借金返済
私の人生には借金が付きまとっている。高校生になり、バイクの免許を取った時からそれははじまった。
タクシー運転手で、頑なにバイク購入を許さなかった父親を何とか説得し、バイク本体を手に入れた。もちろん分割払いだ。バイクを手に入れると、ヘルメット、グローブ、ブーツ、レインウェア、皮ツナギに至るまで、関連する物が欲しくなった。台東区の浅草、KADOYAという所に行って、皮ツナギをオーダーでこしらえ、その足で用品もいろいろと手に入れた。親を保証人にし、もう一つローンを組んだ。
その後もサーフィンの道具やら、何やらかんやらを、この方法で手に入れ続けた。親の会社の住所や電話番号、口座番号などは、知らぬ間に覚えてしまった。
手に入れるのはいいが、支払い続けるのは大変だ。若かった私は、この事がよくわかっていなかった。バイクは中型のRG250γという、当時最先端のバイクだったが、かなり燃費が悪かったので殆ど乗ることができず、レストランデニーズでのバイトへの通勤は、原付ばかりを使っていた。
働くようになってからは、車に全てをつぎ込んだ。車体の支払いの他に、税金、車検、任意保険料、駐車場代、アルパインのカーステレオなど、かなり大変だった。幸いにも実家暮らしで自動車ディーラーに勤めていたため、そこそこの恩恵はあったが、それにしても、思い出せば、いつの時代も借金を返済していた。
自分で事業を始めるにあたって、公庫からお金を借りた。100万、50万、30万と、調子よく借り、これもまた返済を続けた。足りないので、運転資金と称して、ノンバンクからもちょいちょいと借り続け、これらは今も返済を続けている。
残高は多いときで300万近くあったと思う。一時期、もう、どうにもならなくなり、いよいよ自己破産をしなければならないかなと考えたこともある。家族の事も考え、恥を忍んで年金暮らしの親からお金を借り、どうにか最終手段は取らずに済んでいる。
義父が入院したのと時を同じくして、洗濯機が壊れた。エラー表示を元に、取説を参照しながらリカバリーを試みたが、もう寿命だった。義父は最盛期140キロあり、太っている。パンツ、ステテコ、ランニングなどは全て綿で、一時期は両国から取り寄せたりもしていた。私の作業着なども、全て洗濯してもらっている。洗濯機は必需品だ。
カミサンとヨドバシカメラに行き、ジェルボール対応、最先端の手頃な洗濯機に買い換えた。ちょっとキツかったが、何とか10回の分割払いで乗り切ろうと、ヨドバシゴールドカードを切った。
返済は予想通りかなりしんどかったが、この支払いが今月の27日で終わる。ほっとすると同時に、義父が入院してから、もう一年にもなるのか、時の経つのは早いと感じた。
このように現在も、借金をちまちまと返済している。大きく稼いでドカンと返したいといつも思っているが、なかなか行動が伴わず、当然結果は出ていない。
結局、歳を取っただけで、やっている事は高校生の頃と何も変わっちゃいない。
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