第214の扉  涙の出発点

「たぃよぅ」

「はい」


 涙の理由を考えていた風花だが、しばらくしてゆっくりと口を開いた。そして……


「私、……相原くんのことが、好き……かもしれない」


 胸元をギュッと握りしめて、自信無さげに言葉を紡いだ。彼女自身今の自分の感情に戸惑っているのだろう。ひどくか細い声音だった。


「セレナ島に落ちた時、相原くんが抱きしめてくれてすごくドキドキして、嬉しかった。それに、前に梨都さんが来た時、相原くんが梨都さんにうっとりしてて、何だか胸の奥が苦しかった。あとね、この前相原くんが女の子と手を繋いでいた時、妹さんだって分かってホッとしたの」


 風花は今までの感情の変化を教えてくれる。それと共に連れてきた思い出は、どれもキラキラと輝く宝石の様だった。


 翼と出会って、彼に触れて、感情を知って。


「さっき、相原くんが……好きって言ったの。私の、香りが好き、なんだって。『好き』って言葉を聞いてから、何だか頭がぼんやりして、すごくくすぐったい感じがしてて」


 そして、ほんのりと頬を染めて、恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。

 翼が口にした「好き」という言葉。彼にとってはポロッと零れ落ちてしまった一言なのだろうが、風花はそれをとても大切に抱え込む。


「相原くんのことを考えると胸が苦しくて、笑った顔とか思い出すともっと苦しくなって。……で、でも、相原くんが名前を呼んでくれると、体が浮かびそうなくらい嬉しくて、も、もっと呼んでほしいなって、思ったりするの」


 風花は太陽の差し出してくれた手をにぎにぎと握りしめながら、自分の感情を確かめる。話す彼女は恥ずかしそうに頬を染めているのに、とても嬉しそう。そんな彼女を見ていると、こちらの頬も自然と緩んだ。


「今までずっとよく分からなかったけど、多分この気持ちは好きって気持ちなんだと思う。友達としてとか、仲間としての好きじゃなくて、一人の男の子として、相原くんのことが、……好き」


 長くくすぶり続けていた恋の蕾。今、完全にその花が開く。



「好きなの」



 初めはか細く呟かれた「好き」だったが、今はしっかりと芯を通して紡ぐことができた。それと同時に満開の花が咲き誇る。


「良かったですね」


 太陽は風花の心情の変化に頬を緩める。無表情の無感情だった彼女だが、今では誰かを愛することを知った。そばで成長を見続けていた太陽にとって、それが自分のことのように嬉しい。

 先ほど流していた涙の理由。その出発点は「好き」という感情だろう。嬉しさ、戸惑い、羞恥……様々な感情が一気に押し寄せて、涙として形になったようだ。

 その証拠に風花は今、ほんのりと頬を染めながら花の咲くような笑顔を浮かべている。


「でもね」


 しかし一変して、泣き出してしまいそうな顔を浮かべる風花。涙を耐えるようにギュっとその胸元を握った。


「この気持ちは忘れなくちゃ……」

 

 苦し気に呟かれた言葉たち。彼女の頭の中には、以前の国家会議で決定した条件が巡っているのだろう。


 この恋は実らない。


 折角開いた恋の花、しかしそれは実ることのない花。咲き続けるほどに、心を苦しく絞めつけるだろう。それならば、すぐにでも摘み取ってしまった方がいい。風花は花をもぎり取ろうと手を動かした。


「忘れなくていいんですよ」

「え?」


 風花の手が花に届く寸前に、太陽の優しい声が響く。胸元を握りしめているその手を自分の手へと動かし、優しくさすった。


「忘れる必要はありません。好きになっていいんです、あなたのその気持ちは大切にしてあげてください」

「で、も……」

「誰かを好きになるということは、悪い感情ではありません。素敵なことですよ。だから忘れないであげてください。姫のその気持ち、大切にしてあげてください」


 太陽の言葉に風花が堪えていた涙がポロリと頬に伝った。太陽は優しくその涙をぬぐいながら、言葉を紡ぐ。


「翼さんだけではありません。優一さんも彬人さんも美羽さんも一葉さんも、他のみなさんのことも。もっと好きになってもいいんです、愛していいんです」

「たぃよぅ」

「誰かを好きになると言う感情は、この世で最も美しく、綺麗な心なんですよ」


 太陽の優しい言葉が、風花が押し込めようとしていた言葉たちを誘った。そして……


「好き、大好き。相原くんが好き」


 風花の口から言葉が、瞳から涙がポロポロと溢れて止まらない。


「大好き、大好きなの」

「はい」

「すごく好き。今すぐ会いたい。名前を呼んで抱きしめてほしい」

「はい」

「相原くん、相原くん。私に笑いかけてほしい。触れてほしい。私のことを見てほしい」

「はい」


 太陽は風花が吐き出してくれる愛の言葉を全て受け止めた。彼女が全てを吐き出せるまでずっと……






____________







「なぁ、翼」


 帰り道、ぼんやりと歩きながら優一が翼に話を振った。


「桜木が『愛』を理解できるようになったら、お前は自分の気持ちを告げるのか?」

「んー」


 優一の言葉に翼は自分の胸に手を当て、感情を確かめる。

 風花のことが好き。しかし、彼女は心が欠けている影響で「愛」が分からない。だけど、もし風花が愛を知ったなら、自分は想いを告げるだろうか。

 翼は風花と共に歩くその道を思い描いて、すぐにその首を横に振った。


「伝えない……かな」


 困ったように笑いながら、翼は言葉を返す。翼自身何かに迷っているような、そんな気配を声音に感じた。優一は何も言わずに言葉の先を待つ。


「あの時思ったんだ。ひかるさんみたいな人の方がいいんじゃないかなって」

「……」


 風花は異世界の住民で、お姫様。考えてみれば、そんな彼女の相手が自分では不釣り合いだ。先日再来した月の国の王子、月野ひかるのような身分の方が彼女の隣にふさわしいだろう。

 更に、風花は心のしずくを集め終われば、風の国へと帰って行く。たまには遊びに来てくれるかもしれないが、今のように毎日顔を合わせることは不可能だろう。寂しい想いをさせてしまうことは簡単に予想できる。

 だったら、彼女が少しでも笑えるように、自分との関係は友達のままの方がいいのかもしれない。隣に居るべきなのは、僕じゃない。


「だから、伝えない」

「……そっか」


 そう告げる翼は、どこまでも真っすぐな瞳をしていて。優一はそれ以上彼に何も言えなかった。

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