第四章 『旅の果て』1-1

第四章『旅の果て』


 1


「……なんか、嫌な夢を見たな」

 目を覚ました瞬間に、ラミはそうつぶやいた。

 あおけになって見上げる天井。そのせいでどうしても思い出してしまう。

 あの日。自分の無力さを、身の程を知った日。

 その上で──なお身の丈に合わない理想を目指すと決めた日。

「…………」

 あのあとすぐ、エイネはジャニスに連れられて村を出た。第二十三代のが全天教で正式に認定されるまで、ラミは傷をいやすことに努めた。それ以外になかった。

 そして、ラミもすぐエイネと同じく村を出て、ジャニスに弟子入りを志願したのだ。

 ──自分を、エイネの隣に並び立てるような人間にしてほしい、と。

 すぐに修行に入り、以降は人界から半ば隔絶されたも同然の生活を送っていた。その目まぐるしさに、思い出すこともなかった記憶だけれど──。

「──ふん。辛気臭いツラをしているな、ラミ。そんなものは隠しておけと教えたろう」

「っ──師匠。入るならノックくらいしてくださいよ……」

「おっと、逆らう気力は残っていたか? ならとりあえず上出来と言っておこうか」

「……そう見えますか?」

「違ったのなら殴って目を覚まさせるところだが、それともわしの見込み違いか? 今なら久々に、稽古をつけてやるのもやぶさかではない。七日もっては、筋肉も鈍ってくるぞ」

「ああ……別に構いませんけどね。確かに身体からだを動かしたいですし」

 小さく笑い。

 それからラミは、こう言った。

「──今はもう、オレも師匠と同じ十三騎ラウンドなんだ。立場は対等です。そう簡単に勝てると思ってはほしくないですね」

「ふん。生意気を言う」

 ジャニスは小さく首を振って言った。どこか楽しそうに。

 ひとまず、師の機嫌を損ねない解答ではあったらしい。ラミはほっと息をついた。

「……エイネは」

「まだだ。そろそろ目を覚ますとは思うが、わしにも厳密なことは言えん」

 一週間を、ラミはこの町の宿で漫然と過ごしている。

 ──その間、エイネはずっと眠り続けていた。

「お前のほうはとりあえず快癒したと見てよさそうだが。しかし、こうしていると初めてお前たちに会ったときのことを思い出すな。我ながら感傷的な気分だ」

「へえ。師匠にしちゃ珍しいですね」

「次言ったら殴るぞ」

「……冗談です」軽く肩をすくめて、ラミは話題を変えた。「えーと、あのあと師匠に頼みに行ったんですよね。弟子にしてください、って」

「そうだったな。まさか、あそこまで言われて立ち直るとは思っていなかった」

「ああ……でもエイネがああ言ったのはオレへの発破だと思ったんで。あのときのオレに神子と会う力はなかったから、だからそこまで来いってエイネは言ったんですよ」

「…………」

「オレのほうこそ、まさか師匠が二つ返事で弟子にしてくれるとは思ってなかったです」

「……お前らのその在り方に、ほだされたんだろうさ」

 エイネは、いつか自分が神子であることに気づかれる日が来ると覚悟していた。狙ったかのように神子の隠れている土地が大量の片獣フリツカーに襲撃され、そこに駆けつけてきた騎士がジャニスだったことすら、あるいは神子の持つ命数が引き寄せた運命なのかもしれない。

 だから、エイネは自ら表舞台に立つことを決意した。

 なぜなら──。

「師匠。……アウリは?」

「今のところは、まだ隠したままだ。──アウリが神子である事実はまだ誰も知らない」

「そうですか。……よかった」

 カタイストの姉妹は、ふたりそろって神子である。

 だが妹のアウリにその自覚はなかった。エイネはアウリのしやつこんを、本人にさえ自覚させないまま命数術で隠していたからだ。無論、今はさすがに気づいているだろうが。

 だがエイネは、またラミも、せめてアウリだけには真っ当な人間としての一生を送ってほしいと願ったのだ。ふたりで旅立った最大の理由が、それだったと言ってもいい。

「ならまだ、エイネのがんばりには意味があるって言えるんですから」

「お前たちは……いや、何も言うまい」

 あきれをにじませてジャニスはかぶりを振った。

 神子である以上、いつかアウリも前線に出ることになる。いくらジャニスでも、それを隠し通すことはできないだろう。アウリもまた、神子の運命に翻弄されることになる。

 それを防ぐ方法を、ふたりはひとつだけ思いついた。

 すなわち、──アウリが神子として活動するより早く天命を全て達成すること。

 果たすべき役割がなくなれば、もはや神子という立場にも意味はない。アウリは普通の人間として、好きな人生を選ぶことができるようになる。

 大事な妹から、おさなみから、戦いの機会そのものをなくすこと。

 ふたりが旅立って、無理な目標を立てたのは、ただそのためだけだったのだ。

「……師匠」

 ベッドから降りてラミは問う。

「なんだ?」

「神子の役割は──人間をやめて使徒になることっていうのは、本当ですか?」

 ジャニスは小さくかぶりを振ってこたえた。

「らしいな」

「……知ってたんですか?」

「それには、わしがなぜここに来たのかを話す必要がある」

「そういえば……」

 この七日間、ラミは傷を癒しながら、それ以上に精神を立て直す時間を欲した。だからこれまでは話してこなかったが、考えてみればあの場に師がいた理由は確かに不明だ。

 ジャニス=ファレルは守護十三騎ラウンドキヤンドルの第三席。十二席のエイネと、十三席のラミが聖都を空けている今、相応の理由がなければ聖都を離れるのも難しいことだろう。

