第一章 片隅に咲いた一輪華

第1話

 多くの種族が暮らす、姉妹の夢想レヴリー・デ・スール。そう呼ばれる世界の中にある、最も繁栄していると言えるサンティエ帝国。ここはその帝国の中でも、人間が一番多く暮らしているであろうリーヴル。別名「本の街」と呼ばれている。そんな街に雨が降り注ぐ夕暮れ時。傘を忘れた私は、人目を避けるようにしつつ路地裏を足早に歩いていた。雨が降りだしてから少し歩いたところでふと、道路に座り込む一人の小さな子供が視界に入ってきた。外見はおよそ十歳程で、長い髪や体つきから判断するならば、少女ではないだろうかと予想した。そのまま子供の前を過ぎてしまおうかと考えを巡らせたが、結局私は少女の前にしゃがみこんでそっと声をかけた。


「こんなところにいると風邪を引くぞ」


 だが、子供からの答えは返ってこなかった。


「帰る家は無いのか?」

「無いです……」


 少女は顔を上げずに絞り出すような声で、私の質問に短く答えた。


「そうか…… それなら、短い間で良いなら家に来るといい」


 私の声に反応したのか少女の頭が少し動き、黒い髪の隙間から水色の瞳が覗いて小さく頷くような仕草で彼女の長い髪が揺れた。それから遠慮しながら私の服の裾を掴もうと、少女の小さな手が伸びてきた。他人に触れられることを嫌う私は、いつもならすぐに手を払うのだが、何故か彼女の手を振りほどく気にはならなかった。私は少女に視線を合わせるようにもう一度しゃがみ、名前を聞こうと声をかけた。


「名前は何と言う?」

「……」

「自分の名前も言えないか、まあいいだろう。私はエリックだ。ここは冷えるから一緒に家に行こう」


 立ち上がって家に帰るために歩きだそうとすると、背中越しに声が聞こえて私は振り返った。


「……コトリです」

「そうか、良い名前だな」


 自分の名前をポツリと呟いた少女にそう返事をして、彼女の歩幅に合わせるように先をゆっくりと歩いていく。時折後ろを気にしながら、彼女がついてきているかを確かめて家までの道を進む。おどおどと周りを気にしながらも後をついてきてはいるが、その様子を見て私は「他人が怖いのではないだろうか」と感じつつ、薄暗い路地裏を抜けていった。


 路地裏を抜けて草の香りがしてきた頃、森の木々の間に隠れるように建てられた私が住んでいる家が見えてくる。随分昔に建てた古い木造の家ではあるが、二人や三人で暮らしても部屋が余るくらいに広い造りになっている。この家を建てた当時はそれでも足りないと思っていたのだが、今となっては物置としてしか使っていない部屋が多くなってしまった。そして家の裏手にはそこそこ大きな庭があり、自分で野菜や薬草などを育てている。玄関へと続く整えられた草木の小道を歩き、木製の扉の鍵を開けて少女を中へと招く。


「さあ、中へどうぞ。一人だから、散らかってるかもしれないが」


 小さく頷いた彼女は家の中へと入ると、驚いたような声を漏らした。


「わあ……」


 玄関から入ってすぐの位置に天井まで届く程の本棚があり、それを見て彼女は驚いたのだろう。そこにはこの国だけでなく、別の国やこの世界に紛れ込んだ旅人が持ってきた書籍や魔導書等が隙間なく並べられている。だがここに並んでいるのは、私が所有している一部にすぎないが。


