第64話 しっぽ。





 ハンスイェルクルークの呟きが、なにやら不穏に聞こえたのは気のせいってことにして!

 やっと解放されたので、ひとまずは母様の元へ急ぎ、その姿が見えると、ドレスにそっと抱きつく。

 ……身長差でね、どう頑張っても腰まで手は届かないから。


 それにね、勢いよく行くとドレスに跳ね返されるんだよ…知ってた?

 特にふんわり広がる形のドレスの弾力が、一番攻撃力が高い。

 私、これ知らないで、何度か突撃してあの弾力に激しく跳ね返されて、転がったことが多々ある……。



「おかしゃま!」


「あらあら、ハンスイェルクハンスと仲良くできてえらかったわねぇ。魔法、楽しかった?」



 私と同じ髪色の、母様。私に気づくと、慈愛のこもった溢れる様な笑みを、艶かしさすら感じる美貌にふわりと浮かべる。

 ワインを片手に談笑中だった様で、すぐそばにあるテーブルにグラスを置くと、その手で頭をぽんぽんとされた。


 こくりと頷くと、少し酔っているのか、ほんのりと頬を紅潮させた父様に頭をくしゃくしゃとされた。



「……俺、ハンスイェルクハンスのあんな笑顔、初めて見たよ。セシーはすごいな!王子たちもハンスイェルクハンスの笑顔を見てびっくりしてたぞ?」


「うふふ、私もよ?ハンスイェルクハンスは生まれた頃からいたそうだけど、社交辞令での笑顔ならともかく、今日のは本当に素敵な笑顔だったわね」



 ……母様の小さい頃。父様との結婚で降嫁される前、母様がこの国のお姫様だった頃。

 つまりそれだけ昔からメアリローサ国ここに仕えていたって事だよね。

 ハンスイェルクルークの過去が気になる……!


 が、父様がぼそりと呟いた一言によって、そんな好奇心は一瞬で空の彼方に吹き飛んで行った。



「…ハンスイェルクハンスから何の冗談か、セシリアが拐われたその日に、縁談の打診があったんだが、あれは本気だったのか……」


(……は?…ちょっと待って?後添えって事?奥様…ユージアのお母さんは?いや待て、その前に、私をシシリーと疑い出してたのはさっきからだと思うから、これはセシリアとしてって事だよね……何がきっかけで原因なんだ?……何より、あからさまに実験材料にされる気がしてならないんですけどっ)



 頭の中では絶賛混乱中だったのだけど、とりあえずハンスイェルクルークとの婚約は全力で回避したい。



「せしーは、まだこどもでしゅよ……」


「あぁ、ごめんごめん。もう断ってあるよ。既に王子との婚約が確定してしまっていたからね……それともハンスイェルクハンスとの方が良かった?」



 ふと翠の双眸に、揶揄うような悪戯っぽい色が浮かび上がった。

 思わず全力でぶんぶんと音がなりそうなほどに強く首を横に振る、その様子を一瞬目を見開くように見たのち、眼を細めるようにして、ふっと笑うと私を抱き上げる。



「…大丈夫。セシーが嫌なようにはしないから。王子だろうが何だろうが、セシーが嫌なら全部蹴るよ……いっぱい頑張ったんだってね、お帰り、セシー」



 きゅっと抱き上げる力が少しだけ強くなった。

 頰に父様の頬が押し当てられてから、頰にキスが落とされる。


 ……そういえば、王都に戻れてから、父様にぎゅっとされてなかったよ。

 抱かれている安心感から、じわりと視界が歪み出す。



「おとしゃま、ただいま」



 無意識に父様の首に両手を回して、顔を肩に乗せるようにして、しがみつく。

 父様が動くたびに、赤い短髪が顔をくすぐる。

 涙を誤魔化したくて、肩に顔をすりすりすると、大好きな父様の匂いがした。


 ……ちょっとお酒臭かったけど!



「セシー、くすぐったいよ!……さぁ、もう少ししたら晩餐もお開きになっちゃうから、お友達のところにも行っておいで」


「はぁい」



 そう言うと、抱っこから降ろされる。

 本当は、抱っこでちょっと眠くなり始めてて、そのままでも良いかなとか…思いはじめてた。

 父様に背を押されるように、されたその視界の先には、セグシュ兄様を筆頭にユージアとエルネスト、2人の王子たち……と、丸く寝転がってるゼンが見えた。



 コレは……出遅れた感が満載な気がする。

 私がルークに捕まっている間に、大人は大人、子供は子供とグループのように集まって会話が弾んでいたから……。

 めっちゃ入りづらい。


 どうしようかと少し眺めつつ…ただ、このままぽつんと一人を満喫してしまうと、再度ルークに捕獲されかねないし。

 というか、背にそんな熱視線を感じるので、ゆるゆると子供達の輪に向かって歩き出す。


 歩き出した瞬間、ふとあるものが目に入り、無意識に猛ダッシュになっていた。



「げっ!」



 見えたもの。それはスーツから生えている、エルネストの尻尾。

 ゼンの尻尾に負けず劣らずの、凄いふさふさの。



「はい、キャッチ☆」



 ……あともう少しというところで華麗に躱されて、その勢いのままに奥に、エルネストと向かい合うように立っていた、シュトレイユ王子に飛び込みかけたところでユージアにキャッチされた……。

