第三章 『反天会』4-1

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 扉を抜けた先は、どうやら似たような洞窟だったらしい。

 こちらも深さはほとんどなく、奥から入口がまっすぐに見えていた。ラミがすでに外へ出ており、エイネとワーツもそちらへ合流する。

 洞窟の外は森のようだ。辺りに木々の切れ目は見えず、それなりの深さを思わせる。

「……修行時代を思い出すな」

 冗談めいた台詞せりふを、かなり真剣な表情で呟くラミ。エイネが笑って突っ込む。

「あはは。言うほど昔でもないっていうか、つい最近までのことじゃん」

「だからこそトラウマがえてないって話なんだよなあ。なんか腹痛くなってきた……」

 余裕な様子のふたり。

 その頼もしさにあんしつつ、ワーツは小さな声で疑問を呈した。

「それにしても。ここは……どこでしょう?」

「さあ。その辺りは、エイネ、わかる?」

「……そうだね。向こうに残してきた命火の位置から察するに、あの場所から南方へ三百キロは移動した先だと思う。なかなかの距離だね」

「ていうと、えーと、確かマハ連峰の辺りだったか。この一瞬で三百キロ……便利だな《空間接続ダブルゲート》。オレも覚えてみたい。無理だろうけど」

「どこでも好きな場所に移動できる《転移ドリフト》よりは楽だよ? ラミでも使えるかも」

「そのうち練習してみるか、っと……それより」

 ラミはさっと周囲を見渡し、それから小さく言った。

 その表情は、やはり真剣な色味を帯びている。

「……ちょっと妙だな」

「と言うと?」

「片獣の気配がまったくしない」

 鋭く告げるラミ。

 本能的に本質を悟るエイネとは違い、ラミの勘は経験から来るものだ。それが今、彼に違和感を告げている。

「このくらい自然が残ってる場所なら、何体かいてもおかしくないはずなんだけどな」

「……駆除されている、と?」

 ワーツの問いに、ラミは考え込みながら頷く。

「おそらく。証拠に野生の獣も少ない。人の気配を避けてるせいです。ただ、その割には自然がそのまま残りすぎてるのが奇妙ですが」

狩人かりゆうどが縄張りにしてる、ってことでもないだろうね。調べてみたけど、ちょっと標高がありすぎるから。こんなところまで、そうそう誰も登ってきたりしないでしょ」

「人の手が入っていて、かつそれを隠してる。……やばいな、本当に大当たりかもだ」

 ラミはふたりを振り返った。それから提案する。

「やっぱり一度戻るか? 場所は掴んだんだ、オレやエイネから言えば教会も動くはずだし、改めて調査したほうがいいかも──」

「いや」その言葉を、遮るようにエイネが言った。「ちょっと遅かったね」

「…………」

「──誰か来たみたいだ」

 その視線は、鋭く森の奥を貫いている。

 そのときにはラミも、こちらへ歩いてくる者の存在に気づいていた。

「……《転移ドリフト》の命数術か」

「ああ。いきなり現れたんだ、それしかないね。ラミ、どうする?」

「どうもこうも。エイネはワーツさんを頼む。あとはまあ、オレがどうにかするさ」

「ラミ」エイネは鋭く、短く言う。「向こうに何か、建物がある」

「ああ、気づいているよ。そっちで合流するか──どうせ引く気ないんだろ?」

「私は神子だからね。これも、仕事のうちってことだよ」

「……なら、こっちはオレの仕事だな。行け、あとは任せろ!」

「任せた!」

 その会話のあと、エイネはラミから視線を切って駆け出した。ワーツを引き連れて。

 護衛としては失格かもしれない、とラミはわずかに笑う。とはいえ、そもそもエイネのほうが命数術師としては格上なのだから、護衛も何もないという話なのだが。

 意識を切り替え、ラミは正面の男に視線を投げかけた。同時に言葉も。

「ずいぶん、簡単に見逃してくれるんだな?」

「……なんのことですか?」

 答えは、本心から疑問するような震えた声だった。

 森の奥から、ひとりの男が姿を現す。白い司祭服を身に纏った、夜のような男だった。

「私は麓の教会の者ですが、あなたは……?」

とぼけるのは無理があるだろ」ラミは薄く笑った。「お前らのお仲間さんには会ったことがあってな。そうか──その紋章が、反天会の」

「──ああ」答える男の声が、そのとき決定的に変質した。「なぁんだ、知ってましたか。ということは貴方あなた、全天教会の騎士ですかね?」

 実は知らなかった。

 だが、勝手に吐いてくれたのだ。かけたカマに引っかかるほうが悪い。

「どうも。ラミ=シーカヴィルタっていうんだ。よろしくな」

「これはご丁寧に。──ですが、こちらは生憎と全天教会の騎士風情に名乗る名前を持ちませんので」

「邪教の信者に言われるのもぞっとしないが……ま、好きにしてくれ」

 ──的中ビンゴ、だったな。

 胸中でラミはそう考えた。神子がいるのだ、当たりを引く可能性は高かったが。

 あの恐ろしい男女ふたり組の仲間。難易度の高い《転移》の命数術を扱っていたところから察するに、実力としてはさらに格上だろうか。

 いずれにせよ騎士として、見過ごせる相手でないことは事実だった。

「ここは……なるほど。あの門は廃棄したつもりでしたが、余熱を辿ったのですね。命火というものは、まったくエネルギーが感知されやすいのが弱点ですよ」

