第14話 好きって、どういうこと?

 シオンがリィエルを抱きかかえて研究所の跡地を飛び立ってからしばらくが経った。飛べども飛べども森が広がっていたが――、


「森の外が見えてきたよ」


 リィエルが不意に口を開き、前方を指さした。


「ああ。いくつか都市や村も見えるな」


 それらしき建造物が遠目に見えたり、煙が立ち上っていたりする様子が見える。


「どこかに入って住民に場所を訊く?」

「そのつもりだけど、もう少し森から離れよう。組織……ダアトが研究所の消滅に気づいた時に森の傍だと捜索が入るかもしれない。この格好だと俺達の生存に勘付かれる」


 今のシオンとリィエルはダアトの研究所で用意された戦闘服を着ている。男性用と女性用という違いはあるが二つともデザインが共通しているし、組織の職員が着ていた制服のデザインとも似通っているので、特定は容易だろう。


「わかった」


   ◇ ◇ ◇


 それから、さらに四半刻は飛んだだろうか。日はまだ高い位置にある。リィエルが研究所に連れてこられたのは今日の朝で、シオンが闘技場に連れて行かれたのも午前中だったから、おそらく時刻は昼前後といったところだろう。


 シオンは研究所があった森から十分に距離を置いたと判断すると、人気がないことを確認した上で都市近くの街道に降り立った。

 二人とも旅人して都市を訪問するのは初めてだが、都市の中に飛んで入ってしまうのはまずいと思ったからだ。

 街道に降りてから歩いて数分も移動すると、都市のすぐ手前までたどり着いて――、


「すごく大きいよ、シオン」


 リィエルが城壁に囲まれた都市を眺めながら、ぽつりと呟いた。


「王都よりは小さいはずなんだけどな。近づいてみるとけっこう迫力がある」


 王族だった頃は飛空車と呼ばれる馬車(一種のマジックアイテム)をペガサスやグリフォンなどに牽引させて空を飛び、外の世界を移動していたから、シオンも外から歩いて都市へ近づくのは生まれて初めての経験だ。


「あそこに人が集まって暮らしているの?」

「ああ」

「あんなに広い土地に人で集まって何をしているの? 何かの研究?」


 リィエルが疑問を口にする。研究所育ちの彼女らしい発想だった。


「研究というか、全員で一緒に何かをしているというわけじゃない。人数が多い方が分業もできて産業の効率も上がるんだ。食料を作ったり、身を守る武器や防具を作ったり、人が住む建物を作ったり……、そうやって都市を維持、発展させること外敵から身を守っているんだ。大半の人間はレベルが低くてランク0だからな。他の種族よりもより大きく群れないとすぐに死んでしまう」

「そうなんだ。シオンは物知り」


 リィエルはシオンに関心の眼差しを向ける。


「そうでもないよ。俺も都市を出歩くのは初めてだからわからないことだらけだ。ただ、そんな都市で暮らすにはお金というものが必要になるらしい」

「お金?」

「なんて言えばいいんだろうか。生きるために必要な……、何かが欲しい時や人に何かをしてもらう時に対価として相手に渡すものだよ。例えばご飯を食べるのがそれだ。お腹が減ったからって、人の食べ物を奪っていいってことにはならない。わかるか?」


 自分も世間知らずな自覚があるシオンだが、リィエルはそれ以上だ。あまり複雑な説明はしないように試みるが、なかなか難しかった。


「……うん。わかる。人から奪うのは駄目」

「なら話は早い。今の俺達はお金を持っていない。人から奪うのは駄目だからな。このままだとご飯も食べられなくて生きることができない。ご飯を食べるためには何をすればいいかわかるか?」

「お金を手に入れる?」

「そうだ」


 リィエルがそっと小首を傾げて尋ねると、シオンは満足そうに首を縦に振る。


「お金はどうすれば手に入るの?」

「色々と手段はあると思うんだけど、例えば価値のある物を売ってお金に換えてもらうことかな。今回はこれを売ろうと思う」


 シオンはそう言うと、自分が着用している研究所の戦闘服に織り込まれた半透明な石を指さした。


「魔法石?」


 リィエルはその正体を言い当てる。魔法石とは魔法を封じておくことができる宝玉型のアイテムで、マジックアイテムを製作する際に用いる結晶のことだ。

 魔石と呼ばれる魔物のドロップアイテムを加工することで製造が可能で、魔法石自体が一種のマジックアイテムでもあり、一度魔法を封じておけば、魔力を補充することで石が破損しない限りは半永久的に使い続けることができる。


