第3話

 コトリに魔術を教え始め、一週間が過ぎた。貴族だったということもあり、基礎的なことは幼いのに良く理解できてるのだが、魔術式を組み立てるのが苦手なようで上手くかずに失敗を繰り返していた。しかし、彼女もそう簡単に諦める気は無いようで、毎日少しずつ上達してることが感じられた。今も私が昔使っていた杖で、簡単な魔術を成功させようとしているところだ。呪文を唱えて杖を振るが、ポフンッと音が鳴って煙が出ただけだった。


「しーしょー! もう一度やり方を見せてください!」


 ここ数日はこの調子で、手本を見せてほしいと何度もせがまれるようになった。


「わかったから、私の服を引っ張らない。あと、見せたらお昼ご飯にしような」

「あと一回やったら、ご飯にします」

「今日こそ守るんだぞ。昨日も同じことを言って、遅くまでやっていた子がいたからな」


 痛いところを突かれ、反論ができなくなるコトリ。それを横目に見ながら、私は彼女に頼まれた魔術を唱える。すると、先程まで頬を膨らませていたコトリが真剣な顔つきで見ていた。そういうところは、やはり流石だと思う。


「こういう風にやるといい」

「わかりました」


 そして彼女は私と同じ呪文を唱えなえてみるが、結果は先程と変わらず煙が出るだけだった。おかしいと思いつつ私は落ち込んでいるコトリを慰めながら、原因になりえそうなことを考えていた。


「上手くいかないです……」

「最初はみんなそんなものだ。焦る必要はない」

「でも……」

「自分の速さでいいんだよ。そうだ、少し手を出してごらん」

「はい?」


 きょとんとしながらも、彼女は言われた通りに小さな手を差し出した。私はその手に自分の手を重ね、コトリ自身が持っている魔力量を調べることにした。あまりにも失敗する理由として、二通りの原因が今までの経験から考えられることだった。一つは、そもそもの魔力量が足りない場合。これだと、いくら魔術を発動しようとしても、必要な量に足りていないのだからそもそもが発動できるはずもない。もう一つが、魔力の制御がうまくできていない場合。こちらは、魔術に必要な量を自分で制御できていないのだから、暴発するか発動しないかのどちらかになってしまう。暴発してしまえば怪我だけでは済まない術もあるので、なるべく早いうちに矯正する必要がある。彼女は一体どちらだろうか。


「ふむ……」


 コトリの小さな手を通して私が感じたことは、彼女自身の魔力量はかなり保有しているようだが、何かしらの理由で無意識に抑え込んでいるようだと感じた。おそらくは、彼女が家を出た理由と関係していると思うが、自分で抑えてしまうほど酷いことをされたのかと思うと、やはり彼女の苦しみは計り知れないものだと改めて知った。この子がその枷をどうにか克服できれば、もっと扱える魔術の幅が広がるだろう。何か良い方法はないだろうかと考えつつ、コトリに一旦お昼にしようと声を掛けた。


「わかりました。先にシエルとメーアにご飯をあげてきますね」

「頼むよ、コトリ」


 外へと駆けていく背中を見送り、私は台所へと昼食の準備をするために部屋を出た。どうすれば彼女が上手に魔術を使えるようになるだろうかと考えながら、オムライスを作っていた。


「師匠、戻りました。今日のお昼はなんですか?」

「お帰り。今日はオムライスだから、手を洗ったら手伝いにおいで」

「わかりました」


 猫達にご飯をあげ終えたコトリに声を掛けられ、私は一度考えていたことを中断させた。手を洗ってきた彼女に皿を取って並べてもらい、そこにチキンライスを置き焼いた玉子を被せてオムライスの出来上がりだ。形はお世辞にも上手いとは言えないが、味は問題ないと思いたい。


「美味しいです、師匠」

「それはよかった」


 頬を緩めながら本当に美味しそうに食べる姿が見れ、作ってよかったと改めて思った。妻も同じことを思っていたのだろうか。そうなのだとしたら、私はもっと彼女に感謝を述べればよかったと後悔した。


「私も君みたいに、妻にもっとお礼を言っておけばよかったよ……」

「師匠……」

「おっと。暗い話をしていたら、せっかくのご飯が冷めてしまうな」

「そうですね。食べましょうか」


 皿に残っていたオムライスを食べ終え、後片付けを始める前に一息ついていた。


「私には師匠の奥さまがどのような人かわかりませんが、お子さんに恵まれて師匠のような心優しい人と一緒に過ごせて幸せだったのではないでしょうか。少なくとも師匠は、亡くなった今でも寂しそうな顔で笑いながら彼女のことを想っているのですから」


