10 悪夢の箱(1)



「それで、これは一体なんです?」


 ジェットは愛嬌のある赤い瞳を半分にし、私、クリスティーナ・セレスチアルと隣にいるヴィンセントを凝視していた。


 私達がいるのは誰もいない夕方の校舎前だ。この場には私、ヴィンセント、ジェットのほかにシヴァルラスとイヴもいる。


 私がジェットと温室にいる間に、イヴがシヴァルラスに悪夢をどうにかする手伝いをお願いされたらしい。


 そこでヴィンセントは「ジェットが何かやらかさないか不安でしょうがない」とか「誰もいない校舎内で好き放題やらかしそう」とか「絶対にぐらい見張りがいる」とイヴから事情を知った体でシヴァルラスに言い、私も一緒に無理やりイベントにねじ込んだのだ。


 それを聞いたジェットは珍しく不機嫌そうに腰に手をやって「まったく」とぶさくさ口を開く。


「あのね、ヴィンセント、クリス。これからボク達がやることは遊びじゃないんだよ?」


 あの悪魔の口から「遊びじゃない」という言葉が飛び出るとは思わなかった。私もヴィンセントもきょとんとしてしまう。そんな私達の顔を見て、ジェットはさらに口をへの字に曲げた。


「校舎に人の心を奪う危な~い化け物がいるかもしれないんだよ? どうするの? 昨日君達が見た幽霊がまた出てくるかもよ?」

「幽霊なんていないってジェット様が言ったんですよ?」


 私がそういうと、ジェットはバツの悪そうな顔をし、それを見計らったシヴァルラスが咳払いをした。


「まあまあ、とりあえず手分けして調査をしよう。ジェット様、ヴィンセント、クリスティーナ嬢はこの本校舎、私は体育館、そしてイヴ嬢は第2校舎を捜索してほしい。もし、何かあったら知らせてくれ」

「えー、ボクのところに3人もいらなくないです?」

「「絶対にいる」」


 抗議するジェットに対して、私とヴィンセントが食い気味に言うと、彼は「もう、信用がないなー」と頬を膨らませた。


 私達はそれぞれの持ち場に移動する。ジェットの手には布がかかった大きな鳥籠と小さなトランクが握られていた。


「あれが悪夢の箱か?」


 ヴィンセントが私に耳打ちをし、私は「わかりません」と首を横に振った。

 ゲームでは悪魔の箱がどんな形をしているかイラストがなかった。正直、ジェットがそれを何に使うのかもわからない。

 私は先に歩くジェットに向かっていった。


「校舎の調査はイヴ様みたいにシヴァルラス様から依頼されたんですか?」

「まあ、そんなところだね。今回の原因に心当たりがあったから」


 心当たり。私はその言葉を聞いて気を引き締める。一体、このイベントで彼は一体何をするのだろう。

 彼は廊下のど真ん中で鳥籠を置いてトランクを開けた。トランクの中身は新聞紙、折り畳み式の虫取り網、小指に嵌りそうな小さなリングが入った袋といった、見ただけでは何をするのか分からないものばかりだ。


「はい、2人ともどうぞ」


 ジェットは私とヴィンセントに虫取り網を渡し、私達はわけがわからず顔を見合わせてしまう。


「おい、ジェット……昆虫採集でもするつもりか?」

「まあ、そんな感じかな? まあ、捕まえるのは虫じゃないけど」


 ジェットはそういうと胸ポケットから犬笛に似た金色のホイッスル取り出す。


「あ、まだネットは振らなくていいからね」


 彼は鳥籠を開けるとホイッスルに息を吹き込んだ。


 ピッ!


 ホイッスルが短く鳴らされると、鳥籠から黒いボールのような物体が飛び出し、薄暗い廊下にあっという間に姿を消した。


「え、何あれ⁉」

「ボクのペット」


  ヴィンセントも目を丸くして固まっており、そんな私達をよそに彼はトランクから新聞紙を取り出して棒状に丸める。


「ペットって……あれを逃がしていいんですか?」

「大丈夫。ちゃんと躾けてあるから」


 いつの間に躾けているペットを持ってきたのだろうか。この寮はペット禁止だぞ、なんて野暮なことは聞けなかった。

 ヴィンセントもそこまで聞く気はないようで、壁に寄りかかり赤い頭を掻いていた。


「ジェット、お前はシヴァ兄を襲ったヤツに心当たりがあるってどういうことだ?」

「人が急に目が覚まさなくなった事件が、ボクの国でも起きたことがあるんだよ」

「えっ⁉」


 もちろん、そう声を上げたのは私だけじゃない。ヴィンセントも持っていた虫取り網を落としそうになりながらジェットを見ていた。


 彼はそういうと「そろそろかな」と廊下の奥に目を向けた。

 ピッとホイッスルと鳴らすと、校舎内に散っていった黒いボールのような物体が、鳥籠へ戻っていく。


「2人ともネットを構えててね。もし、ボクが取り逃したら頼むよ」



 持っていた新聞紙で肩を叩くと、彼はもう1つのホイッスルを取り出して強く吹き込んだ。

 しかし、その音はまったく聞こえず、窓ガラスがカタカタと小刻みに揺れる。

 バタバタと何かが羽ばたく音が耳に届いた。それは上の階から聞こえ、次第にこちらに近づいてくる。


「な、なに……?」

「来るよ」


 ジェットがそういった時それは姿を現した。奥の階段から暗闇が迫ってくる。まるでその場所だけ夜が訪れたかのように黒い霧が覆いつくしていく。


(あ、あれは⁉)


 悪夢だ。ゲーム画面では黒い靄のようなものだったが、想像を超えた悪夢を目の当たりにして一瞬呼吸も忘れそうになった。

 ジェットは私達の前に立ち、こちらに向かってくる闇を凝視していた。



 そして、その闇がジェットを飲み込もうとした時、彼は新聞紙を持った手をその闇に向かって大きく振りかぶった。

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