追跡の八日目-5
色々あったため疲れてしまった僕は部屋の灯りを消すと布団の中に入る。すると、それを見計らったかのように隣の部屋から声が聞こえてきた。
扉を一枚挟んだ隣の部屋には三人が寝ているが、防音処理などほとんどしていない壁では普通に話すぐらいの声量だと僕の部屋からは丸聞こえになってしまうのだ。
「あぁ、面白かった。枕投げなんて中学校の修学旅行以来だわ。私の腕た落ちた物ね。本来なら最初に一撃で紡の戦意を失くさせるつもりだったのに」
どこまで枕投げで本気を出していたんだ。豆まきの鬼みたいに集中砲火を受ける僕の身にもなってくれ。それにしても話し声が隣の部屋にいる僕の所まで聞こえているのが分かっているのだろうか。
「私は初めてだったかな。小学校と中学校の修学旅行はもうデビューしてて行けなかったから。枕投げって一度やってみたかったのよね」
そうか。鷹木は小学校の時にデビューしていたから今まで修学旅行は行った事はないのか。早くにデビューするのも善し悪しがあるな。修学旅行なんて学生の一大イベントに参加できないなんて少し可哀そうな気がする。
「私はそもそも枕でこういった遊びをするなんて初めて知りました。やってみると面白いものですね。元の世界に帰ったら広めたいと思います」
アルテアは世界が違うからな。向こうの世界に枕投げがなくて当然だ。そもそもこちらの世界の枕と同じような物が有るのかも疑問だし。
「アルテアは元の世界でどういった事をしていたの? やっぱり学生?」
僕がアルテアの記憶を覗いた時にはアルテアが学生をやっているシーンは映っていなかった。そもそも僕が見たシーンは今の大きさのアルテアになってからはどこかに戦いに行こうとして止められた所と、こちらの世界に転移される所だけなのでアルテアが何をしていたのか僕も知らない。
「私の元居た世界では小さい子が近くの大人に勉強を教えてもらう事はあるんですけど、あんなに一杯の人が集まって勉強する所はないです」
寺子屋的な感じの所なのだろうか。そもそも向こうの世界の学問ってどういう物なのだろう。アルテアは計算もできるし文字を読んだりする事もできるので結構ちゃんとした勉強をしているような気がするが、詳しい事は分からない。
「へぇー。学生じゃないって事はアルテアはこっちに来るまでは何をやっていたの?」
「私はこちらに来るまでは人間族の部隊に居て戦う訓練をしていました。レガリア争奪戦のためと言うのもあるのですが、向こうで起こった戦いに参加するためにです」
確かアルテアは何かの戦いに参加すようとしている所を止められていたな。日本刀はその時に隊長から貰ったものだ。あの時どんな戦いに参加しようとしてアルテアが止められたか知らないけど、そこまで記憶が飛んだのは訓練に明け暮れていたからなのだろう。
「それで? その部隊には好きな人でもいたの?」
少し寂しそうな声で話をしていたアルテアの事を心配したのか鷹木は話題を変えた。修学旅行の夜には良く行われている『誰が好きか』という定番の話題だ。
「いいえ、部隊には特に気になる人はいませんでした。私はそう言う目的のために部隊に入ったのではないのですから」
「『部隊には』って言いう事は部隊以外では気になる人が居たの?」
言葉尻を捕えて鷹木は鋭い質問をする。アルテアは一瞬口ごもってしまうが、話しても問題がないと思ったのか昔の約束の事を話し始めた。
「……私は昔ある人と約束をして、その人の息子さんと結婚すると心に決めました。だから私は他の男性に興味がないのです」
その事は僕も記憶を見た時に知っていたし、告白をした時にも聞いたので驚くような事ではないが、初めて聞いた二人は興奮し始めた。
「「キャァァァァ!! 素敵ィィィィィィ!!」」
「その人がアルテアにとって王子様なのね。ねぇ、ねぇどんな人なの? 教えて。教えて」
興奮が治まらない様子の針生がさらに追及する。僕の部屋からは見えないが、興奮した針生がアルテアの体を揺すっているのが目に浮かぶ。
「それが、私は見た事がないのです。その人とは約束したのですが、息子さんとは会って約束をした訳ではないので」