 果たして、ジャニスは言った。

「──ロック、という少年に会ったことがあるだろう?」

「え?」

 かつてティルア市で出会った少年。

 意外なその名前に、ラミは目を見開いた。

「ありますけど……それが?」

「居場所は彼にいた。彼は神子だし、そのキャリアはエイネよりも長い」

「──は?」

「何より彼の《魂源命装オリジナルアート》の固有能力もあってな。まあ、彼から居場所を聞いて、救助を要請されたということだ」

「ちょちょちょ、待ってください師匠、意味がわからない。あいつ何者なんですか?」

「悪いが」ジャニスは首を振る。「それは言わないようにと命じられている」

「な、なんだそりゃ……いや師匠が従うってことは、本当に神子なんでしょうけど」

「……お前は本当に、戦闘以外の思考力が欠けているな」

 呆れてかぶりを振ったジャニスに、面食らうラミだった。

 だが師匠が呆れるのも無理はない。

 彼女の言葉だけで充分、その正体は判別できたからだ。おそらくエイネなら気がついただろうし、ジャニスもそのために遠回しにヒントを含ませたのだが、ラミは気づかない。

 まあ気づかないならいい、とジャニスは首を振った。そこは重要ではない。

「……とにかく、そういうことだ。わしもそのときに知ってな。やられたよ、ラミ。覚悟はできているだろうから言うが、君とエイネの夢である、ひとりの神子が四つの天命を達成すること。これは、そもそも原理的に不可能だ。ひとりの神子に、機会は一度。それが」

「──使徒に、なること」

「そういうことになるんだろうな。神子は、命数術を使えば使うほどに、使った分だけの命数を惑星からげて回復する。だからこそ実質的に無限のような命数を使えるわけだが、問題はそれを繰り返すことで精神の構造そのものが組み替えられていくことだ」

「…………」

「その果てが《使徒》と呼ばれる存在らしい。かつて神子だった者が、その存在のレベルそのものを上げて、ヒトからまったく別の存在へと進化する。それだけの力がなければ、この惑星を救うことはできないというわけだ──それが、神子という制度システムの正体だよ」

「進化……つまり」

「ああ。──このまま進行すれば、やがてエイネは人間ではなくなる。そういうことだ」

 神の子は育ち使徒へと至る。

 地上と天とをつなぐ使者。神の言葉を直接に運ぶもの。

「聖都にいたとき、神殿の大しよくだいを見なかったか? 六色の、こうこうと輝く聖火を」

「……見ました。残る四つに、自分の命火いろともすんだって、エイネと」

 ジャニスの問いにラミはうなずく。

 あれは歴代の天命達成者、大灯師の称号を得た神子のめいがそのまま灯っている。

わかなえ色の命火……あれは二番目、《かい》の大灯師の聖火の色だ。あの場所でエイネと戦った使徒も同じ色の命火だった」

 ということは。

 あの場所で出会った使徒は、元は人間──いや、神子だった者ということになる。

「つまりエイネは、もう二度と日常には戻れないんですか」

「…………」

「いや、それだけじゃない。《支界》の大灯師は二代目神子。生きていたのはまだ聖暦の初めの頃……七百年以上も昔です。なら、エイネは死ぬこともできないことに──」

 元より神子は不老だ。だが決して不死ではない。

 人格すら全て塗り替えられて、それでも肉体の名前に固執するなら、の話ではあるが。

 死なず、朽ちず、星を管理するシステムになり悠久の時を神の手足として生きる。

「シシュー=シルバー……第二十二代神子が教会から離反した理由がそれだろう」

 ジャニスはラミの問いかけに答えず、静かにそう言った。

 ラミは思い出す。神子としての使命を裏切り、教会を──世界全てを敵に回してでも、おのが目的のために生きると決めたらしき女性のことを。

「教会はきっと気づいていたはずだ。使徒の存在を一度も観測していないとは思えない。つまり教会側は、知っていて神子の運命を隠していたことになる」

「……それを裏切りだと思ったから、シシューは神子であることを、やめた……?」

 いや。それは違う。

 というより、きっとそれだけではないのだろう。

「教会に恨みを抱いてるわけじゃないのか? いやわからない。でも少なくとも、単なるふくしゆうじゃないはずだ。でも、ならなぜエイネを殺そうとした……? いや、あれは別に、エイネを狙っていたわけじゃないのか? 何を考えてシシューはあそこにいた……?」

 逃げ出したのなら素直に身を潜めて、神子ではない人生を歩めばいい。

 だがシシューはその選択をしなかった。なぜか。そこにはきっと理由がある。

「……別の方法を、探している、から……?」

 今、ラミには二択が突きつけられてしまっている。

 すなわち、このまま旅を続けるか、それともここで終えるかの二択だ。

 正直に話せば、ラミはもうこの旅に意味をいだせない。だってラミが助けたかった相手なんて、初めからひとりだけなのだから。それができない旅に、もう価値はない。

 けれど、かといって安易に逃げ出せばいいという問題でもないのだろう。

 ラミは思考する。

「そうだ。そもそもどうして、使徒があの場所に現れた? なにせ七百七十年以上もその仕組みを隠していたんだ、使徒は人前にほとんど姿を見せないのが普通……だけどそれを崩した。なぜだ? シシューが呼んだ……いや、エイネに会いにきた……?」

 ──会いにきた。

 いな、もっと正確に言うのなら。


「──私を、迎えにきたってコトだよね」


 こえは、部屋の外から響いた。同時に扉が開く。

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