第16話 ご飯がぽかぽか

 研究所で朝ご飯を食べてから何も食べていなかったので、実はかなりお腹が減っていたシオン。お金も手に入れたので、服を買うよりも先に食事を済ませることにした。


「リィエルは何か食べたいものはある?」

「食べたいもの?」

「というより、天使はご飯を食べるのか?」

「食べる」


 リィエルはしっかりと頷く。


「俺がいた研究所じゃ代わり映えのしない食事しか出てこなかったけど、リィエルは普段何を食べていたんだ?」

「出されたものを食べていた」

「ははは。だよな。じゃあ美味しいと思って食べていた物とかは?」

「わからない」

「……なるほど」


 食事はただの栄養摂取で、食べたいものを食べるという発想がないのかもしれない。


「都市には食事を出してくれる店とか道ばた食事を売っている店とかもあるらしい。良い匂いがする店に入ってみようか。美味しい物を食べよう」


 せっかくだから、リィエルに食べる喜びも知ってもらいたい。

 シオンはそう思った。

 とはいえ、シオンも都市の店に入ってご飯を食べたことなどないので、どういった店が当たりの確率が高いのかなど知る由もない。

 幸い商店街の区画は飲食店が多いのか、歩いているだけでそれらしきお店が色々と目に入ってくる。

 食欲をそそられる匂いがするかどうかで判断すればいいだろう。


「うん。任せて。天使は人間よりも五感が優れている」


 リィエルはそう言って、すんすんと鼻を動かした。


「ふふ。じゃあ、気になる匂いがあったら教えてくれ。そこに入ろう」


 シオンはおかしそうに笑って言う。すると――、


「あの店からする匂いが気になる」


 リィエルは見事に匂いを嗅ぎ分けたのか、進行方向にある飲食店を指さした。


「なら、入ってみよう」

「うん」


 そうして、二人はすぐに店の前までたどり着き、入店してみる。既にピークは過ぎていたようで空いている席も目立つが、どうやら女性客に人気のあるお店らしい。

 店内の随所で食事を終えた女性客が談笑している姿があった。内観は小綺麗で洒落ている。


「いらっしゃいませ!」


 シオン達が出入り口に立っていると、看板娘と思われる若い女性店員に元気よく声をかけられた。


「二人なんですが」


 シオンが物珍しそうに店内を見回しながら言う。


「……はい、どうぞこちらへ」


 女性店員は好奇心を孕んだ眼差しを向けつつ、二人を案内する。そうして二人でテーブル席に着くと、メニューが書かれた蝋板本を手渡された。

 じっとメニューを見つめてみたが、どれがいいのかわからない。なので――、


「俺もこの子もこういうお店に入るのは初めてなので、おすすめで二人分の食事を貰えますか? お腹が減っているので、量は多めに。飲み物は俺は冷たいお茶で、この子にはオレンジのジュースを」


 と、シオンは注文した。


「はい。お任せください」


 女性店員はこくこくと頷いて戻っていく。そして――、


「お待たせしました」


 すぐにドリンクを持って戻ってくる。


「飲もう」

「うん」


 まずはシオンが飲み物に口をつける。水分補給もずっとしていなかったので、どうやらかなり喉が渇いていたようだ。

 一度飲み始めたら止まらなくて、ごくごくと飲み干してしまう。


「生き返るな」


 シオンははあっと息をついた。リィエルもオレンジジュースが美味しかったのか一口飲むと目を見開き、上品な持ち方で一気に飲み干してしまう。そして――、


「……シオン」


 目の前に座るシオンの名を呼んだ。


「ん?」

「これ、何?」


 リィエルは空になったコップを持ってシオンに尋ねた。


「オレンジジュース。もう一杯、飲むか?」


 どうやらお気に召したらしい。シオンはそう思って水を向ける。


「うん」


 というリィエルの返事にシオンは口許をほころばせ「ちょっといいですか」と女性店員を呼んだ。

 すぐに駆けつけてきたので、「おかわりをください」と伝える。

 それから、二杯目もそう間を置かず飲み干してしまったが、甘い物は一度に飲み過ぎたらいけないと伝えて、三杯目は二人ともお茶を頼む。

 すると、料理もやってきて、いよいよ食事の時間と相成った。運ばれてきたのはランチのセットらしく、おかわり自由のパン、メインのハンバーグに、スープとサラダ、デザートの果物までついている。