「こ、これらは?」

「これらは色んな国の本だ。その国の歴史だったり、物語だったり。あとは魔導書もあるぞ」

「あの…… 読んでみてもいいですか?」

「いいが、まず君はお風呂で暖まってからだな」

「はい! ありがとうございます」


 私の言葉を聞いて笑顔を浮かべる少女を見て、ちゃんとそういう顔もできることを知って少し安心した。


「さて、風呂を沸かしてくるから、その間はれでも着てるといい。風邪を引くと、君が苦しいだろうからな」


 玄関のポールハンガーに掛けてあった別のローブを彼女に被せてから、私は風呂を沸かしに向かった。後ろで少女が「ありがとうございます」と呟くのが聞こえた気がした。


「素直な部分もあるみたいだな」


 そんなことを思いながら、風呂に水を溜めて沸かしていた。こうして私の家に客人が来るのは、とても久しぶりだった。最後に来たのは、どれくらい前のことだろうか。それすらも覚えていない程、昔の話になる。あの出来事が起きてから私は、他人との関わりを絶ってきたからだろう。誰かを信じることすらやめてしまった、あの出来事。


 思いを巡らせていると風呂が沸いたようで、私は少女を呼びに戻った。


「準備ができたから、入ってくるといい。着替えは、私の方で用意しておこう」

「ありがとうございます」


 彼女を浴室に案内してから今は使っていない子供部屋へと向かい、娘が昔着ていた服とタオルを用意してから脱衣所にそっと置いてその場を出た。邪魔をしないでゆっくりさせておこう。彼女も色々と考えることがあるだろう。私は出てくるまでの間に、夕食でも作っているとしよう。外にいたのならば、お腹も空いているだろうから。


「何を作ろうか。苦手な物がないといいのだが」


 そんなことを呟きながら、私は手を動かして料理を作りはじめる。子供達が好きだったものを思い出しながら、玉葱をみじん切りにして、挽肉と混ぜ合わせハンバーグを作っていく。何度も作ったことがあるわけではなく、だいぶ不格好に焼き上がってしまったが彼女は食べてくれるのだろうかと、心配になりはじめた。


 やり方を思い出しながらどうにか作り終えた頃、少女が着替えて浴室から出てきた。


「お風呂、ありがとうございました」

「ゆっくりできたのならよかった。お腹が空いているだろうと思ってハンバーグを作ったのだが、食べられそうか?」

「はい、大丈夫です」

「それじゃあ席に座っていてくれ。用意してくるから」

「あの!」

「どうかしたか?」


 呼ばれて振り向くと、彼女が何か言いたそうにしていた。


「その…… お手伝い……」

「まだ無理しなくていい。慣れてから、ゆっくり手伝ってもらうよ」

「はい……」


 彼女の落ち込む様子を見て「あとで何か手伝ってもらうか」と考えつつ、二人分の皿を食器棚から取り出してから作ったハンバーグを盛りつけ、ライスを別の皿に乗せて少女の目の前に置く。


「いいのですか?」

「君のために作ったのだが、食べないなら私が食べてしまうが?」

「い、いただきます!」


 まだ緊張しながらも彼女は挨拶をしてから食べ始め、その姿を見て私も手を合わせてから自分の分に手を付けた。


「味はどうだ? そこまで料理をしないから、大したものではないかもしれないが」

「そんなことはないですよ。とても美味しいです」

「口に合ったようでよかったよ」


 美味しそうに食べる彼女の顔を見て、作って良かったと思うのと同時に、幼い娘の姿が重なり少し寂しさを覚えた。


 食事を食べ終え、片付けを少女に手伝ってもらってから「あとの時間は好きに過ごしてもいい」と伝え、彼女が過ごす部屋を案内してから邪魔をしないように私は自室へと戻った。だが、夜遅くなってもなかなか部屋に向かった様子がなく、心配になった私は彼女を探すことにした。この家はそこそこ広く、迷ってしまったということもありえるからだ。


「玄関を開けた音はしなかったから、外に出てはいないと思うが……」


 呟きながら彼女を探すために一階に降りると、玄関から入ってすぐの本棚に寄りかかりながら寝息をたてている幼い姿を見つけた。


「こんなとこにいたのか」


 寝ている姿に苦笑しながら、彼女の周囲に広げられている本が目についた。そのうちの一冊を手に取り、どのような内容のものを読んでいたのだろうかと目を通した。だがそれは、子供が読むには難しい魔導書で、他のものも同じような内容の本が広げられていた。


