第18話 出発前夜

 アイテムボックスを購入したシオンとリィエルはその足で武器屋を訪れ、それぞれ護身用に片手剣とナイフを購入した。

 他にも店員に旅のアドバイスを受けて必要な道具を買いそろえた頃には、すっかり日が暮れる時間になっていたので宿へと戻ることにした。のだが――、


「……予約していた部屋は二人部屋なんですか?」


 宿に戻ったタイミングで事件が起きる。シオンはてっきり一人一部屋だと思って予約したのに、二人一部屋を用意されていたのだ。


「も、申し訳ございません。お二人が恋人かと思いまして、その……」


 頭を下げる宿の女性店員。シオンはシオンで宿を手配した経験がないため、当然一人一部屋だと思い込んでいた。


「今からでも一人一部屋に変えてもらうことは?」


 シオンが顔を青くして尋ねる。


「あいにくとすべて満室となってしまいまして……」


 と、気まずそうに頭を下げる女性店員。


「……一人一部屋にするなら、今からよその宿を探しにいくしかない、ということですね」


 シオンは現状を理解し、額を右手で押さえる。


「その、今からだとどこの宿も満室になっていると思います。別々の宿になっても構わないというのであれば、今からでも知り合いの宿に空き部屋がないか尋ねて回ってみますが……」


 この時間からでは碌な宿屋も残っていないだろう。ある程度賑わっている都市なら、日が暮れる頃にはどこの宿も満室になっているものだ。

 そうやってシオンと店員が話し合っている一方で、どうして二人が揉めているのかがわからず不思議そうな顔をしているリィエルだったが――、


「ねえ、シオン」


 不意に、シオンに声をかけた。


「ん?」

「一緒の部屋だと何がいけないの?」


 と、リィエルは無垢な顔で質問する。


「は……? いや、な、何がいけないって、結婚していない若い男女が同じ部屋で寝るというのがだな」


 シオンはわずかに顔を赤くし、上ずった声で答える。おそらくリィエルにはそういった知識がない。のだが、それを説明するのは気恥ずかしくて憚られてしまった。


「結婚すればいいの? じゃあ結婚する?」


 なんて、リィエルはきょとんと首を傾げて言ってくる。


「うっ……」


 思わず首を縦に振りたくなる衝動に駆られる。その横で――、


「あら、あらあら」


 なんて、女性店員は目を輝かせ、両手で口を押さえ言っている。


「け、結婚はそんなに簡単にするものじゃないんだよ! 同じ部屋で寝たいから結婚しようなんて間違っている」


 シオンが顔を真っ赤にして訴えた。だが――、


(いや、別に間違っていないだろう。っていうかさっさと同じ部屋に行けや)


 と、カウンターでのシオン達のやりとりを聞いている一階の客全員が心の中で思う。

 夜も昼同様に洒落たレストランとして利用されているらしく、多くの客が来店しているのだが、皆シオン達の初々しいやりとりに耳を傾けて酒のつまみとしていた。


「でも、私はシオンと同じ部屋がいい。宿を変えても同じ部屋がいい」


 リィエルは主張を譲らない。すると――、


「あの……。では、ベッドの間に仕切りを置くというのはどうでしょうか?」


 宿の女性店員が折衷案を提示してきた。


「そいつは妙案だ!」

「うん、それがいい! 兄ちゃん!」


 などと、聞き耳を立てていた客達もニヤニヤと囃したて始める。


「なっ……」


 話を聞かれていたのかと、ここでシオンはようやく気づき、言葉を失う。一方――、


「じゃあ、二人部屋でお願いします」


 リィエルはその隙に店員に頼んでしまう。すると「よく言った、嬢ちゃん!」と、店内は一気に盛り上がる。


「畏まりました」


 店員はくすくすとおかしそうに笑ってこうべを垂れる。


「仕切りはつけてください」


 遂にはシオンも根負けし、二人は同じ部屋に泊まることになった。


   ◇ ◇ ◇


 それから、シオンとリィエルは客室へ案内されて、夕食を摂ることになる。一階で食べることもできるらしいのだが、からかわれるのは目に見えていたのでシオンが部屋に引きこもって食べることを選んだのだ。