 幼いコトリの口から出た突然の言葉に私は驚きつつも、気がつくと涙が頬を伝っていた。


「片付けは私がやるので、師匠は部屋で休んでください」

「すまない…… そうさせてもらうよ、コトリ」

「はい。落ち着いたら、色んな話を聞かせてくださいね?」

「ああ。わかった」


 彼女の優しさに甘えることにし、素直に私は自分の部屋へと戻った。ベッドに横になって目を閉じ、コトリに言われたことを考える。妻のアリシアは、私と過ごせて幸せだったのだろうか。今はもうわからないが、コトリの言葉に少し救われた自分がいるのも確かだ。


「いつの間にか私も、彼女に随分と心を許していたものだな」


 そのことを改めて感じ、コトリだけでなく自分も変わり始めているのだと知った。少し前の私なら、こんな日が来るとは予想すらしなかっただろう。変化を嫌って殻に閉じこもり、ただただ時がすぎるのを願ったことだろう。だが、今は違う。少なくとも、以前のような生活に戻りたいとは思わなくなっていた。


「そういえば、彼女が魔術を扱いやすくするために何か方法を考える予定だったな」


 魔導具の一つでも持たせようと思うのだが、何がコトリに合っているだろうか。身に付けれらる物が良いと思うが、残念ながらアクセソワールには疎く種類をそこまで知っているわけでもなく、私には考えを出すのが難しかった。

「コリエ、アノー、ブラスレ、ピルシング…… どれがいいのだろうか」


 簡単に身に付けられるとしたら、コリエやピルシングだろうか。あとの二つは成長と共に、大きさが合わなくなりそうだ。そして、彼女の性格からしてコリエは危ないだろう。大人しくしていられないことが多く、どこかに引っ掛けてしまいそうで心配になる。


「となると、ピルシングが残るわけか」


 それなら、デッサンはあまり飾り気が無い方が、普段使いをするのにもいいのではないだろうか。そうと決まれば一階にある工房で、久しぶりに魔導具を作ろう。暫く作っていないため少し不安はあるが、過去に制作した魔導具の資料が残っているため大丈夫だろう。


「よし。彼女のために作ろう」


 横にしていた体を起こして、散らばっていた考えを纏めてから部屋を出た。向かうのは、玄関先にある本棚の奥のコトリが魔術を練習する場所として使っている部屋ではなく、その更に奥にある部屋。魔導具を制作するための素材や資料などを置き、工房のように使っている場所がある。そこに行く途中の部屋で、魔導書を読んでいたコトリに声を掛け「私は奥で作業をしている」ということを伝えた。


「君が魔術を使えるようなるための道具を、奥の部屋で作ってくるよ」

「本当ですか! 私、出来るようになりますか!」

「出来るようになるさ。だから、楽しみにしておくといい」

「はい、ありがとうございます!」

「それじゃあ、また後で呼んでくれ。君もあまりに夢中になって、遅くまで本や魔導書を読んでいることのないように」

「あはは…… 気をつけます、師匠」


 夢中になると時間を忘れてしまうコトリに釘を刺し、私は奥の工房へと入る。いや、引き篭もると言った方が正しいだろう。彼女に釘を刺した手前、あまり没頭しすぎてしまうと私が注意されてしまいそうだが、そこは夕食の時間になる前に声を掛けてくれるだろう。


 部屋の中で過去に作った魔導具の資料やデッサンを色々と見ていると、作った覚えのないピルシングの資料が出てきた。そしてそこには、女性らしい文字で「御守アミュレット」と書かれていた。おそらくアリシアが書いたもので、記されていた日付を見る限りでは亡くなる直前の頃のデッサンだった。


「まさか、君のデッサンが出てくるとは思わなかったよ」


 妻は魔力は無かったが、魔導具のデッサンや薬草の調合等がとても上手く、私もよく手伝ってもらっていたものだ。彼女と数多く制作した思い出が溢れるこの部屋で、また一つ新しい思い出が出てくることになるとは。


