第78の扉  最高の笑顔

「美羽ちゃん、写真集見たよ! すっごく可愛かった」


 優一の話が終わり、席に戻ってきた美羽を女子たちが取り囲んだ。声をかけてくれた子に美羽は笑顔を返す。


「はぁ、私も美羽ちゃんみたいになりたいな。うらやましい」

「全部順調だもんね。いいなぁ」

「ふふっ、ありがとね」


 ピキピキ


「?」


 風花は自分の席で本を読んでいたのだが、何かが割れる音が聞こえ、本から目を離す。何の音だろう、と耳を澄ませていると、美羽の方から聞こえてくるようだ。彼女はクラスメイト達と話しており、何も変わった様子はなさそうに見える。


「いいよね、美羽ちゃん全然怒らないし、心広いよね」

「ほんとに、うらやましいな」


 ピキピキ


「はい、みなさん。席についてくださいね」

「?」


 西野が教室に入ってくると同時に不審な音が止んだ。風花は疑問に思いながらも、読んでいた本をしまい、授業が始まる。




__________________





「んー」


 風花が自分の机に突っ伏して、うなっている。彼女の頭から今朝聞いた悲しい音が離れないのだ。あの音は一体何なのか、何かが割れている悲しく、冷たい音。

 あの音が聞こえた時、その方向には美羽と数名のクラスメイトが居た。しかし、彼女たちには何も聞こえていなかったようだ。風花の気のせいだろうか。


「んんー」


 そう考えながらも、風花の頭から音が消えてくれない。ピキピキと彼女の頭の中で悲しい音が鳴り続ける。


 痛い、苦しい、寂しい、辛い……


 彼女の心が音に引っ張られて、同化し始めた。自分の痛みではないのに、胸がズキズキと痛む。


「大丈夫、風ちゃん?」


 苦しむ彼女の元へ美羽がやってきた。美羽が教室に帰ってきたら風花がうなっていたので、急いで駆けつけたのだ。


「美羽、ちゃん」

「わ!? え、風ちゃん、どうしたの?」


 顔を上げた風花の瞳から、涙がこぼれ落ちる。彼女の瞳は戸惑いと困惑と恐怖の色を示していた。風花自身自分が同化している感情に戸惑っているのだろう。


「痛、い」

「胸が痛いの? どうしよう、保健室……?」


 保健室へと連れて行こうとしていた美羽だが、風花の行動で動きが止まった。風花が美羽の服の裾を引っ張ったのだ。


「風ちゃん、どうしたの?」

「ぁ、あ……あのね」


 ポロポロと涙は止まらないが、風花はゆっくりと言葉を紡いでいく。美羽は風花の正面にしゃがみこみ、優しく目を見つめてくれた。


「あ、ぁ……うぅ」

「ん?」

「み、うちゃん」

「はぁい、いるよ」

「……こ、こ」


 風花は美羽の胸元に手を当てた。美羽は彼女の行動の意図が分からず首を傾げていたのだが、風花が口を開く。


「割れて、る」

「え……」


 風花は美羽の胸に手を当てながら、苦しそうに言葉を紡ぎ続けた。


「痛い、って、苦しい、って言ってる」

「……」

「やだって、怖いって」

「風ちゃん……」


 風花の声に美羽の顔が歪んだ。彼女は風花の言葉の意味が分かったのだろう。涙を流して苦しそうな風花を抱きしめた。


「もう、なんで風ちゃんが泣くの?」

「うぅ、だってぇ……」


 美羽は苦しそうな風花の頭を撫でてくれる。その動作を受けても風花の涙は止まらない。しかし、彼女の瞳からは戸惑いと困惑の色は消えていた。残っているのは恐怖の感情のみ。


「音、みうちゃん、だった」


 風花が今朝聞いた悲しい音。それは美羽の心から鳴り響いていた音だったようだ。彼女が風花の近くに来たことでそれが明らかとなった。


「うぅ……」

「風ちゃん泣かないで」

「いやぁ……」

「なんでよぉ」


 風花は全然泣き止んでくれない。美羽が抱きしめて頭を撫でるも、彼女は自分の胸と美羽の胸を握りしめてポロポロと涙を流している。


「み、うちゃん、が」

「ん?」

「泣かない、からぁ……うぅ」


 風花は美羽の心の痛みに同化した。今彼女が流している涙は本来美羽から零れ落ちる物だろう。しかし、美羽は必死に涙を耐えた。だから、代わりに風花が泣く。


「んぅ……」

「もう、風ちゃんは……いいのに、優し過ぎるんだよ、君は」

「やだぁ」

「やだじゃないの、こら」


 美羽は風花の頑なな様子に困ったような笑顔を浮かべるも、何だか嬉しそう。その笑顔から苦しそうな感情は読み取れない。


「泣いてくれて、ありがとね」


 美羽はポンポンと彼女の頭を撫でる。風花から流れ落ちる涙を見て、美羽の目が潤んだ。

 自分はこんなにも大きな感情を溜めこんでいたのだ。風花が同化して泣きじゃくるくらいに。



 美羽の心が割れた理由。それは……


「美羽ちゃん、全然笑わないからつまんない」


 美羽は幼少期あまり笑う子供ではなかった。両親からもっと笑うように言われ続け、友達にも笑わないからと煙たがられる。

 自分はいつでも笑っていないといけない。ずっと笑顔で居なければいけない。そうして笑顔の仮面が張り付いた。


「美羽ちゃんはいいよね」

「いつもニコニコしているから、悩みなんてないんでしょ?」


 笑顔を張り付けて生きていたら、今度はみんなにそう言われるようになった。悩みがなさそうでうらやましい、いつも笑顔でうらやましい、そう言われる度に美羽の心が抉られる。

 そしてそれは美羽が芸能界に入ってから、どんどん加速していった。誰もが一度は憧れる芸能界。妬み、嫉み、嫉妬。いくつもの黒い感情が彼女を包み込んでいった。


『うらやましい』


 そう言われる度に美羽の心が黒く染まる。一層笑顔を張り付けた。悩みがあってもそれを打ち明けられない。笑顔で過ごし続けるしか彼女は術を知らなかった。学校での友人との関係。家での家族との関係。芸能活動に対する悩み。誰にも打ち明けられない悩みが黒くなって心の中に積み重なっていった。そして、その黒い色を隠すように笑顔の仮面を張り付ける。





「みう、ちゃん」

「はぁい」

「泣い、た」


 風花の言葉に美羽は自分の頬に伝う感覚を認識した。目から暖かい物が流れているような気がする。その感覚を覚えた瞬間、風花の瞳から流れていた涙が止まった。


「な、んで、私……」


 美羽が自分の頬に手をやると、やはりそこには涙が。ポロポロと流れて止まらない。風花の涙を見て、彼女自身自分の中にあった感情の大きさに気がついたのだろう。今まで貯め込んだ黒い感情が涙と共に洗い流されていく。心の中で苦しいと感じていた物がスッと消えていった。


 無理に笑わなくていい、笑顔の仮面を貼らなくていい。


 黒い感情の代わりに美羽の胸の中には暖かい感情が入り込んできた。風花がずっと握りしめてくれている自分の胸の中に。


「風ちゃん、ありがとう」


 美羽は今までで一番の笑顔で風花に微笑みかけた。

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