「ああ。質の良い魔法石は高値で取引されると王族だった頃の家庭教師に教わったことがある。研究所の服ごと売ると足がつきそうだからな、石だけを取り出して売却しようと思ったんだ。というわけで鑑定してみよう。この魔法石の価値とやらを」


 そう言って、神眼を発動するシオン。すると――、


================

アイテム名:魔法石(魔法封入済み)

ランク:五

説明:装備品の物理防御と魔法防御を高める防御系の魔法が込められている。

================


 例によって半透明のウィンドウが浮かび上がり、鑑定結果が出てきた。しかし、これだけではシオンが知りたい情報としてはまだ不足している。なので、より具体的に鑑定事項を思い浮かべてみた。


(知りたいのは商品としての値段だ。売るとしたら相場がどれくらいなのか……。鑑定できるかな?)


 果たして――、


================

アイテム名:魔法石(魔法封入済み)

ランク:五

説明:装備品の物理防御と魔法防御を高める防御系の魔法が込められている。

特記事項:商品としての相場を調べるために世界記録アカシックレコードへアクセスします。判明。売却時の相場は100万クレジット。

================


 シオンが知りたい情報が特記事項欄に表記された。


(相場がわかった。どういう仕組みで相場を判定したのかよくわからないけど……。これは高い……のか? 高い、よな。ランク五のアイテムだし)


 金額を確認して硬直するシオン。王族育ちであるがゆえ、どのくらいの値段でどういった物が販売されているのかは知らないが、数字の羅列を見てそう判断する。

 ちなみに、クレジットというのは、各国で共通の通貨単位だ。五十クレジットから百五十クレジットもあれば平民一人分の外食代にはなる。

 今着ている服は研究所の所有物なので売ることに躊躇はないし、高く売れるのはありがたいが、高く売れすぎるのは問題な気もした。


 また、アイテムにも人間と同じように1から10までのランクが存在する。製作系のレアスキルの持ち主でない限りはランク五が一般に人が作り出せるアイテムの最高位であり、かなりの高値で売買されている。

 ランク六以上のアイテムは滅多に市場には出回らず、モノによっては国によって厳重に管理されている。ランク九以上のアイテムに至っては存在すら疑問視されている。


「私の服にも魔法石が織り込まれている。これも売る?」


 リィエルが自分の着ている服を見下ろしながら、固まっているシオンに話しかけた。ちなみに、リィエルが着ている組織の戦闘服は白を基調としていて、厚手の生地で長いロングスカートのドレスである。


「一つだけじゃ足りなかったらな。これ一つでかなりの価値があるはずだから、とりあえずは一つ売ればいい。これを売ったお金で別の服を買おう。早めに着替えておきたい」

「わかった」


 と、リィエルが頷く横で、シオンは胸元の魔法石を取り外す。こういった魔法石は衝撃で装備から外れてしまわないように魔法で装備と固定されているのだが、専用の魔法さえあれば外すことができる。


 シオンは固定化を解除する魔法を習得していないのだが、新たに獲得したスキルによって解析した魔法陣を書き換えることができる以上、魔法石を外すのは容易い。

 胸元に固定されている魔法石を起動して魔法陣を展開させると、神眼を起動させてささっと解析を済ませてしまう。そして、指先で魔法陣をいじくり、固定魔法を解除した。すると、魔法石はあっさりと外れてしまう。

 魔法石がはめ込まれていた場所にはぽっかりと穴が空き、ただの厚手の戦闘服になってしまった。


「よし」


 今なら魔法に対する抵抗はないし、刃なども簡単に突き通してしまうだろうが、シオンは気にせずに魔法石をポケットにしまう。大きさはほんの直径数センチだから、大量に持ち歩かなければかさばることもない。すると――、


