忌まわしき記憶

 忘れてはならない。なぜ、母が死んでしまったのか。

 ニオンの頭の中には、忌まわしき記憶があった。




 自分が産まれる前のことは乳母と母の両親から聞いた。

 母ティアは元々辺境の貧しい家の一人娘だった。そして極めて病弱な体であった。長命は望めない程に。

 しかし彼女は農民でありながら、魔力を無限に供給する英力を持っていたのだ。しかし体が弱いため国からは宝の持ち腐れとされていた。

 だが、その事を耳にして金をちらつかせて彼女を自分のものにしようとした男がいた。それが父、アドル・ロイザーだったのだ。

 アドルは三流剣士の家系ではあったが、農民とでは財力に差がある。

 ティアは両親の暮らしのことを考えて、喜んでロイザー家に嫁いだのだ。

 しかし、アドルは彼女を優秀な子供を作るための人形としか見ていなかった。それこそ、おのれの地位を高めるための道具として。

 アドルは病弱な彼女に子供を産ませた。その結果ティアは一月生死の境をさ迷うはめになる。

 しかし、産まれたのは英力も魔力もないただの男の子。それがニオンであった。

 だが、あろうことかアドルはニオンの育児を放棄した。「無能な子など、いらぬ」と言って。

 その後、育児放棄されたニオンは乳母によって育てられた。

 そしてティアの容態が回復するなり、アドルは二人目の子供をつくらせた。

 次男であるミースが産まれたのだ。彼は英力を持った男の子だった。

 アドルは狂喜してミースの教育に励んだ。

 剣士の家で英力を持った子供が産まれると、国から膨大な給付金が得られるため、その金でミースを王都の学園に入学させた。

 アドルはミースの教育にしか目を向けず、ミースを産んで限界寸前の状態になったティアを気づかうこともなければ、顔を合わせることもなかった。

 看病はニオンと乳母が行っていた。

 その時からニオンは決意していたのだ。いずれ父アドルを殺そうと。母を道具としか見ていない、あの男を許せないと。

 だが、いつも決行できなかった。


「ニオン、母さんは後悔してないわ。……父さんのおかげで、あなたのお爺様もお婆様も不自由なく暮らせているらしいの……」

「……しかし、あの男は!」

「あなたは、とても強い子よ。力がなくても、あなたは生きていける。……だから自分の将来のことをよく考えて」


 ティアはニオンに親殺しなどさせまいとしていたのだ。だからニオンは実行できなかったのだ。





 そしてニオンが十六歳になったとき、ティアは死んだ。余命が少ないことは分かっていたことだったが。

 ……しかし寿命によるものではなかった。

 母が死んだのは、ニオンが外出しているときだった。当時のことを乳母が嗚咽をあげながら話してくれた。

 昼間から酒に酔っていた父アドルが「二人目の天才を作れば、我がロイザー家の地位は磐石!」と言いながら、ティアに襲いかかったそうだ。

 ……意識がほとんどない彼女に。

 もはや子供を作るどころか、行為に耐えられる体ではなかった。

 酔っていたせいかアドルは途中でティアが死んだことに気づかず、亡骸を犯し続けていたそうだ。





「それが事実なんだ。……そして私は、あの男の顔を切り刻み、ロイザーの名を捨てることを決心した。そのあと母を殺した罪を擦り付けられた」


 ニオンは忌々しい記憶を丁寧にミースに伝えた。

 そのあまりにも非道な内容にミースは涙を溢れさせ怒りで体を震わせる。


「ぼくは父上の教育と学園生活のせいで、まともに母上とふれ合うことができなかった。……学園でトップになれば、母上にあえる機会が増えると思っていた。そのため、ぼくは必死だった。……母上ともっと、色々話がしたかったのに……」