針生と鷹木の興奮は収まる事がない。少女漫画でありそうな話が目の前で語られているのだ。再び「キャァァァァ」と声を上げて悶えているのが僕の部屋からも分かる。
「何? 何? 顔も見たことない人と結婚の約束しているの? 何そのキュンキュン来るシチュエーションは」
鷹木がアルテアの置かれている状況に悶えているようだ。女性はこういう話になると妄想が止まらなくなってしまうのだろう。僕にはあまり良く分からないが。
「えぇ、そう言う事になります。私は顔も見た事も会った事もない人と結婚の約束をしているのです」
「と言う事は鷹木さんあれを聞いた方が良いわよね?」
「そうね。針生さん。それは私も気になってたところだわ。どっちが聞く?」
何やら悪だくみをしようとしている二人組が僕にも聞こえる声で相談している。
「じゃあ、アルテアってまだ純潔って事? 向こうの世界の事はあまり分からないけど、男性経験が豊富って感じには見えないんだけど」
針生がとんでもない事をぶっ込んできた。隣の部屋に僕が居て話が筒抜けになっているって事を知らないのだろうか。
「えっと……。あの……。その……」
口ごもるアルテアはきっと顔を真っ赤にしている事だろう。女性同士だとこう言う事も平気で聞くのか。学校で男子生徒が少し下ネタ的な話をすると「不潔」とか言ってくるのとは大違いだ。
「わ、私の事より綾那はどうなんですか! 私にそんな事を聞いてくるって事は綾那は経験があるんですか?」
アルテアの反撃が始まる。自分の事をうやむやにしつつ聞いてきた方から答えなさいよと言う方法は上手いと思えた。
「私? 私はもちろん純潔よ。キスも家族以外とはした事ないわ」
針生はさらっと告白した。潔いと言うか男らしいと言うかここまで堂々と言われると隠している方が恥ずかしいと言う雰囲気になってくる。
何か暴露大会にってしまうそうな雰囲気に僕は布団を頭からかぶって聞こえないようにするが、無意識の内に息を殺して耳をそばだてしまう。聞きたいような聞きたくないような複雑な気分だ。
「私もないわよ。ドラマとかでもキスシーンとかベッドシーンは全部NGにしていたし、メインは歌だったからね」
鷹木も続いて純潔をアピールしてくる。こうなってくるとアルテアだけ告白しないと言う選択肢はなくなってしまう。
「わ、私も……経験が……ありません」
小さい声だったので聞こえにくかったが、確かにアルテアはそう言った。何と言う事だこんな綺麗な女性が三人も居て全員が処女だったなんて。そう言う僕も童貞なので人の事は言えないが。
「綾那は誰か心に決めた人と言うか、好きな人はいないんですか?」
攻められっぱなしのアルテアが反撃をする。自分は好きな人がいると告白したので針生も告白しろと言う事だろうか。
「えっ! それは……。そ、そうだ。鷹木さん、鷹木さんは確か蛯谷君と付き合っていたわよね? 何か進展ないの?」
針生らしからぬ攻撃の躱し方だ。さっきまでのようにズバリと好きな人の名前を言うのかと思ったが、逃げるように鷹木に話題を振ってしまった。
「その話っていったいどこまで伝わってるの? 釆原君にも言われたけど、私、蛯谷君とは付き合ってないわよ」
誰が言いふらしたかと言えば多分本人だろう。元アイドルの鷹木と付き合う事になったとなれば蛯谷が他の人に言わないはずがない。実際、僕も蛯谷から話を聞いたのだから。
「そうだったの? 私のクラスでは結構噂になってたわよ。あの鷹木さんに彼氏ができたって。それで相手は誰だってことになって蛯谷君だって分かると皆爆笑していたわ」
多分、僕のクラスも蛯谷本人がいなかったらかなり話題になっていただろう。だが、蛯谷がいるせいで敢えて話題にしなかった。皆信じられないと同じぐらい妬んでいたのだ。
だが、クラスが違うと受け取り方も違うようで針生のクラスでは爆笑されていたのか。
「もう! 誰よそんな噂流した奴は! 絶対に許さないから。私は釆原君が好きなの。振られちゃったけどまだ諦めてないわ」
「えっ……」
