第9話
トントントンっと三回ドアをノックする音が響き、その音で私は目を覚ました。カーテンから差し込む陽射しでもう朝だということ知り、コトリが起こしに来たのだと理解した。
「師匠。おはようございます、朝ですよ」
「おはよう、今下に降りるよ」
「早く降りてきてくださいね、ご飯冷めちゃいますから」
「あぁ、わかった」
彼女にそう催促されて苦笑しつつも、服を着替えて朝食を食べるために一階の台所へと向かった。台所へ着くと既に朝食が準備されており、私は静かに着席して彼女が作った料理が机に並べられていくのを眺めていたが、盛り付けられている料理は随分と上達したと感じられた。ここに来たばかりの彼女はそこまで料理を作ることはなく、どこか隠れるように過ごしていたような感じだった。そんなコトリがここまでするようになったのは、私としては嬉しいことだ。
「どうしたのですか? 早く食べないと冷めちゃいますよ、師匠」
「いや、何でもない。それじゃあ食べようか」
二人揃って手を合わせてから、コトリが作った朝食を食べていく。他の家庭でも見られるであろう朝食のメニューだが、彼女が作ってくれたからなのか美味しいと感じられた。
「美味しくできてるな」
「それは良かったです。色々と練習してたので、そう言ってもらえて嬉しいです」
「そうか、だいぶ上達したな。これなら、将来も安心だな」
「まだ気が早いですよ、師匠」
「悪い悪い」
そんな他愛もない会話をしながら、私達は朝食を食べ進めていく。ふとコトリの方を見ると、口の端にヨーグルトを付けながらそのまま食べ進めていた。机を挟んで手を伸ばし、ナプキンでそっと付いたものを拭き取った。
「ありがとうございます、付いてました?」
「あぁ。気付かないほど美味しかったのか?」
「はい。自分で作ったものを誰かと食べるのは、とても美味しいですから」
「それはよかったよ」
食べ終わった食器を片付け、今日もいつもと変わらない一日が始まる。そのはずだった。
「なあ、知ってるか。この街には死神がいるらしいぞ。この前も、一人殺されたらしい」
「あぁ、噂話は聞いてるよ。なんでも年齢や性別とか関係ないらしいしな。これだから、二人目が国王になるなんて嫌だったんだ」
それは外から聞こえてきた男達の会話。くだらない噂話と、行く当てもない不満。だが、とある言葉が引っ掛かった。
「死神……」
その言葉を聞いて顔を思い浮かべたのは、皮肉にもコトリだった。そんなことは無いと思いたいのだが、私が知っている中での死神は彼女しかいなかった。まさかと思いながら振り向くと、コトリが後ろに立っていた。
「コトリ、さっきの話……」
「私は知らないです」
「まだ何も言ってな……」
「私じゃないです」
私の話を遮ってそのまま部屋へと戻るコトリの背中を見送りながら、彼女が何かを隠したがっているのを感じた。だが、今の彼女にそれを聞くのは難しいだろう。
「仕方ない、少し出てくるか……」
簡単な手紙を書いて机に置き、私は男達が話していた噂の情報を集めるために街へと出ることにした。流石に今の年老いた見てくれでは話をしてもらえなさそうなので、魔術を使って姿を変えてから家を出た。
若い旅人のような姿になった私は、この街の酒場がある方へと歩き出した。昔から酒場には情報が集まりやすいというのがあり、多くの旅人はここに来ては街の情報を集めていた。
「ここなら話を聞けるだろうか」
酒場が集まる通りの中で入っていく人が多い店を見つけ、私もその後に続くように店の中へと入っていった。
予想通り店内は人で賑わっており、私はカウンター席に座りながらマスターに話しかけた。
「こんにちは。まだ昼間なのに、ここは賑やかですね」
「いらっしゃい、旅の人。この辺だとあまり夜に出られないからって、昼間に飲みに来る連中が多くてな」
「夜に出られないのですか? 歩いてきた感じだと、安全そうな街なのに」
「昼間は比較的安全ではあるが、夜になると危なくてな。最近は特に死神とやらが出るらしくて、みんな暗くなると出歩かないんだ」
「死神? それって、あの神様の方の死神ですか?」
「そこまではわからないが、どうも人狩りをしているようでな。昨日も一人やられた」
「そうですか……」
「旅の兄ちゃんも、暗くなる前に宿を見つけておいた方がいいぞ」