「で、ここで何してんだ?」

「別に。ここはすでに廃棄が決定した場所です。ただの片づけ、それだけだったのですよ──ゆえに、少年。何もせず帰るのであれば、見逃して差し上げてもよろしいのですが」

 さて──とラミは考えた。その言葉を、果たしてどう捉えるべきか、と。

 無論。教会騎士クロスガードであるラミが、その言葉に乗ることはない。だが思考はすべきだ。

「意外と優しいな。とてもじゃないが、一般市民を虐殺して回る邪教徒とは思えない」

「必要だからしているだけです。不要な犠牲を出すつもりはありません。そもそも我々から見れば、邪教を崇拝しているのは貴方たちのほうだ」

「ふうん……よくしやべるな」

 可能性はふたつ。

 ここには本当にもう何も残っておらず、だから目の前の男もエイネたちを見逃した。

 あるいは単にブラフ。見逃すつもりはなく、ラミの口を封じたあとで追いかければいいと考えているだけ。

 そこまで考えたところで、ふとラミは笑みを作った。

「いや。結局、考えたとこで答え変わんないか。あんま頭よくないからな、オレ」

「……何を笑って」

「決めた。騎士の役目に従って、お前をここで確保するよ。悪いな」

「──ガキが。図に乗ったか」

「それがオレの仕事だ。この星は、オレとエイネが救うんだ」

「エイネ? っ、そうか、さきほどの女──」

「──遅え!!」

 叫ぶラミ。術はすでに起動されていた。

 名前で動揺を誘った瞬間には、とうに攻撃に移っている。合理的だが、騎士というよりチンピラまがいの戦法。

 ラミのかたうでから命火が走る。それはそのまま火炎として敵の司教に襲いかかる熱だ。

「クソ──」

 司教はとつに命数術を用いて攻撃を防いだ。

 にびいろの命火を、紺色の命火が防ぐ。ほとばしる熱量がきつこうし、互いの命数を競い合う。

 だが、ラミはその時点ですでに移動を開始していた。

 ひとところに留まる戦い方をラミは選ばない。その身軽さこそがラミの武器だから。

「この程度の命数で、私を殺せるとでも思ったか!」

 鈍色の命火があっさりと散らされる。

 やはり術者としての技量には隔絶したものがある。これまでラミが見た中でも、最上位クラスの実力者だ。

 ──でも、甘い……!

 散らされたほのおを目くらましに、低い姿勢で駆けるラミ。相手の意識の裏を掻くような、それは戦いに慣れた者の動き方だった。

「っ、どこに──」

「──ここだよっ!」

 急接近。ラミが放った蹴りが、男の脇腹へ突き刺さった。

 防御もできなかった男が、背後へと吹き飛ばされる。格闘戦には慣れていなそうだ。

「ぐ──っ……」

 それでも意識を手放すことはこらえ、痛みに腹を抱えながらも男はラミを睨みつける。

 その右腕が、まっすぐラミへと突き出された。

「甘く見るんじゃねェぞ、ガキィッ!!」

 命火が盛る。藍色の火炎が、強大な渦となってラミに襲いかかった。

 物理的な破壊力を伴う、命を奪うための攻撃。辺りに延焼することなど考慮にすら入れていないような、ただ目の前の相手を焼き殺せればいいというだけの一撃だ。

 そして、そんなものは──ラミに届くことすらない。

「いや、だってもう終わりだし」

 回避どころか防御の様子すらなく、ラミは小さく呟いた。

 男はそれに気づかない。もうあと一瞬で、生意気なガキを焼き殺せるとゆがめた表情。

 それが次の瞬間に、喜悦ではなく痛みで歪んだ。

 ──彼の背後にあった一本の木が、勢いよく倒れて脳天に激突したのだ。

「か──っ、」

 肺の中の空気が、漏れだすような息のあと。

 そのまま男は倒木の下敷きとなって、全ての意識を手放した。当然、命火は制御を失いただのエネルギーに戻って、火の粉のように散った。当たったところでも負わない。

「名づけて倒木戦法……ってな」

 ラミは、男が完全に意識を失っていることを確認してから、命数術を用いて拘束する。鈍色の命火が縄上に伸び、男の体を縛り上げた。──《魂源命装オリジナルアート》の鋼線である。

 この拘束から逃れるのは難しい。神子であっても縛られてから逃れるのは骨だろう。

 そこまで全てを終えてから、小さくラミは呟いた。

「うん。弱かったとはいえそこそこ行ける。修行の成果は出てるな」

 敵は決して弱くなかった。

 ただ、ラミがこれまで積んできた対人経験は、その多くが師──ジャニス=ファレルを相手に回してのものだ。比較対象にできる命数術師のほうが少ない。

 はるか格上を相手に、無理やり隙を作り出す戦い方が今のラミには備わっていた。

 要するに、ラミが強いだけの話。

「……さっさとエイネたちを追いかけるか。何か悪事の証拠でも見つかるといいけど」

 そんな事実には気づかずに、ラミはさっさと男から意識を外していた。

 守護十三騎ラウンドキヤンドル。その肩書きは決して軽くないのだ。

 またエイネだって、自分の旅に、実力の伴わない者を連れて行こうとは考えない。

 その事実に──意外にもラミは自覚、というより実感が少なかった。


 一方。

 ワーツと連れ立って建物のほうに向かったエイネは、やがて一軒の教会を発見した。

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