、私はただの留学生でしかなく……」

「おそらく明日の朝議にはウラヌス様も参加を要請されることかと思います」


 おそらく、と言いながらも確信している様子であった。テルースはいつもの穏やかな微笑をたたえ、優雅にティーカップを傾ける。


「もちろん、発言などは許されない、客分としての扱いになるでしょうが」

「まさかそのような……失礼ですが、明日の朝議はこの国の政に大きく影響する話となるでしょう。他国の身である私が自国に密告する危険があるではありませんか」

「あら……? おかしいですわね」


 テルースは首をかしげる。


「私の大切な婚約者たるウラヌス殿下。あなたはいつも、自分のことをなんとおっしゃってますか?」


 王家の証たる紅色の瞳が燃えるようにウラヌスを射抜く。

 ウラヌスは一瞬息をつまらせ、すぐに椅子から腰をあげてテルースの前に跪く。

 ここで答えを間違ったら、本当にこの身が燃える―――消えることになると理解したからだ。


「もちろん、春の女神テルース殿下の哀れな下僕でございます」

「ええ、私の大切な婚約者様。そんなあなたが裏切りを働くことなど思っておりませんわ」


 鈴のように軽やかな声で嬉しそうに答えながら、最後にウラヌスの耳元で囁いた。


「それに……私はあなたの賢さを信じております。ね?」


 それにウラヌスは「身にあまる光栄」と答える他になかった。



  



 テルースの忠告が実現したのは、昼餐を終えた帰りのすぐのことだった。


「これはこれは、未来の我が息子、ウラヌス殿ではありませんか」


 先ほど話題に上がったばかりのピメーテウスと回廊で出会ったのである。

 豪奢な金糸の髪、濃い青の瞳。たくましい体つきに彫りの深い整った顔立ちという、明らかに他国の容姿をしているが、彼は堂々としたふるまいを崩さずウラヌスに親しげに話しかける。


「ピメーテウス公、ご機嫌麗しく」

「そう硬くならないでほしいですな。いずれ親と子になる仲なのですから」


 離宮を住まいとする彼が日中に王城にいるということは、自分の派閥の貴族のところへ行っていたのだろう。

 当たり前だが、王太女の婚約者という身分しかない他国民のウラヌスに派閥というものはない。むしろウラヌスはテルース殿下の派閥の一人、と数えられる立場だ。そう考えているのは目の前のピメーテウスも同じだろう。


「よければともにお茶でも飲みませんか? 最近はお会いしておりませんでしたからな」


 そうして近くの客室にウラヌスを誘う。それを断ることもできるわけもなく、促されるままに従った。向かい合ってソファに座し、使用人が紅茶の準備をして退出すると二人だけとなった。テルースとの昼餐の帰りに彼と会ったのは偶然ではないだろう。


「そういえばテルース王女と昼餐をともにされたとか」

「ピメーテウス公は耳が早いですね。貴公に隠し事などできないということでしょうか?」

「いえいえ、私もテルース王女とお会いしたかったのですが、ウラヌス殿と予定があるとふられてしまいましてね……次は私も是非混ぜてほしいですね。家族として交流を深めていかねば」

「ありがたきお言葉。本日は私との時間を久しく作られていなかったのを申し訳なく思われていたようで、テルース殿下にお気遣いいただいたようです」

「ああ、確かに若い恋人同士、二人の時間ももちろん大切ですからね。それにしても二人は本当に仲睦まじい。孫の顔を見れるのもすぐでしょうな」


 いまだ婚姻はしていないが、この国の特性上、王位継承権を持つ者は婚姻前でも子を作ることを是としている。他国の常識では考えられないが、この国ではそうではない。実際、数ヶ月前にテルースの寝所に呼ばれた夜をウラヌスはふと思い出す。


「そう思っていただけるなら嬉しい限りです。テルース殿下は美しく、とても聡明なお方。少しでもお気に召してもらえるように、私のような卑小なものは必死ですよ」

「はは、確かにテルースは我が娘ながら賢く、次期女王としての素質に溢れている……しかし、厳しい教育のせいか人に対する優しさが足りぬような気がするのですよ」

「そうでしょうか? 殿下は下の者にも優しく、理不尽なこともされぬお方かと」

「いいえ、結局あの娘もこの国の因習に縛られているのです……ウラヌス殿も『玉落の儀式』を強いられているのでしょう?」


 声をひそませて伝えられた内容に、確かにこれは人払いが必要だとウラヌスは納得した。

 『玉落の儀式』—――それこそが、エオストラ王国独自の文化であり、ピメーテウスの忠義が疑われる証拠だ。

 この国で王位を継ぐには世継ぎを設けなければいけないが、即位後はそうではない。だからこそ女王の後宮には子を作れない男たちしかいにない。そして、それは女王が即位すると同時に『王配』となる夫も同じである。