 そのまま動きを封じられるかのように、お姫様抱っこにされてしまった。



「セシリアおかえり!……エルの尻尾触っちゃダメだからね?」


「おみみは?」


「……ダメかな。ビックリした」



 エルネストの声に、その姿を見ると、すでにあの魅力的な尻尾は跡形もなく、可愛らしい耳までも姿を消していた。悲しい。


 くく、という声と手を口に添えて俯き、肩をふるふるさせているレオンハルト王子。

 窒息するまで息止めちゃったよ!ってくらいに顔、真っ赤だよ……。


 シュトレイユ王子はアクアマリンのような、そのきらきらの瞳を好奇心の色に染め、そこだけ花が咲いたような笑みを浮かべてこちらを見ている。


 手足をばたつかせて、ユージアのお姫様抱っこから開放されると、再度エルネストを視界に捉えようときょろきょろしていると、ほのかに頬を紅潮させながら独りごちているのが見えた。



「そんなに触りたいなら、そこに全身ふわふわのがいるだろ。なんで僕……」



 ふわふわ、と言われて、みんなの視線がゼンに集まる。

 別に良いけど?とでも言うように、純白の尻尾がふわりと揺れていた。

 確かに全身ふわふわなんだけどね。そうじゃないんだ、エルネストの尻尾が良いのだよ。



「えるのがいい!さわらせて?」


「ダメっ!絶対イヤっ!」



 お願いしながら近づいてるのに、エルネストは、じりじりと後退していく。

 もう、そこに尻尾は存在しないのに、なぜか尻を押さえて隠すように後退していく。

 エルネストの背後には心なしか、しょんぼりしているゼンと、その様子を見てにやにやし、どうみても私の捕獲準備をしているユージアがいた。



「ねぇ、ゼンはどうしてダメなの?」



 シュトレイユ王子が小首を傾げて不思議そうに聞いてくる。

 なんだろう、この可愛い生き物は。

 私と同じ歳の王子様は仕草ひとつひとつがとにかく可愛らしい。



「おうちでさわれるもん」


「……触れないよ。ゼンは龍の離宮おうちに帰るから。この前は、勝手にセシリア嬢についていってしまっただけだから、いっぱい怒られたみたいだよ」



 ……あ、反省会か。


 レオンハルト王子が口元に手を添えたまま、耳まで顔を真っ赤にして教えてくれた。

 ザ、王子様!って感じのキリッとした綺麗さが台無しだよ……。

 もっと思いっきり笑ってしまえばいいのに。


 そうか、ゼンってばまだ赤ちゃんだったんだった!そりゃ、おうちに帰るよね。

 お母さんを心配させちゃいけないのですよ。


 ゼンとエルを天秤にかけて……それでも、エルネストの尻尾の方が、触れるタイミングがなさそうな気がするんだよね。

 だってゼンはおうちが龍の離宮なら、私は龍の巫女で毎日通うんでしょう?

 会いに行けるよね?


 そういえば、私はエルネストの家を知らない。



「えるの……」


「あぁ、セシリアは聞いてないのか。エルと僕はガレット公爵家セシリアのいえに一緒に帰るんだよ。なので今触るべきは……」


「ぜん!!」



 ユージアが「聞いてなかったの?」と言う顔をしながら教えてくれたので、安心してゼンをもふりに行った。



「……そうなるよね。あぁ、是非そうしてくれ」



 なぜか遠い目をしたエルネストが見えた。

 ふふふ、甘いのですよ。

 一緒に帰るってことは、いつか触れる機会があるはずなのですよ!

 ……諦めませんよ。


 そう考えつつも、一心不乱にゼンをもふった。

 途中からシュトレイユ王子も加わって、全身をもふり倒す。


 ふと思い出して背中を触ってみたけど、今はどこにしまってるのか、あの立派な翼はどこへ行ったのか、それっぽいものは見つけられなかった。



「ゼンはふわふわだね」



 シュトレイユ王子がそのキラキラの瞳でふわりと笑う。


 ゼンの純白で艶のあるそのもふもふの毛並みは、ふわりと触ると、柔らかく深く沈む。

 ふわふわで温かくて、気持ちよくて。


 そして大きい。



「きもちいい」



 今のサイズ、大型犬より少し大きめの、特大猫なんだよね。

 触り甲斐が、思いっきりあるんですよ!


 ゼンは時折、本物の猫のように喉をグルグル言わせていたが、気持ちが良かったのかそのまま寝てしまっていた。


 その様子に、エルネストとレオンハルト王子までもが、ゼンをもふり始めていた。


 私とシュトレイユ王子は触り慣れてきたので、ゼンが寝ているのをいいことに、前脚の付け根、腹の上にころりと転がって、長毛のもふもふに埋もれるように、柔らかさを満喫していた。






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