第74の扉 うらやましい
「桜木さん、おはよう」
「おはよう」
水の国から一夜明け、教室で翼が風花に話しかけた。昨日感じた違和感は薄れているものの、まだ何かある。
風花は心が欠けており、その感情があまり外に出てこない。心のしずくを順調に取り戻し、前よりは出やすくなったが、その感情はまだ儚くて脆い物。彼女の感情を読み取ることは難しい。
「何だか嫌な予感がするんだよな……」
ポツリと呟いた彼の声はぼんやり風花には届かない。
その頃、クラスメイトの何人かが美羽に話しかけていた。
「ドラマ良かったよ」
美羽は芸能人。ドラマ、雑誌、写真集など、最近はメディアへの露出度が多くなってきた。くっきりとした目鼻立ち、サラサラの髪の毛、スラッと伸びた細い手足。彼女をうらやましいと思わない人はいないのではないだろうか。
「芸能活動も順調だし、いつもニコニコしてて、優しいし、悩むことなんかなさそうだよね」
「いいよね、私なんて悩みばっかりで。ほんと美羽ちゃんがうらやましいよ」
人当たりも良く、困っている人は放って置けない性格。彼女はいつもニコニコ笑顔で楽しそう。
「ふふ、みんなありがとね」
しかし、その笑顔に隠された黒い感情に誰も気づかない。
「ふ、今日も戦いが終わった」
訳)僕は今から帰ります
授業が終了し、クラスメイトが次々と帰宅していく。のんびりとクラスメイト達が帰り支度を進める中、美羽は急いで教科書を鞄へ放り込み、教室を飛び出した。彼女は今日仕事なのだ。マネージャーが迎えに来て、そのまま仕事へと向かう。
「ギリギリセーフ!」
「いつも急がせてごめんなさいね」
急いで乗り込むと、マネージャーの藤原が車を発進させる。藤原は30代で、少しぽっちゃりとした包容力のある女性。プニプニのお腹が美羽のお気に入りである。
「いえ、問題ないです! こちらこそいつもお迎えありがとうございます」
「これが仕事だもの。もう、本当に美羽ちゃんはいい子ね。あ、そう言えば、ドラマの出演も決まったのよ。今後も忙しくなるわ」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
藤原の元には他にも仕事が舞い込んでいるのだろう。ニコニコ笑顔だ。
美羽も芸能界の仕事は嫌いではない。むしろ好き。たいへんなことも多いが今後も頑張っていきたいと考えている。しかし……
「美羽ちゃんみたいにうちの娘も育ってくれないかしらね」
「……」
「優しくて可愛くて、本当にいい子。うらやましいわ」
「ありがとうございます」
褒められるたびに徐々に美羽の表情が硬くなる。普段のふんわりとした笑顔ではなく、作り物のような笑顔に変わっていく。
「美羽ちゃんはいつも笑ってて、明るくていいわよね。でも何かあったら相談してね」
「ありがとうございます」
美羽は作り物の笑顔で答えると、車の外を眺めた。その顔から笑顔を消して。
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「風花さん、一緒に帰りましょう」
「うん」
ぼんやりと自分の席に座っていた風花にうららが話しかけた。うららは彼女のそんな様子に首を傾げるも、手を繋いで一緒に帰宅していく。
顔は赤くないし、熱も無さそう。体調が悪い訳ではないのだろう。それに過保護気味の太陽が、体調のすぐれない風花を登校させるとは思えない。彼女は昨日水の国に行った、と一葉が言っていた。そこで何かあったのだろうか。うららは同行していないので、事情が分からない。
そんなことを考え歩いていると、風花の家の前に人影が一つ。影はうららたちの姿を捕らえると、口を開いた。
「桜木に話があるんだ」
「……」
風花はその言葉を聞いて、ビクリと肩を揺らしたように見える。その変化は一瞬のみ、隣に居たうららしか気がつかない。
うららは風花と繋いでいる手を優しく握り直し、目の前の人物に言葉を放つ。
「その言い方をされるということは、私は聞かない方がいい話ですわね? 成瀬さん」
風花の家の前で待っていたのは優一。普段なら先に太陽に声をかけ、リビングで待っているのに今日は玄関前で待っていた。太陽にも聞かれたくない話なのだろうか。
「あぁ、悪い神崎。だけど桜木が希望するなら同席してほしい。……俺はきっと桜木を泣かせてしまう話をする」
優一の言い方に風花が再びビクリと震え、瞳に恐怖の感情が巻き起こる。その変化にうららの纏う空気が変わった。
「あなたが何の考えもなしにそのようなことをおっしゃる方ではない、と分かった上でお聞きしますが……」
そこで言葉を区切ると、うららの身体から何やら黒いオーラが巻き起こる。彼女の髪が不気味にふわりと舞い上がった。
「話の内容によっては相手が成瀬さんでも許しませんわよ?」
うららは鋭い威圧感と、低い声で優一に問う。その顔はニコリとも笑っていなかった。ブラックモードのうらら降臨である。
「神崎、違うんだ。……桜木のことを憎んでとかそういう話じゃない。ただ少しつらい話にはなる」
優一はブラックうららには怯まず、苦しそうに顔を歪め話を続けた。彼は何を伝えようとしているのだろう。
うららは少し迷う仕草をみせるも、黒いオーラを消して風花に優しく問いかける。
「風花さん、どうですか?」
「……私は」
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美羽の仕事が終わると、家まで藤原が車で送ってくれた。彼女の表情は何だか暗いようにも見える。仕事で疲れたのだろうか。
しかし、美羽は一つ息を吐くと、作り物の笑顔を張り付けて、そのまま扉を開ける。
「ただいま!」
「お帰りなさい、美羽ちゃん」
出迎えてくれた母親に美羽はニコリと笑顔を向けた。
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「私は、成瀬くんと話してみる」
「お一人で大丈夫ですか?」
うららが優しく風花の顔を覗き込む。風花は不安そうに瞳を揺らすものの、こくりと頷いた。
「……分かりました。ですが、お二人が話している間、私も別室で待たせていただいてもよろしいですか? その方が風花さんも安心では?」
うらら優しいの言葉に、一瞬風花が泣き出しそうな顔になる。一人で聞くことを決めたが不安だったのだろう。
「お部屋の準備してくるから、待っててね」
風花は部屋の準備をするために家へと入っていった。彼女の背中を見送ったうららから、ふぅと一つ息が漏れる。
「私が残るようにわざとあのような言い方を?」
「……悪いな」
「回りくどいやり方をせずとも、そう言ってくだされば良かったのに」
今回の優一のやり方は勘が鋭く、頭の回るうらら相手だったから成功した作戦だろう。他のメンバーだったらこう上手くことは運ばない。
「桜木にも覚悟して聞いてほしい話だったから」
そう呟く優一は何だかとても悲しそう。彼の話とは何なのだろうか。
「隣の部屋にいますので、何かあったら呼んでくださいね」
「わたくしも控えておりますので、すぐお呼びください」
「うららちゃん、太陽ありがとう」
太陽とうららは優しく風花に声をかけ、部屋を出ていく。
「私が先ほど言った言葉、お忘れなきよう」
優一とすれ違う時にうららはこそっと低い声でつぶやいた。
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