ギリギリ聞こえるぐらいの小さな声が聞こえた。あの声は針生だろうか。それにしてもてっきり諦めてくれている物だと思ったが、鷹木はまだ僕の事を諦めていないようだ。でも、ごめん。今は鷹木の事を考える事はできないんだ。
「さあ。私は言ったわよ。針生さんも当然好きな人が誰なのか言うのよね? ここで逃げるなんて針生さんらしくないし」
「えぇ、私も綾那が誰の事を好いているのか気になります。教えてください」
二人に追及される針生からの返答はない。しばらく沈黙が続くと二人が声を上げた。どうやら針生は寝たふりをしていたようだ。
「ちょっと! 針生さん! 何で寝たふりしてるのよ! 皆ちゃんと言ったんだから針生さんも言いなさいよ!」
「そうです、綾那。全員が思い人を言ったのです。貴方も言うべきです」
この状況で寝たふりなんて通用しないのは針生だってわかっているはずだ。それでも寝たふりをしたくなるぐらい話したくない相手とはどんな相手なのだろう。
「分かってるわよ。大きな声出さないでよ。言うわよ。言えばいいんでしょ」
言うのなら初めから素直に言っておけばいいのに、じらしてしまった分ハードルが上がったような気がする。僕の高校で針生と釣り合うようあ人と言えば誰だろう。剣道部の主将の塩道とかだろうか。彼なら女子生徒にも人気があるから針生と釣り合う気がする。
「私の好きな人は……」
僕も含めて聞いている全員が息をのむ。さっきまで騒がしかった部屋が静寂に包まれる。暫くすると針生が口を開いた。
「……今はいないわ」
僕は耳を疑った。針生に好きな人がいないなんて信じられない。だが、ここで鷹木とアルテアは針生を追求する事はなかった。少しの沈黙の間に何か取引があったのかもしれないが、僕の部屋から見えないので真相は分からない。
「それにしても愛花音は囮なんてして大丈夫なのですか? 私たちが守ると言っても危険なのではないですか?」
好きな人の話はこれで終わりと言わんばかりに話題が変わってしまう。どこかモヤモヤ感が残るが三人の話に入っていない僕では話を戻す事もできず、そのまま聞くだけしかできなかった。
「大丈夫よ。アルテアたちを信頼してるから。それにこんな戦い早く終わらせないとね。関係ない人が被害に遭うのはもう見たくないもの」
確かにあんな光景はもう見たくない。そのためには早くレガリア争奪戦を終わらせなければならない。できればアルテアが勝利する形で。
「分かりました。愛花音には危害が及ばないように私とヴァルハラが全力で守ります。ですので明日は思う存分囮をしてください」
存分に囮って言い方はどうかと思うが明日は鷹木には頑張ってもらわなければいけない。そう言えばヴァルハラは打合せの場にいなかったのだが明日の作戦は分かっているのだろうか? 奴の事だから当日に作戦を知っても何とかするだろうが。
「結構長い時間話したわね。このまま朝まで話しても良いんだけど、明日の事もあるし、また今度と言う事でもう寝ましょうか」
正確な時間は分からないが、眠たさからすると二時とか三時とかになっているんじゃないだろうか。最初少しだけ聞いて寝ようと思ったが結局最後まで聞いてしまったようだ。
「紡!! 私たちはもう寝るから貴方も早く寝なさい!」
隣の部屋から針生の大きな声が聞こえてきた。どうやら僕が聞いていた事は分かっていたようだ。それであれだけ赤裸々な話ができるなんて純粋にすごいと思う。
布団の衣擦れの音を最後に針生たちは本当に寝てしまったようだ。あれだけ騒がしかった隣の部屋はシンと静まり返っている。
針生が最後に言った「また今度と言う事で」という言葉が今も僕の中でリフレインされている。戦いが終わってしまえばアルテアは元の世界に戻ってしまう。本当にもう一度こうやって集まる事ができるだろうか。いや、できるだろうかではない。してもらわなければいけないのだ。そのために僕の出来る事をやろう。そう心に思い、僕も眠りについた。
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