 これでお値段は一人百五十クレジットとのことだった。


「…………美味いな」


 シオンはナイフとフォークで上品にハンバーグを切り分け、口に運んだ。口の中に痛いほどの味が広がっていき、口許が嬉しさで歪んでしまう。

 三年ぶりのまともな食事だった。ご飯はこんなに美味しい物だったのかと、感嘆の息をつく。

 一方で、リィエルもナイフとフォークの使い方は知っていたのか、実に洗練された所作でハンバーグを切り分けて口に運ぶ。

 ぱくりと口に含むと――、


「…………」


 ぱちぱちと目を瞬いて硬直した。しばらくすると、再び切り分けてもう一口。


「シオン」


 リィエルはまたしてもシオンの名を呼ぶ。


「なんだ?」

「ご飯がぽかぽか、ちゃんと味がする。これが美味しいってことなの?」


 研究所で暖かいご飯など食べたことがなかったのだろう。美味しいご飯も食べたことなどなかったのだろう。

 今この瞬間、リィエルは初めて美味しいということを知ったのだ。


「ああ、ご飯は味がするものなんだ。美味しいな。ハンバーグにはパンも合うぞ。サラダやスープもちゃんと食べるんだ」


 シオンはハンバーグを食べると、一口サイズに切り取ったパンをハンバーグのソースにつけて食べる。

 お城でやったらあまり行儀の良い食べ方ではないとマナーの講師に顔をしかめられていたことだろうが、元は第一王子だ。

 所作は実に洗練されていて、知らぬうちに店内の女性客から注目を集めている。


「ハンバーグにはパンが合う」


 リィエルもシオンを真似てハンバーグを口に含むと、続けてソースをパンにつけて食べた。

 美味しかったのか、うんうんと頷いている。その所作が可愛らしくて、こちらもこちらで知らぬうちに注目を集めている。

 なんとも目立つ二人だった。

 ともあれ、食事は中断されることなく、恙無く進行していく。


「なんか妙に視線を集めていないか?」


 シオンが店内から寄せられる視線に気づいたのは、リィエルと一緒にデザートの果物を食べ終えた後のことだった。

 食事に夢中になっていたので気づかなかったことを少し反省するシオン。


「うん」

「格好が目立つのかな?」


 空腹に耐えきれず食事を優先してしまったが、先に服屋に行っておけばよかったかと思う。


「わからない」


 リィエルと二人で首を傾げる。


「まあ、いい。お腹も満たされたことだし、行こうか」

「うん」


 シオンが立ち上がり、リィエルも席を立つ。

 会計を済ませるべく、カウンターへと向かった。


「ここら辺で良い宿屋にありませんか?」


 宿は絶対にとらなくては、シオンが女性の店員に尋ねてみる。自分で探すよりもこの町の住人に訊いた方が確実だと思ったのだ。すると――、


「でしたらぜひうちに! 夜と朝の二食付きですよ」


 と、営業された。


「え? ここ宿屋だったんですか?」


 シオンが目を点にして確認する。


「一階は飲食店なんですけどね。二階と三階は宿屋になっているんです」

「へえ。食事が美味しかったので、部屋が空いているのならお願いしたいです」

「ありがとうございます! 空き部屋を確認するので少々お待ちを……。うん、ばっちりございます! 手配させていただきますね!」


 店員の女性はカウンターから蝋板本を取り出して空き部屋を確認すると、満面の笑みで部屋を押さえてくれた。


「助かります。料金は先に払いますが、買い物があるんでまた後で来てもいいですか?」


 先に宿を確保しておけば、買い物で手が塞がっても荷物を置きに来られる。


「もちろんです。じゃあ飲み物のおかわりを含めて食事代が三五〇クレジットで、部屋の代金が六〇〇クレジットだから……、全部で九五〇クレジット頂戴してもいいですか?」

「わかりました。じゃあこれで」


 シオンは懐から一万クレジットを取り出した。


「はい。一万クレジットですね。では九千と五十クレジットのお返しです。お戻りの際はカウンターでこちらの割り符を提示してください」


 店員の女性はシオンに九千クレジット分の紙幣と五十クレジット硬貨を手渡し、それとは別に割り符を渡した。

 割り符とは一枚の板に特徴的な目印を書いた状態で二つに割って二枚一組とした板で、割った板同士をくっつけることで事実確認を行う証拠手段だ。

 よって、片方は客であるシオンが受け取り、もう片方は店側が保管することになる。


「ではどうぞ、行ってらっしゃいませ」


 シオンは割り符の片割れを受け取ると、店員さんに見送られて店を後にしたのだった。

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