第7話

 結局一睡もできずに朝を迎えた私は、コトリと自分のために朝食の準備をしていた。今朝のメニューは、オニオンスープとオムレツとウィンナー。それに、トーストを付けて完成だ。盛り付けた皿を机に乗せながらそろそろ起きてくるだろうかと思い、二階の彼女の部屋へと呼びに行く。


「おはよう、起きているか?」

「……おはようございます」


 扉の前で声をかけると、向こう側からコトリの眠たそうな返事が聞こえてきた。


「朝ご飯ができているから、着替えて降りておいで」

「はい……」


 短い返事を聞いてから、紅茶を淹れるために私はキッチンへ戻った。彼女は朝の飲み物としては紅茶が好きなようで、自分で朝食を準備する時はいつも飲んでいることを知っている。なので今日は私が、彼女に用意をしてあげようと思っている。たまには、こういうことも良いだろう。


「おはようございます、師匠。今日は早いですね」

「おはよう。昨日、ちょっと寝られなくてな」

「それ大丈夫ですか? しっかり休んでくださいね、師匠」

「わかっているよ」


 私達はそう話しをしながら二人向き合って座り、手を合わせてから机の上に乗ったご飯を食べ始めた。


「そういえば、夜中にどこか行っていたのか?」


 二人で食べながら、私は昨日のことを彼女に聞いてみた。無理してまで教えてほしいわけではなかったが、聞かせてもらえるのならば私は知りたいと思う。


「気づいてたのですか?」

「物音がしたから起きてしまってな」

「それはすみませんでした」

「気にすることはないさ。それで、どこに行ってたんだ?」

「それは……」


 黙り込んでしまったコトリを見て、無理に話すことはないと声をかけた。


「いえ、大丈夫です。実は昨日、死神としての仕事をしていました。黙っていてごめんなさい」

「いきなりいなくなったことには心配したが、こうして無事に帰ってきてくれたから大丈夫だ」

「すみませんでした。次からは気をつけます」

「そうだな。一言声をかけてくれると助かるよ」

「はい」


 その後にコトリは、言葉を続けた。死神となった者は、定期的に命を狩らないと自分の寿命が縮むこと。だが無闇に命を狩るわけではなく、依頼が来るのを待つしかないのだと話してくれた。


「……辛かったかい、コトリ」


 私の言葉に対してコトリは驚いた顔をしてから、泣きそうな顔で笑っていた。


「誰かがやらないといけないですし、私はこの役目に選ばれて光栄だと思っています」

「それは、建前じゃないのか? 君は、本当にそう思っているのか?」

「もしそうであったとしても、私には逃げ道が無いですから。だから……」

「だとしても、君は神である前にまだ子供だ。そして、今は私が保護者だで、ここには君を傷つける者はいない。だから、無理して自分を取り繕うことはしなくていいんだよ」

「ありがとうございます、師匠……」

「あぁ。そうだ、これから言うことは覚えておくといい」

「何ですか?」

「命ある者には、死が二度あるということ。一度目は、その命が終わる時。二度目は、誰からも忘れられた時」

「誰からも忘れられた時……」


 言葉を繰り返して、飲み込もうとしているコトリ。覚えている者がいなくなってしまったら、生きていたという事実が失われてしまうだろうと私は考える。事実は記憶として残り、記録として受け継がれることがある。しかし、記憶が残っていなければ記録することができない。共に過ごした時も、楽しそうな笑い声も、流した涙も、優しいぬくもりも。


「皆がその者を忘れたとしても、君だけは覚えていてあげるといい。君達死神は最後に彼等を見送る者だ。だから彼等の最期を忘れないでほしい。それが、彼等のためにもなるだろう」

「わかりました」

「ん。いい子だ」


 しっかりと返事をする彼女の頭を軽く撫で、私は笑顔を浮かべる。彼女へ向けた言葉は、自分への言葉でもあった。私が共に過ごした者達を忘れぬための。


「師匠、話したいこと。いえ、話さなきゃいけないことがあります」


 何かを決意した様子で、コトリは私に声をかけてきた。


「どうしたんだい?」

死神わたしという存在と家を出てからのことを、師匠には話しておかないといけません」


 真っ直ぐに向けられた彼女の瞳を見て、私はその決意に応えようと静かに頷いた。


「まずは、私が死神というのは、師匠も知ってますね。その中でも私の存在は、前例がなく異端とされました。二人目という少ない例の他に、私の身体は憑代となるには良過ぎるものでした」

「それはどういうことだ?」

「本来は、一つの憑代に一柱の神ですが、私の身体には二柱の神が入っているということで、他の者達とは違っていました」

「確かに聞かないことだな」

「はい。そして、そのことを理由に私は様々なことをされました。内容は思い出したくないので言いませんが、彼等がしたことは決して誇っていいものではないです」


 そう話すコトリの顔には、怒りや憎しみによく似た表情が僅かに浮かんでいた。


「……。 それで、もう一つの話は?」


 何て返せばいいのかわからずに、私はコトリに次の話題について聞いてみた。彼女がどんな思いをして、何を経験したのかはわからない。わからないが少なくとも、いつも笑っている彼女の表情を歪ませるようなことであり、私はそんな顔は見たくなかったので話題を変えることにした。


「そうでした。もう一つは、今までどうしていたのかということですね。家を出てから私は、いたとされる双子の妹を探し始めました」

「いたとされる?」

「はい。ですがどこにも記録が残っていなくて、最初からいなかったことにされているのです。私自身もうろ覚えなのですが、自分と似たような子と遊んだことがあるのです。名前すらもう思い出せないですが、今はその記憶だけが頼りなので」