「ありがとうございます」
どうやら男達が言っていた話は本当のようで、まだ昼間だというのに男女関係なく机を囲んで酒を飲んでいる姿が多く見られる。普段の街の様子からは随分と違っていて、それほど皆が警戒しているのだろう。
「その死神らしき人物の特徴は、何かないですか?」
「見たことがある人が言っていたことだが、白い髪に青い瞳の少女らしき見た目だったとか。だが、討伐とかしようと考えているならやめておけ。この街の兵士ですら、歯が立たずに死んでしまったようでな」
「それは……」
「その死神は別名『蒼き瞳の
「ご忠告ありがとうございます。気を付けます」
その後はしばらく酒場で飲み食いをしてから日が暮れる前に店を出て、私はわざと当てもなく歩きながら暗くなるのを待った。
「さて…… 鬼が出るか蛇が出るか……」
人通りが無くなった頃に少しだけ温度が下がったような気がして、周囲を見回してみると視界の端に白い髪の毛のようなものが一瞬だけ映りこんだ。それを目で追いかけてみるが人影等のものは見つからず、気のせいではないかと思おうとした。だが、私は背後に何かがいる気配がして驚きつつ振り向いた。
「え……」
白い髪に青い瞳の少女。先程までは無かった気配の正体は、私の幼い娘に瓜二つの人ではない何かだった。
「お兄さん、こんなところで何してるの?」
「ちょっと泊まるところを探してて」
「こっちに、良い所があるよ。ついて来て」
声をかけてきたそれに返事を返しながら逃げようとするが、どうにも身体が思うように動いてくれなかった。一種の催眠をかけられてようで、自由を奪われた私は自分の意志とは関係なく路地裏に足を踏み入れていた。
「さてと、ここなら邪魔する人も来ないだろうし」
脳内で警笛が煩く鳴り響いているが、身体の自由が奪われているため足が固定されたままになっている。視線の先には不敵な笑みを浮かべながらゆっくり近づいてくる人ならざる者の姿があり、どうにも無事では済まなさそうな気がしていた。怪我だけで済めばいいのだが。
「お兄さん、いただきます」
そう呟いたそれは、動けない私に向かって襲い掛かってきた。反撃をしようと魔術を編んでみるが、うまくいかずに不発に終わってしまった。
「これは、まずいな……」
迫りくる危機にどうすることもできずに、私は覚悟を決めるしかなかった。だがその化け物が私に辿り着くことはなく、何かによって横薙ぎに吹き飛ばされていた。
「師匠!」
「コトリ? なんで私だとわかった?」
「私が死神なのを忘れましたか? それより、早く隠れてください。もう動けるはずですから」
コトリの言葉通り、私の身体は動くようになっていた。吹き飛ばされた化け物の方を見ると、地面からゆらりと起き上がり始めていた。
「あれは何だ?」
「簡単に言えば、死体です。死神の管理から外れて死んでしまうことがあるのですが、あれもその一例です」
「死神の管理から外れた死……」
「詳しい説明はまたあとでします。今はあの化け物をどうにかしないといけないので」
そう言うと、魔術に近いもので自分の背より大きな黒鎌を作り出し、起き上がってきた化け物に向かっていった。鈍い衝突音が響き、土煙が舞い上がる。二人の少女がぶつかり合いながら戦う様は非現実的で、今目の前で起きている出来事なのだと認識するのには僅かに時間が必要だった。
「そうだ、隠れろと言われていたな」
彼女に言われたことを思い出し、私は物陰に身を潜めながらコトリの戦う様子を見守っていた。残念ながら今の私では、彼女の戦いの邪魔になってしまうだろう。足手まといになりコトリが怪我を負うこととなれば、私が自分のことを許せなくなってしまうだろう。
「こうして無事を祈ることしかできないのは辛いな……」
しばらくぶつかり合うように戦っていたが、化け物もなかなかに強いのかコトリの体力の消耗が激しいのが見てとれた。そのことに彼女自身も気が付いているようで、大きく横薙ぎに化け物を吹き飛ばした後、鎌を地面に垂直に立て何かを唱えていた。すると、彼女の黒い髪が毛先から徐々に白くなっていくのが見えた。髪の毛が全て白くなる頃には、私が知っている雰囲気を纏った少女ではなくなっていた。
「あれが、死神……」