「はあ、疲れた……」


 食事を終えて一息つき、低ランクの生活魔法で身体を綺麗にすると、シオンはシングルベッドに寝転がった。


「お疲れ様」


 リィエルは後を追ってシオンの隣に自然と横たわると、良い子良い子と労うように頭を撫でる。


「……リィエルのベッドはそっちだぞ?」


 疲れ切っているのか、もう半ば諦めたようにシオンが言う。


「うん。寝る時はあっち」

「じゃあなんでこっちのベッドに来たんだよ……」

「シオンが疲れているみたいだから」


 だから頭を撫でるのだと、リィエルは優しく手を動かす。その手つきはまさしく天使のそれである。

 これでは気にしすぎている自分の方が馬鹿に思えてくると、シオンは感じた。シオンが良からぬ気持ちさえ抱かなければ、間違いなど起きないだろう。


「まったく……」


 シオンは脱力して笑うと、リィエルがベッドから落っこちないようにそっと横にずれてスペースを作る。

 しかし、なんとも不思議なものだ。


(モニカの姿をしたリィエルが今、俺の隣にいる。シオン・ターコイズという男が、王都にいるという)


 それはつまりどういうことなのだろうかと、シオンは目を瞑り考える。

 リィエルはダアトによって作られた人造の亜天使なのだと、本人は言っていた。

 ならば、リィエルはモニカではないのだろうか?

 モニカの偽物としてダアトに作られた少女なのだろうか?

 それともモニカとは無関係の存在なのだろうか?

 なら、王都にいる偽物のシオン・ターコイズは?

 自分を誘拐したのはダアトなのだから、偽物のシオン・ターコイズもダアトと関連しているのではないだろうか?

 などと、そんな考えが思い浮かんでくる。しかし――、


(……自分以外の誰かが、自分として生きている。そんなことを考えるなんて馬鹿げている。憶測どころか、荒唐無稽な妄想だ)


 と、そう思う自分もいる。けど――、


「ありえないなんて、ありえない」


 と、そう言っていた人物がダアトにいた。

 だから、荒唐無稽な話でも否定はできない。否定しきれない。そういったことが現に起きているものと仮定して、シオンは思考を巡らせる。


(もしも偽物のシオン・ターコイズにダアトが関わっているとしたら、イリナにエステル、クリフォードは俺が失踪したことを知っているのか? それとも、知らずに偽物の俺と接している?)


 日常的に顔を合わせていた人間が、ある日突然、中身だけ別人に入れ替わっていたとしたら?


 自分は気づけるだろうか?


 わからない。自信はない。だから、確かめる必要がある。妹に、かつての婚約者、そしてライバルだった男が気づいているのかどうかを。

 その上で気づいていなかったら、その時は、その時は……。


   ◇ ◇ ◇


「シオン、眠った?」


 シオンの吐息が穏やかになったことに気づくと、リィエルが頭を撫でるのを止めて語りかけた。が、返事はない。


「…………」


 すう、すう、とシオンは疲れた顔で眠っている。実際、疲れているのだろう。研究所でリィエルと戦って、この都市まで移動して、旅の準備をして……。


「シオン、ありがとう」


 リィエルは眠ったシオンに礼を言った。


「私を外に連れ出してくれて、私に名前をくれて、私に美味しいを教えてくれて」

「………………」

「いっぱいお話ししてくれて、私を必要としてくれて、ありがとう」

「………………」

「生きるって、楽しいこと。今日一日だけで生きる意味をたくさん教えてもらった。貴方と一緒なら生きていたいと思えた」

「………………」

「だから、ありがとう、シオン」

「ん……」


 シオンは返事をするように、軽く身じろぎする。


「好きって気持ち。その人のために何かをしてあげたい感情だって、シオンは教えてくれた。なら、シオンのためにたくさんのことをしてあげたい私のこの気持ちは、好き?」

「…………」


 眠っているシオンは答えてくれない。

 けど、それでいいのだ。

 それでいいのだと、リィエルは柔らかく微笑む。


「おやすみなさい、シオン」


 リィエルはそっと立ち上がると、部屋の灯りを消して眠りに就いた。


   ◇ ◇ ◇


 そして、翌朝、シオンが目を覚ますと――、


「か、勘弁してくれ……。まったく、心臓に悪い」


 キスしそうなほどに目と鼻の先に、安らかに眠るリィエルの顔があって、目覚めと共に一気に頭が覚醒する。

 しかし、そうぼやくシオンの口許は柔らかくほころんでいた。二人がターコイズ王国の王都へ向かう、朝のことだった。

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