「そういえば随分と興味を示していたが、ここまで難しいものを読むとは……」


 彼女を連れてきてすぐに、ここの本を読みたいと言っていた様子を私は思い出した。まさか、手慣れた魔術師が読むような魔導書を読んでいるとは思わなかったが。いったい、この少女は何者なのだろうか。身なりは旅人のようにも見えたが、それにしては幼すぎる気がした。彼女のことを鑑みるのは後にしつつ、私は広げられた魔導書を片付けることにした。


「おかあ、さん……」


 床の上の本を元の場所に片付けていると、ポツリと小さな寝言が聞こえてきた。寝ている彼女の顔を見ると、頬に一滴の筋が流れて床に零れた。それを見て私は起こさないようにそっと頭を撫で、今までの彼女のことを思った。


 広げられていた魔導書の数々と旅人のような格好をして、雨の降る街で一人で過ごしていた少女。彼女はその小さな背中に、いったいどんなことを背負ってきたのだろうか。この幼さで親元を離れて過ごすくらいだから、何かしらの罪や罰を背負ってしまったのだろうか。それとも、また別の理由か。そうだとしても、きっと私には想像できないことで、それはとても苦しいものなのだろう。


 様々なことを考えながら彼女を抱え上げ、二階の部屋へと運ぶ。ベッドにそっと寝かせ布団をかけてあげると、彼女はもぞりと寝返りをうちそのまま気持ち良さそうにしていた。


「おやすみ、コトリ」


 寝ている小さな頭をそっと撫でてから部屋をあとにし、残していた本の後片付けをするために一階へと向かった。


「それにしても、彼女が魔術に興味を持っていたとは……」


 残った本を片付けながら、少しばかり彼女に魔術を教えてみようと考えた。それと、一人でも生きていくためのスベも。


「最初は、私を信じてもらうところから始めなければだな」


 数時間前の少女の様子が目に浮かぶ。声をかけてもなかなか反応が返ってこず、他人に怯えたような瞳をしていた。ここに来てからも、私から話しかけることの方が多かったことに気がついた。


「彼女の身に何が起こったのかを聞ければいいのだが、それを聞くのはもう少し先になりそうだな……」


 出会ったばかりの今の状態で聞けば、きっと彼女を傷つけてしまいそのまま心を開いてはくれないだろう。そうなってしまっては魔術を教えるのも難しくなり、そのまま一人で出て行ってしまうのではないかと思っている。起きたことを聞くのもそうだが、何より子供を独りで放り出すのはどうしても心配だった。せめて彼女が大きくなり、ここを巣立つ時までは側にいてあげられればと考えはじめていた。


「私らしくもないな。誰とももう関わらないと、そう決めていたはずなのだが」


 人間よりも長い寿命を持つ私達エルフの定めは、過ぎて変わりゆく時を見送り、多くの命の始まりと終わりを見送ることだった。私は過ぎた時の中に大切なものを見つけ、そして失い、他者を信じられなくなり関わりを絶った。奪われる恐ろしさを知り誰かに仕組まれた罠の味を知った私は、守れなかった贖罪と他者への猜疑心から自宅を隠すように木々を生やし森を成した。この場所に私以外、誰にも立ち入らせないために。


「だが、そう簡単に神は許してくれないようだ」


 独りきりでこれからも過ごしていくはずだった私は、一人きりでいた少女を見過ごすことは出来なかった。それはおそらく、私も「人の親だった」ということなのだろう。まだ私は、独りで過ごすには早いと言われているような気がした。


 思案に沈んでいると、時計に日付が変わったことを告げられ「もうそんな時間か」と呟きながら私も寝室で休むことにした。

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