「名前を憶えていない自分によく似た子、か…… コトリには、他に兄弟はいないのか?」

「姉が二人いますが、どちらも私とは似てませんね。良ければ、写真がありますので見ますか?」

「そうだな、見た方が確実だろうな。お願いできるかい?」

「はい、わかりました」


 自分の部屋に一旦戻る彼女を見送り、私は先程の会話について考えていた。名前も憶えておらず、残っている記憶も僅かなもの。おかしいとは思うが、彼女の写真を見るまでははっきりと判断できない。


「師匠、お待たせしました。写真持ってきました」

「ありがとう」


 コトリが持ってきた写真を見て、彼女が言っていたことは本当だということがわかった。そこには小さな子供が三人写っており、コトリらしき瞳をした子供と白い髪に青色の瞳の子供、黒い髪に灰色の瞳の子供がいた。これが、彼女の姉達なのだろう。確かに姉妹に見えるほど似てはいるが、コトリとそっくりかと聞かれればそこまでではない。


「ん?」

「どうかしましたか、師匠」

「君の隣が不自然に空き過ぎている気がするが、これは元々こうなっていたのか?」

「よく覚えていませんが、言われてみると確かに不自然ですね」


 不自然に空いた空間を眺めながら「もしかしたら、ここにコトリに妹がいたのかもしれない」と考えていた。時間を遡ることができたらここにいたはずの子供が誰なのかわかるかもしれないのだが、その魔術を使うことは私には難しく他の方法を考えるしかなかった。


「何か良い方法は無いだろうか……」

「難しいですよね……」

「確かに難しいが、可能性が無いわけではない」

「本当ですか?」

「あぁ。ただし、かなりの時間がかかる難しい術を扱うことになる」

「難しい術ですか……」


 言葉を聞いたコトリの表情が曇っていくのがわかった。それもそうだろう。彼女のことだ、きっと今まで方法は無いかと探しただろう。そしてやっとその可能性を見つけたが、言われたのは長い時間と難関な術。私が同じ身だとしても、彼女の様な反応をするだろう。


「難しい術というのは、時間を操る術だ。そしてそれを扱うのは、私ではなく君自身になるだろう。私にその術は扱えなくてな」

「私が扱うのですか? まだほかの術もちゃんとできていないのに、そんな難しいことはできませんよ……」

「いや、君ならきっとできるさ。条件は充分に揃っていて、あとは君の努力次第だよ」

「何でですか? 何で私なのですか?」

「そうだな。まず、時間を操るということが禁止されているのはわかるね?」

「はい。なので、この術もできないのではないのですか?」


 そう。本来ならば、時間を操ることは禁止だ。というよりも、出来ないと言った方が正しいだろう。何故なら時を操ることができるのは、神のすることであるからだ。


「本来なら出来ないだろう。だが、神の憑代が操るのだとしたら? しかも普通の憑代の者ではなく、君のような憑代の者が使うとしたら?」

「神の業を神の代行をする者が行なうということですか」

「そうだ。そして君には、術を扱うのに必要な魔力を備えている」

「素質、力量。あとは知識というわけですか」

「そういうことだ。ただし、これは守ってほしい」

「何でしょうか?」

「たとえ術を覚え成功させたとしても、無闇に術を利用しないこと」


 どの術でもそうだがむやみやたらに利用してしまえば、多かれ少なかれいつかはそれが自分に返って来る。術が大きく多くなれば尚更だろう。


「どうして私に教えてくれるのですか? 難しくて危ないのなら、いっそ教えない方がいいのでは?」

「術とは使われる為にあり、使い方次第では良くも悪くもなる。だが、危険だからということで可能性を潰すことはしたくはない。もちろん、魔女には堕ちてほしくはないが」


 私は可能性が僅かにでもあるのならば、それに賭けてみたい。その術が魔術師としての理から外れない限り。


「……わかりました。私は師匠を信じます」

「なら、やる方向でいいのだな?」

「はい。よろしくお願いします」

「私も精一杯手を尽くす。こんな可愛い弟子には、幸せになってもらいたいからな」

「ありがとうございます」


 この提案が私のエゴであることは、自分自身がよくわかっていた。だが、まだ間に合うのなら彼女を妹と再会させてあげたい。家族を失うのは身を切るような、欠落感のような感情に飲み込まれてしまう。そしてその感情は長年付きまとってくるもので、時には自分自身の未来に影を落とすことすらある。彼女にはまだそういったことを経験してほしくはなく、私の身勝手な想いで決まっている彼女の未来を変えようとしている。そんなことをすれば、きっと罰が下るだろう。今以上に魔女だと責められ、処刑されてしまうだろう。だが、コトリを救えるのならそれも悪くない。


「さてと、師匠。今日も色々と教えてくれますよね?」

「まったくこの弟子は…… さっきまで落ち込んでいたかと思ったら、すぐに元気になってしまって、調子がいいな」

「いつまでも暗い気持ではいられませんし」


 先程までの暗い顔はどこへ行ったのか。やることが決まって元気になったコトリは、今日の修行はまだかまだかとせかしてきた。


「師匠、早く行きましょ? 様々な魔術を覚えて、早く妹に会いたいです」

「わかったから、引っ張るな」


 小さな手に引っ張られながら、彼女に部屋の方に連れられていく。出会った頃に比べて、コトリは随分と変わった。笑顔も増えて元気になり、そして遠慮もなくなってきた。私に対してだが、色々と言うようになってきた。そんなことを彼女の後ろ姿を見ながら思い、頬を緩ませていた。最初に出会った大人っぽい少女は、今では年相応の幼さになっていて安心している。


「どうか、君の未来が明るいものであるように願うばかりだ……」


 小さな背中にぽつりと呟き、今日も二人で魔術の修行を始めるために部屋の中へ入った。

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