この世界で生きる者-1
「東に四〇〇。北に八〇〇……」
歩幅を頼りに目的とする座標を目指す。降り積もる灰に足を取られてもなんのその。この世界で生きる以上もはや慣れたものだ。……いや、そもそも地上に出るなんて行為が愚行なので普通は慣れるものではないのだが。
「まぁ、実際いつ死んでもおかしくないしな……」
この世界は死の世界だ。およそ『生き物』とされる存在が生存できる環境ではなく、ただただ無機質な灰が降り積もっていく。
地上にて生命は絶えた。今この世界で生きる生命は地下でひっそりと生き延びる者たちだけ。緩やかに死へと向かっていることはわかる。だからこそクレイは一人地上の世界を歩いている。
念のため伝えておくと、クレイは住処が無いわけでもなく、自殺するために外出しているわけでもない。明確な目的をもって地上を歩いているのである。
灰を吸わないように口元を覆い、目元には小柄な体には似合わぬごついゴーグル。服装も肌の露出は一切なく、できる限り外との接触を避ける格好。これが地上での基本。
「とりあえずさっさと向かおう。この座標なら少しは灰も防げるものがあるはずだ」
彼が目指すのは失われた都市の残骸。まだこの世界に色彩というものがあふれていた時代の証明。
ブブッ
突如ポケットから振動が伝わる。
「っと、まずいな。もうそんな時間か」
ポケットに入っているのは折り畳みができる板状のもの。かつて『携帯電話』と呼ばれていたものらしい。
遠くにある同じものと会話ができるらしいのだが、クレイの知る限り他に持っている人を見たことがないので使ったことはない。ただ高い精度での時刻表示機能及び指定時間の通達を行ってくれるため、今回初めて持ってきたのだ。
というのも地上に存在する『動く奴』の行動周期がある程度読めてきていたからである。
辺りを見回すと、ちょうど良いところに灰が積まれたタワーがあった。危険なことには変わりないが、かなりしっかりと積まれている。身を隠すには良いだろう。
急いでタワーへと移動し、影に身を隠す。あとは付近を通った際に気が付かれなければ良い。と言っても襲われる基準は明確ではないため、そのあたりはどうしても運頼りである。
「まぁ、地上にいる以上仕方ないけどな」
携帯電話を開く。時刻はそろそろか。
と、そういえばこの携帯電話には『カメラ』という目に映った情報を保存する機能もあるらしい。であれば『奴ら』の姿を収めることができれば、少しは研究も進むかもしれない。
そう思いカメラ機能を起動させる。いつでも動けるように。それでも息を殺してひっそりと待つ。
(──来た!)
いつまでも慣れない地響きが鳴り始める。これが『奴』の現れる前兆。
『險倬鹸縺励∪縺呵ィ俶?縺励∪縺咎寔繧√∪縺呎綾縺励∪縺──!!』
耳障りな金属音の叫びをあげながら灰の中から姿を現したのは巨大な芋虫のような姿をした何か。
この灰色の世界で『動く奴』の一つ。
(──
姿を現した灰物は『芋虫』。クレイが記録している中でも最も行動原理が単調で、まっすぐにただ突き進むだけの回避がしやすいタイプだ。
今までは遠目で見てスケッチするだけだったが、今回はカメラがある。これならより詳しい情報が──
『繧難シ』
「ッ!?」
こちらを、見た
クレイがカメラを構え、シャッターを切った瞬間のことだった。灰物はピタリと動
きをとめ、確かにこちらを見ている。
見つかった? なぜ? カメラのせい?
様々な思考が、理由を求める。だが、その答えを今出す必要はない。そのようなことをしている場合ではないのだから。
『諠??ア逋コ隕句庶髮?幕蟋──!!』
「まずっ」
こわばる身体に鞭打ちその場から駆け出す。
灰物から逃げ切る術は確立されていない。奴らの興味が失せるまでか、はたまた何らかの理由でまくことができた場合か。
口元を覆う布のせいで息が苦しい。
灰のタワーを回り、くねくねと逃げ回る。『芋虫』は直線的な移動をするため、この逃げ方が正解と踏んだのだが──
『蝗槫庶蜿朱寔蝗槫庶蜿朱寔──!!』
(くそっ! 完全に追ってきてる……!!)