 握りしめる拳から血が滴る。ミースは逃げ場のない憤怒で唇を噛み締めた。


「ちきしょう! 離せぇ! わしは剣聖候補の実父だぞ、こんなこと許されるかぁ!」


 そう叫び声をあげるのは正位剣士しょういけんし達に取り押さえられ、手枷をつけられた顔面傷だらけの男。

 メリルはアドルに鋭い視線を向けたあと、ニオンとミースに目を移した。


「……この男の始末は、お前達二人で決めてほしい。この場で斬り捨てても構わない」

「なっ! 待ってくれ女王様! わしは国のために良き剣士を作ろうと……」

「だまれ! あの時、お前の言葉を信じてしまった自分が許せない。……好きにするんだ」


 メリルがそう告げると、ニオンが踏み出し手枷を付けられたアドルに近づく。そして彼は、アドルの目の前で足を止めた。 

 二メートル近い身長、二〇〇キロを軽々越える屈強な肉体。それを目の前にすると、凄まじい威圧感であった。

 アドルはニオンを見上げ、恐怖で体を硬直させた。


「……まて、ニオン……わしが悪かった……だから」

「命は取りません」


 そう言ってニオンは、アドルに付けられていた手枷を素手で破壊して彼を解放した。


「そ、そうか、良い子だな、ニオン! わしを許してくれるのだな!」

「命は取りませんが、許しはしません」

「……なっ?」


 すると、ニオンはいきなりアドルの両腕を掴みとった。そして掴んだアドルの腕を左右に引っ張り出した。


「ぐうあ! 何をする!」


 両腕を左右に引かれた傀儡のようにアドルの体がピンっと張りつめる。

 そしてミースとメリルは、あるものを見て息を飲んだ。服の上からでも分かるほどに、ニオンの肩と背中の筋肉が隆起しているのだ。


「……薄々気づいていたが、数年前より大きくなってる」


 呟いたのはメリル。

 今のニオンは五年前より更に体が分厚く発達していた。あの惨事のあと、さらに鍛練を積んだのだろうか。その時でさえニオンは最強の剣聖を打ち負かした。では、今の彼の強さはどれほどなのか?

 ニオンは徐々に引っ張る力を強めていく。


「ぐうあぁ! やめろぉぉぉ!」


 両腕を万力で挟まれて無理矢理に左右に引っ張れているようだった。あまりの苦痛にアドルは叫び声を響かせた。

 そして、アドルの肉体は限界に達した。


「あ゛あ゛あ゛! げぇあぁぁぁぁ!!」


 根本からアドルの両腕が引きちぎれ、鮮血を噴出させたのだ。

 ニオンはトロールさえ容易く解体してしまう程の膂力を持っている。それで人間の肉体を掴んだのだ、こうなるのは必然のことだった。


「その体で、余生を生きていただく」


 ニオンは引きちぎった腕を投げ捨て、のたうち回るアドルをギョロリと睨み付けた。

 周囲から悲鳴があがらないほどに、恐ろしい光景だった。





 両腕を引きちぎられたアドルが担架で護送されたあと、しばらくしてメリルは闘技場の中央に佇んだ。

 ニオンと約束した通り、ここで全てを話さなければならない。

 英雄神話の終わりを。……覚悟はできているが、やはり躊躇してしまう。

 無言のまま立つメリルを見て、貴族達はみな静まりかえっていた。

 と、その時だった。メリルの目の前の地面にポタポタと何かが降り注いだのだ。それは赤い液体。


「……血?」


 そう彼女が小さく呟くと、いきなり何かが落下してきた。


「メリル様! お下がりください!」


 すぐさまニオンが駆けつけ、落下してきたものからメリルを遠ざけた。

 落下してきたものは人? いやその背中には翼があり頭には角があっな。まぎれもなく魔族であった。

 だが、その魔族は全身血だらけで死にかけている様子だった。


「た、助けて……俺は、魔王軍幹部の……ザック……化け物に襲われ……魔王軍は壊滅した……女王よ助けてくれ」

「な、何を言っている? 化け物に襲われて魔王軍が壊滅しただと? そんなバカな話……いや、これは何かの罠か?」

「嘘じゃない……信じてくれ……降伏するから……助けて……」


 ザックはそう言ったあと、血を吐き出し事切れた。

 いきなり魔族が現れたことで、周囲がどよめき出した。


「魔導士達よ、なぜ魔族の王都内侵入を許した! 周囲の警戒を怠っていたのか!」


 メリルは城に従える魔導士達を怒鳴り付けた。

 城に従える魔導士達は常に周囲の警戒や監視をしておかなければならない。いつ外敵が現れるか分からないからだ。


「申し訳ありません女王様……実は先程から魔術が使えないのです。……と言うよりも、魔粒子を集められないのです」


 魔導士の少女が、そう言った。


「……魔粒子が集まらない」


 少女の言葉を聞いたニオンはいきなり表情を険しくさせ、懐から端末のような装置を取り出した。

 そして、その装置の電源を入れた瞬間、警報音がなり響いた。


「……魔粒子拡散波動。まさか……」


 ニオンが深刻そうにしていると、奇妙な音が聞こえてきた。


「ドワッシ……ドワッシ」


 その音を不気味に感じたのか周囲の貴族達がザワザワと騒ぎ始める。

 徐々に音を発しているものが近づいている。しかしどこにいるのか?

 みなが周囲を見渡すなか、一人だけ上空を見上げている姿があった。


「メリル様……至急王都の人々に避難勧告を」

「急にどうしたニオン? まさか、また魔族か? それにさっきから、この音はなん……」


 ニオンにつられて、メリルも上空を見上げた。そして、視界にそれを捉えた瞬間、彼女は言葉を失った。

 闘技場の直上に、直径五十メートルはあろう鉄球のようなものが浮遊していたのだ。

 表面は光沢を帯いており、まさに金属の塊といえそうな見た目だ。


「ドワッシ、ドワッシ、ドワッシ」


 奇妙な音の正体はこれだった。

 そしてニオンは、その巨大な球体を見つめながら言った。


「……星外魔獣コズミックビースト

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