コトリがそう呼ばれるのは家柄だけのせいなのだと思っていたが、今の彼女の姿を見てそうではないことを知った。彼女は正しく死神だ。コトリの様子が変わったことに気が付いた化け物が襲い掛かるが、振りかぶったその腕は空を切りバランスを崩した化け物は背後に回っていたコトリによって地面に叩きつけられていた。化け物を見下ろす彼女の視線はあまりにも冷たく、様子を見ている私ですら背筋が凍るほどのものだった。
「血ヲ…… よコセ!」
懲りずに飛び掛かってくる化け物を容易く躱し、振り向きながら左下から右上へと掬い上げるように鎌を振り抜き、赤い飛沫がコトリの白い髪を汚した。
「貴方の主人は貴方を使い掟を破りすぎました。だから、ここで終わらせます」
「ヨコセ…… ヨコセ!」
「迷える命よ、今ここに眠りたまえ……」
「コトリ、危ない!」
「ヨコセー!」
「
飛び掛かる化け物、間に入ろうと咄嗟に動いた私、呪文を唱え終えたコトリ。魔法陣が浮かび上がり、手が届かない私の代わりに化け物との隔たりを作った。魔法壁と言うより箱のような形で閉じ込め、どこにも逃げられないようにした。それでも化け物は箱の壁を叩き壊そうと、何度も何度も腕を振り上げては力を消耗している。
「さよなら、生ける屍よ。後生では、どうか幸せに……」
ガラスが割れるような音と共にその箱が化け物ごと砕け散り、あとに残ったのは暗闇に乱反射する光と地面を汚す赤。そして、急激に訪れた静かさだった。二人の間に流れる重たい沈黙。そんな沈黙を破ったのはコトリの方だった。水の魔術で地面の汚れを流した後、くるりと私の方を振り向いて困ったような申し訳ないような表情をしていた。
「驚きましたよね、私があんな風になることに」
「そうだな。それもあるが、既に君があれほど魔術を扱えるのにも驚いたよ」
「言わなくてごめんなさい。実は能力に近い魔術は少しだけ扱えます。他の魔術は、上手くできませんでしたけども……」
「そうだったんだな」
「騙したような形になってごめんなさい」
顔を伏せながらそう呟くコトリの頭を撫で、無事でよかったと彼女に伝える。
「このままここにいたら騒ぎになりかねないな。早く家に帰るとするか、コトリ」
「そうですね、帰りましょうか」
戦いの痕跡をなるべく消してから、私達はその場から立ち去った。
「そういえば、私の家に来る前はどうしてたんだ? 泊まらせてくれそうな家はあったんじゃないのか?」
帰り道の途中で彼女に何気なくそう聞いてみた。だがそれが間違いだと、私は言った後に気が付いた。
「今の質問は良くなかったな、忘れてくれ」
「いえ、大丈夫です。その話も帰ったらしますね」
「無理して話すことはないからな」
「はい、わかってますよ」
その後は手を繋ぎながら他愛もない話をしつつ家に辿り着き、誰かが追ってきていないかを確認してから玄関の扉を開けて中へと入った。
「ただいま」
「ただいまです、師匠」
「おかえり、コトリ。お風呂でも入って、少しゆっくりしてくるといい」
「それじゃあ、そうしますね」
赤で汚れた上着を着たまま彼女は奥へと向かい、私は姿を変えるために使っていた魔術を解いて元の姿に戻った。
「コトリのあの上着、あとで修繕してあげるか。だいぶ長いこと使っているのか、あっちこっちボロボロみたいだしな」
そう考えながら彼女がお風呂から出てくる前に、私は夕食の支度を始めた。少し肌寒い今夜は、体を温めるためにシチューを作るのがいいだろう。その後はコトリの話を聞いてから、上着を修繕してから身体を休めよう。今日は色々とありすぎた。
「お風呂あがりました。今日はシチューを作るのですか?」
「あぁ。少し寒いから丁度いいと思ってな」
「なるほど。私も手伝いますね」
「助かるよ、コトリ」
風呂から出てきたコトリと一緒にシチューを作り、皿に盛り付けて机に運んで席に着く。
「さて、食べようか」
「そうですね。もう、お腹ペコペコです」
「あれだけの戦いをすれば、それは当然だと思うけどな。いただきます」
「いただきます」
いつもと変わらず、私達は手を合わせてから食べ始める。
「そういえば、術で姿を変えていたのに何で私だとわかったんだ?」
「それは、死神の特性によるもので、見た目だけではなくその者の魂も見るので、姿が違ったとしても誰だかわかるのです」