鳴らす地響きがクレイに焦りと恐怖を刻み付けていく。
必死に駆け回っているものの、これ以上はタワー区域を抜けてしまう。
(引き返す? いや、引き返したとして横を抜けられるのか……?)
ちらりと後ろを確認──
ドゴッ!!
(!?)
強い揺れ。灰物が制御を間違えたのか、タワーの一つに強烈な体当たりをかましたのだ。
丈夫に建てられていたであろうタワーは、その強大な力によって根本から折れたかのように倒れてくる。……こちらに向かって。
(まずいまずいまずい!)
全身の筋肉をフルに使って横へと駆ける。ギリギリまで走り、決死の跳躍。
数瞬の後、重い地響きが鳴る。タワーが倒れ、その衝撃で灰塵が巻き上がる。これであれば灰に紛れて逃げることができるかもしれない。
だが、そんな願いはすぐに消え去る。タワーのほんの数メートル隣にいるクレイには大量の灰が飛んできているのだ。そう、クレイが生き埋めになるには十分すぎる量の灰が。
慌てて起き上がろうとして気づく。
(足が……!?)
タワーが倒れた際に低く飛んだ灰だろうか。既にクレイの足にはごっそりと灰がかかってしまっている。その灰の重量は重く、手で少し退けなければ引き抜くことはできないだろう。
(ああもう、この世界で死因が窒息死か。馬鹿らしいにもほどがあるな)
空を見上げる。だが、見えるのは今にもこちらへと降りかかろうとする大量の灰と、その奥に見える灰色の空。それと、黒い小さな人影だけ──
(──人影?)
瞬間、頭上を覆う灰が晴れた。ぽっかりと、クレイを覆うはずだった部分だけ綺麗になくなったのだ。
目の前に影が差す。
とすっ、という軽い着地音。ふぁさりと揺れる灰色の長髪。そして、この世界に見合わぬ黒のゴシックドレス。実際に出会ったことはなかったが、クレイはこのような風貌の存在を知っている。
(灰喰らい!? なぜここに……というか、助けた? なぜ?)
『灰喰らい』。それはゴシックドレスを身にまとう少女の姿をしているが、その正体は地上の灰を処理するための装置。彼女たちが人間に対して友好であるという文献は見たことがない。敵対しているという文献も見たことはないが。
そもそも地上に出ようとしない人間にとって、『灰喰らい』は地上で動くもの、という認識だけであり、それ以上でも以下でもないのである。
おそらく彼女たちにとっても人間は取るに足らない存在ではあるだろう。故に、クレイには現状を理解することができなかった。
「……」
少女が虚空に手をかざすと、周囲に未だ巻き上がっていた灰がまるで意志を持つかのように少女の手へと集まり、明確な型を成していく。
ふぉんっという軽い擦過音。振り払った少女の手には、巨大な鎌が握られていた。
「──あの」
「死にたくないなら動かず黙ってそこにいなさい」
見向きもせずに告げられた言葉。
少し幼くも凛とした声。しかし、鋭さを持った言葉にクレイは続く言葉を失う。──と、次の瞬間。
『驍ェ鬲碑??賜髯、諠??ア蝗槫庶──!!』
耳障りな叫び声とともに灰の中から再び灰物が姿を現す。その目はまっすぐにこちらを見据えており、明確な殺意を感じることができる。
そして、一直線にこちらへと突撃してくる──!!
「貴方たちは情報を得ても学習しない」
灰を蹴り、少女が灰物に劣らぬ速度で駆ける。灰を巻き上げながら低空を疾駆し、灰物と対峙する。
「どうせバックアップはあるのでしょう? であればこの一時だけ、消え去りなさい」
──一閃
少女が駆け抜けざまに大鎌を振り抜き、灰物を真っ二つに切り裂いた。
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