 それが『玉落の儀式』。夫といえども、いや夫だからこそ子作りができないようにその処置が行われる。

 昔は本当に男性器の一部を削いでいたらしい。しかしそれによる後遺症が問題とされ、今では特殊な薬によって子種だけを消滅させることができるようになっている。男性器は無事なまま、生活に支障もなく、性行為も行える。ただ子を作れなくなる、というだけで。

 しかし、現女王が即位すると同時に行われるべきこの『玉落の儀式』を目の前のピメーテウスは拒んだ。

 そもそも、現女王が王太女であった頃、ピメーテウスの生国とエオストラは長きに渡る戦争をようやく和平条約によって終わらせたものの、両国の均衡は危ういものだった。そのため両国の平和の象徴として二人の婚約が決まった。完璧な政略結婚であった。

 しかし大きな問題はなく二人は結婚し、世継ぎたるテルースを含む子供を数人もうけ、ついに女王が即位するとなった段階でピメーテウスは『王配』が受けるべき『玉楽の儀式』の義務を拒否した。

 儀式を受けないのであれば離縁する理由にもなったが、落ち着いたばかりの両国の関係が悪化する火種となるかもしれない。ピメーテウスはそれを理解して儀式を拒んだのである。

 結論から言えば、女王は許した。その代わりに離宮を与え冷遇することで夫婦としての関係は断絶した。伽をともにしなければ王家には関係がない。夫が外で子供を作ろうと、そこにエオストラ王家の血は入っていない。王家の権威に影響はなく、再び戦争が起こる危険性よりも安全策をとったといえるだろう。

 しかしなぜピメーテウスは拒んだのか。確かに男性として、生活機能に問題はなくとも子種をなくすということに嫌悪感があるというのも理解できる。もともと彼の国の価値観は男性上位なのだから、受け入れがたいものであったということもあるだろう。

 だが本当に生理的嫌悪だけが理由なのか。たとえエオストラ王家の血がなくとも彼は自由に子を作れる。その子を自分の派閥貴族の養子にして後見につき、子を傀儡として権力を持つこともできる。

 何より、エオストラ国、つまり女王陛下に終生仕える気がないのだとしたら。いずれこの国を出た場合のことを考えて、自分の身を犠牲にすることを厭ったのだとしたら。

 これがピメーテウスが女王陛下に忠義を誓ってないのだと思わせられる理由だ。


「……この国で次代の女王陛下となる方の夫となると決めた時に、受け入れております」

「だが、あまりにも酷い扱いではないか? 世継ぎが生まれるまでは褥を共にするが、用済みになったら尊厳を奪われておしまいだ。王配など、所詮は都合のいい種馬でしかないということだ。真に互いを夫婦と認め合い、支え合う対等な関係ならばそんなことを強いるのはおかしいだろう?」


 憂い顔でピメーテウスは語りかけてくる。いずれ王配となるウラヌスの境遇は現王配である自分がよくわかっていると言いたげな様子だ。


「ピメーテウス公が私のような者まで気をかけて頂けること、とても嬉しく存じます。しかしながら、私は貴公のような才知を持たない凡庸な人間です。貴公の一言は獅子の咆哮でも、私の一言は小鳥の囁きにも劣りましょう」

「貴方はいずれ私の息子となる身。必要ならばいくらでも私が助力いたしましょう」

「そのお言葉を頂戴しただけで、この身が軽くなるようです」


 にこやかに王家のしきたりを裏切れと告げるピメーテウスに、ウラヌスも柔らかな口調で返した。

 その返答に満足したか否かはピメーテウスの笑みからは読み取れない。静かにお茶を飲み、そして世間話かのように切り出した。


「そういえば、陛下がご懐妊されたことはお聞きしておりますかな?」

「ええ、本日知りました。もちろんご夫君であられる貴公は前からご存知だったのでは?」

「ははは、陛下は秘密主義であられますから、私も委細を承知しているわけではありません。しかしあの陛下がまさかこのようなことになるとは……そういえば、テルースは今回のことに対して何か言っておりましたかな?」

「いえ……特には」

「ふむ。テルースも母親に似て秘密主義なところがありますからな。あえて言わないこともあるでしょう……しかし未来の夫のあなたにも隠し事をするとはあまり褒められませんな」

「今はただの婚約者ですから、テルース殿下もすべてのお考えを話せるわけではないでしょう」

「おや? それではテルースが隠し事をしているとウラヌス殿も感じていらっしゃるので?」

「いえ、特別そう思っているわけではありませんが……もともと女性は秘密を多くもつものでは?」

「これは一本とられましたな! 確かに確かに、女というものは男には隠したがる……それが賢いと思っているのでしょうなあ。ですがな、ウラヌス殿」


 それまでの陽気さとは裏腹に、声を潜めてピメーテウスは口にした。


「女王陛下は子供を身ごもった。己の立場を忘れて。だというのに、私たちには子供を作るなと『玉落の儀式』を強いる。自分たちは身勝手にしているのに、男にはそれを許さない。今回の件こそ、彼女たちが私たち男を同じ人だと思っていない証拠だと思いませんか?」


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