「デッサンも彼女らしく、飾り気の少ないものだ。意味合い的にも、子供達にでも作ろうとしたのだろう」


 妻が残した思い出。それは、家族を想って残したものだろう。彼女は最後の時まで、家族想いだったのだから。


「アリシア。届かなかった君の想いを、今度はコトリに託してもいいだろうか……」


 ポツリと呟き、私は妻のデッサンを元にピルシングを作るための素材を選びはじめた。コトリの魔力量は問題ないが、心の枷によって必要な量が出ていないといった状態だった。ならば、魔力を通しやすい素材で魔導具を作るのがいいだろう。あとは、小さな宝石も魔力の溶媒として付けておこう。そうなると、どの宝石を付けようか悩みどころだが。


水晶クリスタル柘榴石グルナ真珠ペルル紫水晶アメティスト。他にも宝石はあるのだが、私はこれらを溶媒としてよく使っていた記憶があるな」


 どれを魔導具に付けようかと考えながら、私は大事な土台として使う素材を選んでいた。魔力の伝導率が高い銀鉱石でもいいのだが、コトリには何か別の素材を使ってあげたいと考えていた。


「そういえば、紅銀鉱コウギンコウがまだ残っていたはずだ。それを加工して、ピルシングとして使おう」


 紅銀鉱は入手が難しい素材で、名前の通り赤い色をした銀鉱石だ。鉱石として出来上がる時に、アンチモンというレアメタルが混ざって出来たものが濃紅銀鉱ノウコウギンコウ。アンチモンの代わりに、ヒ素が混ざって出来たものが淡紅銀鉱タンコウギンコウとなる。私が持っているのは、後者の淡紅銀鉱の方だ。色合いとしては、かなりはっきりとした赤だが濃紅銀鉱よりも僅かに淡く、どちらとも「ルビー・シルバー」と呼ばれていたりする。最近ではプルースタイトと呼ばれ、愛好家達の間ではかなり人気がある鉱石のようだ。


 そんな鉱石を壁際の棚の奥に置いた箱を取り出し、まず状態の確認を済ませようとした。銀鉱石の一種とはいえ、時間が経てば経年劣化が始まり色が変わってしまう。特に紅銀鉱は、光に当ててしまうと劣化が早くなり黒く変色してしまう。そうなっていないかを確認し、状態が良く色も申し分なければ土台の素材として使おう。そう考えながら箱を開けると、色も状態も良い紅銀鉱がいくつか入っていた。私は赤く輝く紅銀鉱を二つ取り出し、鉱石が残った箱は蓋を閉め再び棚の奥へと戻した。


「紅銀鉱を使うならばこの鉱石と同じ様に、光を嫌う紫水晶を溶媒として付けるのがいいだろうか」


 デッサンに「紫水晶」というメモを書き残し、私は取り出した鉱石の加工を始めた。削っては整えてまた削って、という工程を繰り返し少しずつ鉱石を丸くしていき、傍らに置いたデッサンの形に近づけていく。こうして作っていると、子供達が出来る前に妻と一緒に時間を忘れて、並んで遅くまで作っていた時のことを思い出す。デッサンや素材のことを話しながら、二人で意見交換をよくしていたものだ。


「そうか…… もう君と二人で、そういう話も出来ないのか」


 妻が亡くなってから入ることをやめた部屋は、あまりにも君との思い出が多すぎる。私は手を動かしながらも、デッサンの描かれた用紙に滲みを作っていた。それに気づきながらも、手は止めることなく最愛の人が最期に残したものを。形にできなかった願いと、私自身のコトリへの願いを込めて作り上げていく。


コンコン


 扉をノックする音が響いて顔を上げると、窓から差し込む明かりがだいぶ薄暗くなっていることに気がついた。


「師匠、そろそろ夕食ですよ。出来ているので、食べに来てください」

「もうそんな時間だったか。ありがとう、今行くよ」


 扉の向こうにいるコトリにそう返事をし、私は作業の手を止めて座っていた椅子から立ち上がった。作業の進み具合としてはだいぶ進んでおり、残りは細かいところを整えてから全体を磨き、最後に選んだ宝石の紫水晶を付けるだけとなっていた。このデッサンの魔導具は、セルソーピルシングといった名前だっただろうか。確かそのような名前のアクセソワールだったと思うのだが、詳しくは私にはわからなかった。


「この魔導具もどうにか、明日までには終わりそうだ。彼女が喜んでくれるといいのだが」


 私はそう願いながら鉱石の匂いのする部屋の明かりを消し、夕食を作って待ってくれているコトリがいる台所へと向かった。

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