第四章 『旅の果て』2

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 それからの旅路は酷く目まぐるしく、けれど最高のおもになるものだった。

 南から再び、北を目指しての旅。聖都を出発してから半年を、ラミとエイネはふたりで過ごした。行く先々で、様々な思い出を培いながら。

 安らかな時間で、安穏とした日々だった。

 もちろん戦いはあった。エイネが消耗しないようラミは奮戦した。それだけでも修行の日々が報われたように思えた。彼女を守って戦える強さが──誇らしかった。

「本当は、旅の終わりに行こうかな、って思ってたんだけど」

 エイネは言った。

 北の果て。全天教会によって聖域とされている地。歴代の神子たちも、必ず一度はその場所へ足を踏み入れてきたという。王国の歴史における、そこははじまりの場所だ。

「旅をして、戦って、この星を救って。そしたら……そのあとだったら、今度こそなんの目的もなしに、ラミといつまでも世界を巡れると思ったんだけど。あんまり関係なかったかもね? 私たちは結局、自由に行きたいとこ行って、見たいもの見て回ってるから」

「……そうだな」

「あはは! ほら、昔からラミは、いつか村を出て行っちゃうってわかってたし? 私がそれについて行くなら、それなら広い世界を見たいって。そういう風に考えてた。だからその意味で言えば……あのとき聖都で再会して、ふたりで鋼騎クルマに飛び乗ったときに、もう私の願いは叶ってたのかもしれない。──本当に、楽しい半年間だった」

「そう、だな……そう思う」

「だからね。だからこそこの旅の終わりを、私は後悔で終わらせたくない。別に最初からそんなつもりないけどさ。改めてそう、強く思うんだ。笑って、旅の終わりに行きたい」

「そうなるさ。だって、ふたりなんだから」

 ──エイネの使徒化は止まらなかった。

 再出発からひと月後には、味覚が完全になくなっていた。旅に出た当初から、エイネの味覚は鈍くなっており、ラミに食事の準備を任せていたのはそれを隠すためだったのだ。

 それでも彼女は、満面の笑顔でラミの作る食事を食べていた。

 さらにひと月経つと、エイネはもう人間の言葉を聞き取れなくなった。言語を、実感として認識できない。エイネと会話できる存在がラミ以外にはいなくなり、さらにひと月が経つ頃にはもう、ラミ以外の人間を個人として認識できなくなった。

 それでもエイネは人間としての精神を保ち続けていた。

 味のしない食事を笑顔で食べて、色のない景色の思い出を宝物として大事にする。顔も声もわからなくなった誰かのために、全てを背負い続けた。

 人々を守りたいと願い、故郷に残してきた妹のことを案じ、誰かが傷つくことに悲しむ真っ当な精神を保ち続けるエイネ。

 ラミがいるお陰で。

 最も長い年月を共に過ごした友人がいるお陰で、なんとか人間性を保ってしまう。

 けれど。感覚を喪ってなお人間であれてしまうこと自体、少女にとって耐え難い負担であることも事実だった。──あまりにも、それは悲痛な抵抗だった。

 自然の変化に適応しないでいるという抵抗。それは常に精神をむしばんでいる。

 元より一度、エイネは使徒化を果たしてしまっている。そこから戻ってこられたことがそもそも奇跡なのだ。だからこそ、現状を保つことそのものが痛苦となっている。

「──世界はれいだよね」

 と。それでもエイネ=カタイストは言う。

 少女は決して忘れない。

 広い海を見た。昇る朝日を見た。木々の茂る森を見た。そこに暮らす野生の獣を見た。あるいはこの国の人々を。都市の活気を、小さな村の営みを。たとえわからなくなってもまだ見えるものがあったからだ。自らが救うべき、命の輝きが──炎が、確かに見えた。

 ふたりで見つけた世界の広さと美しさだった。

 まるで、だからこそ戦うのだと言わんばかりに──ふたりはそれを目に焼きつけた。

「なあ、エイネ」

 北の果てが近づくにつれ、こうして呼びかけることが多くなった。

 助手席のエイネは、もう色も輪郭もわからない世界の景色を、それでも眺めて微笑む。

「なぁに、ラミ?」

「北の果てで用事を済ませたら、一度、故郷に戻ろうぜ」

「うん、それはいいね。アウリの顔をきちんと思い出さなくちゃいけないし」

「……ああ。旅を終えればきっと元に戻るさ。そりゃリハビリはしないといけないだろうけど、何、オレが付き合ってやる。師匠にも挨拶にいかねえとな」

「そうだね……ジャニスには私もお世話になったから」

「オレの修行の間に、聖都にも戻ってたんだよな、師匠……本当びっくりだ」

「…………」

「…………」

「……なあ、エイネ」

「なぁに、ラミ?」

「あー……その、なんだ。つらかったら寝ててもいいんだぞ?」

「大丈夫。きっと今日には着くでしょ? どう転ぶかわからないけど、もしも上手いこと使徒にならずに星を救える方法が見つけられれば、そこからきっとまた忙しくなる。無駄遣いしていい時間なんて、ないよ」

「……かもな」

「うん」

「…………」

「…………」

「なあ、エイネ」

「なぁに、ラミ?」

「……いや、なんでもない」

「そっか。それじゃあ、安全運転でよろしくね」

「ああ」

「もうだいぶ、寒くなってきたのかな。……わからないけど、風邪、引かないでよ?」

「……ああ」

 すでにヒトの住んでいる村落は、この先には存在しない。

 最果ての地。今は聖地とも呼ばれる名もなき土地。

 かつて初代の神子にして、初代大灯師とされている女性が、その天命を果たした土地として存在だけは有名な神の居場所。この半年間の、旅の終着地点。

 神の住まう世界へアクセスできるとすれば、それはこの聖地をおいてほかにはない。

 この先には山があり、枯れて何もない、ただ厳しい寒さだけが支配する場所だ。初代の神子が大灯師へ至った戦いの末、土地そのものが死んだからだ、と伝えられている。

 聖峰レーゼルティルメイア。

 大陸で最も高く、そして険しい山。だが同時に神の世界への出入り口とも呼ばれた。

 その周囲の土地は冬場になれば冷えきり、雪に覆われる。けれど雪は聖峰へと近づくにつれ逆に消えていき、ただ本当に何もないだけの灰色の世界が広がっているという。

 今はまだ夏の終わりだから、雪に道を阻まれることもなかった。もう少し遅れていたらこうでの移動は難しかったかもしれない。

 いずれにせよ、聖地と呼ばれる領域に入れば、あとは雪すら降らない終わりの土地だ。

 夕方には聖地入りできるだろう。


 ──ラミとエイネの別れ。

 そのときは、ついに翌日にまで迫っていた。

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