「私のも取って」


 リィエルが自分の石を見てシオンに頼んだ。どうやら外す魔法を習得していないらしく、自分では外せないらしい。しかし、魔法石は服の胸元にはめ込まれている。


「…………」


 シオンは硬直し、押し黙ってしまった。


「どうしたの?」


 リィエルは不思議そうに尋ねる。


「いや……、いいのか?」


 シオンはリィエルをまじまじと見て訊き返す。


「何が?」

「だから、その、取っても……」

「うん。取らないといけないんでしょう?」

「そうだけど、ここじゃなくてもいいんじゃ……」

「どうして?」

「いや、だからそれは……」


 触るつもりはないが、胸に手を伸ばすんだぞ。いいのか? とは言えないシオン。そうして手を伸ばすのを躊躇していると――、


「はい。取って」


 リィエルがほんの数十センチ先まで、シオンとの距離を詰めてきた。そのままシオンの手を掴んで、自分の胸元に引き寄せる。


「……恥ずかしくないのか?」

「恥ずかしいって?」


 リィエルはきょとんと首を傾げた。


「いや、男に胸元に手を伸ばされて」

「男の人に胸元に手を伸ばされたことがないからわからない。何か意味があることなの?」


 やはり不思議そうな顔のリィエル。


「……好きでもない男に胸を触らせたらいけないんだ。一番好きな男にだけそういうことをさせてもいいと思ってくれ」


 シオンは額を押さえ、疲れたように言った。


「好きって、どういうこと?」


 リィエルが尋ねる。


「……その人のことが誰よりも特別で、その人とずっと一緒にいたい。その人のために何かしてあげたい。そういう感情だよ、たぶん」


 と、思案して語るシオン。


「わかった。じゃあシオン以外には触らせない」


 リィエルはこくりと頷き、なんの臆面もなく言った。


「っ……」


 シオンは息を呑み、溜まらず顔を赤くする。


「どうしたの?」


 リィエルは無垢な表情でシオンを見つめた。


「ど、どうもしないよ。さっさと外そう」


 シオンは深呼吸をして心を落ち着けると、神眼を発動させた。そして、リィエルの胸元をじっと凝視する。決して巨乳とは言えないが、平坦というわけでもない柔らかな膨らみがそこにあった。思わずゴクリと唾を呑むシオン。


(っ……、よ、余計なことは鑑定するな、俺)


 シオンは恐る恐る魔法石に手を伸ばし、内蔵された魔法陣を展開させた。自分が取った魔法石と特段違った点がないことを確認すると、さっさと取り外してしまう。


「ほら、取れたぞ」


 シオンは大きく溜息をついて、手を引っ込めようとした。のだが、シオンの服と同様、リィエルの服の胸元にもぽっかりと穴が空いてしまい、そこから胸の谷間が覗けてしまっていた。


「……っ」


 シオンはギョッと目を丸くし、息を呑む。いけないと思っていても視線は胸元に吸い寄せられ、硬直してしまった。すると――、


「え?」


 リィエルが何を思ったのか、じっと見つめていたシオンの手を掴んで胸元の谷間に引き寄せた。ふにゃりとした感触がシオンの手に伝わってきた。魔石を掴んだままだったので、指を突っ込んだ形だ。


「な、何をしているんだ!?」


 シオンは慌てて手を離し、泡を食って尋ねる。


「好きな人には触らせるんじゃないの?」


 あどけない顔で疑問符を浮かべるリィエル。見た目と中身の年齢がまったく釣り合っていないようにすら思える。


「違う! いや、違わないんだけど! だからといって時も場所も選ばず触らせるもんじゃない! もっと、こう、人気のないところでだな!」

「周りに人気はないよ?」

「確かに! けど、お互いが好き合っていて、合意のある状態でしないと駄目なんだ」

「……シオンは私が嫌い?」


 リィエルが少し不安そうな顔になる。


「嫌いじゃない。好きだけど……」

「私もシオンが好き。シオンとずっと一緒にいたいから」

「あ、ありがとう……。俺も君とは一緒にいたい。けど、好きにも色々とあるんだ。その意味がわかるまでは、安易にこういったことをしちゃいけない。そのことも理解してくれ」


 リィエルはそもそも胸を触らせるという行為の意味がわかっていないのだ。そんな少女に上手く説明できる気がしないシオンだったが、それでもそういう説明をしなければならないと思って解説した。


「よくわからない……。けど、わかった。教えてくれてありがとう、シオン」


 いまいち釈然としない様子のリィエルだったが、柔らかく微笑んで礼を言う。


「礼を言うことじゃない」

「ううん。私は知らないことだらけだから。これからもたくさんのことを教えて」


 と、リィエルはシオンに頼む。リィエルはあまり表情に感情を出さないが、ちゃんと感情はある。不器用ではあるが、それを表現しようと試みている。それはとても人間らしい行いだと、シオンは思った。


「……わかった。とりあえずリィエルの魔法石はまだ服に埋め込んでおこう。着替えの服を買う時に外すから」


 シオンは疲れたように頷くと、リィエルの胸元に魔法石をあてがった。魔法陣を元通りに書き換えればいいだけなので、起動してさっさと書き換えてしまう。

 すると、リィエルの服にあっさりと魔法石は填まった。


「どうして元に戻したの?」


 リィエルが不思議そうに尋ねる。


「胸元を晒したまま街中を歩くもんじゃないからだよ」

「シオンの服も胸元が開いているよ?」

「俺は男だからいいんだ。このくらいなら」

「女の人は駄目なの?」

「まあそういうファッションもあるのかもしれないが……、俺はリィエルにそういう格好をしてほしくない」

「わかった」


 素直に頷くリィエルだった。

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