「間違いを起こしにくくするには、その特性はいいものだな」
「ありがとうございます。今回はそのおかげで師匠を探し出せましたが、何で姿を変えてまで街にいたのですか? もしかして、昼間に男性達が言っていたことを確かめるために?」
「あぁ。君ではないだろうと思ってはいたが、どうしても確信が持てずにいた。心配かけて悪いと思っている」
今回はコトリが見つけてくれなければ、きっと私は今頃ここにはいないだろう。本当に運が良かったのだと、改めて思っている。
「コトリは何であの場にいたんだ?」
「なかなか帰ってこない師匠を探しに行ったんですよ。街に化け物が出るらしいとの依頼を受けたばかりだったので、まさかとは思いましたが」
「化け物か…… それが今回のか?」
「はい。聞いていた見た目や特徴と一致するので、間違いないです」
「そうか……」
「あの化け物に何か想い入れでもあるのです?」
「……あの子は私の娘だったんだ」
「そう、でしたか……」
「もう随分前の話だよ」
そう。あの少女が私の娘だったのは随分前の話だ。娘は既に亡くなっていて、あれはよく似た別の者だと自分の中で考えている。
「飾ってあった写真と師匠の名前から調べてもらいましたが、あの化け物の身体は師匠の娘さんのもので間違いないと思います。記録を探してもらいましたが、娘さんがいずれかの死神によって葬られた形跡が見つかりませんでしたので、娘さんは何者かによって死を隠されたようです」
コトリの口から告げられた真実。それを聞いた私は、意外なほど冷静だった。
「驚かないんですね」
「娘がもう生きていないことは、彼女がいなくなった時からわかっていた。このような形で、また娘の姿を見ることになろうとは思わなかったが」
事件が起きてすぐの時は、子供達はどこかで生きているのではないかと考えたが、流石に人類種の寿命で百年以上も生きられるわけがないのは知っていた。だから、今回のことも冷静でいられるのだろう。
「どれくらい前なのですか、その事件があったのは」
「百年は超えたか? 随分と前に起きたことだよ」
「それほどの時間が経っているのなら、師匠が冷静でいるのも納得できますね」
「別に私はそこまで冷血ではないからな」
「そうとは言ってませんよ」
すっかり冷めた残りのシチューを食べ終え、先に食べ終えていたコトリの食器と一緒に洗い始めた。
「そういえば、私が師匠の家に来る前のことを聞きたがってましたよね?」
「そうだが、無理して話すことはないからな」
「ありがとうございます。でも、話しておいた方がいいと思っているので」
「そうか」
丁度食器を洗い終えた私は、再び席に座りコトリと向き合った。
「私は師匠と出会うまでは、色んなことをしてきました。人に話せないことも沢山ありました。そうして私は家を出てから二年間、どうにか過ごしてきました。子供だからということで良いように利用されたこともありますし、危険な目にも合ってきました」
「そうだったのか……」
「師匠が初めてでした。私を道具とかではなく、ちゃんと一人の子供として扱ってくれたのが。だから私は、あなたについて行こうと思ったのです、師匠」
コトリの言葉を聞き、改めて彼女の師匠としてしっかりやっていかなければならないと思った。
「こんな老いぼれでいいのか?」
「はい、師匠に教えてもらいたいのです」
仕方のない弟子だと苦笑しながら、そっと彼女の頭を撫でる。こんな時間が続けばと、私が願うのは傲慢だろうか。願ったとしても彼女の寿命は私より短く、置いていかれることはわかっていた。一人で孤独に取り残され、残りの長い寿命を生きなければならない。そうだとしても、この時だけはそう願ってもいいだろうか。
「さて、そろそろ休むか? 君も疲れているだろう」
「そうですね、そろそろ休みます。師匠も休んでくださいね?」
「あぁ、わかってる。おやすみ、コトリ」
「おやすみなさい、師匠」
就寝の挨拶をし、コトリが部屋に戻るのを見送る。その小さな背中が、今日は頼もしく見えた。
永遠に流れるように感じられる私の時間の中で、君に会えたことを感謝しよう。例え君が、世界に忌み嫌われる存在だったとしても。
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