第三巻 第五章 幕府権力の拡大

〇鶴岡八幡宮で公暁(二十歳)に暗殺される実朝(二十八歳)

N「鎌倉幕府の権力争いはなおも続き、承久元(一二一九)年、ついに将軍実朝が、頼家の息子である公暁に暗殺されるに至り、源氏の正統が絶えた」


〇平安宮、院庁

大江親広が後鳥羽上皇に謁見している。

後鳥羽「朕の皇子を将軍に立てたいと申すか」

親広「は。何とぞ……」

後鳥羽「……源氏の正統が絶えたというなら、なにゆえ鎌倉(幕府)は存続しておる」

親広「え……」

後鳥羽「頼朝は、源氏の正統がゆえに、鎌倉を立てることを許されたのじゃ。正統が絶えたなら、鎌倉もなくすのが道理というものではないか」

絶句する親広。

N「幕府はやむを得ず、九条(藤原)道家の子・三寅(九条頼経)を第四代将軍に迎えることにしたが、幕府と後鳥羽上皇の間には、緊張が生まれることになった」


〇平安宮・院庁

後鳥羽上皇(四十二歳)が順徳上皇(後鳥羽天皇の皇子、仲恭天皇の父、二

十五歳)と相談している。

後鳥羽「討幕の名目で兵を集めるのは、難しいと申すか」

順徳「鎌倉(幕府)は、御家人に所領を保証することで、分かちがたく結びついております」

後鳥羽「では鎌倉は倒せぬと申すか」

順徳「……執権である北条義時は、父・時政と共に、無道なやり方で鎌倉の権力を手に入れました。義時を気に入らぬ者、恨みを抱いておる者は数知れませぬ。その義時を討つ、ということなら、兵も集まりましょう」

後鳥羽「(にこやかにうなずいて)義時を倒し、北条氏を排除して、我らの思い通りになる者を将軍に据えるのだな」

N「承久三(一二二一)年五月四日、後鳥羽上皇は『流鏑馬揃え』を口実に諸国の兵、千七百余騎を集める」


〇平安京、京大路

集まった兵を閲兵する後鳥羽と順徳。

後鳥羽「源氏の棟梁である、源頼朝公が開いた鎌倉(幕府)は、北条に乗っ取られてしまった! 北条を討ち、鎌倉をあるべき姿に戻すのだ!」

ざわつく兵たち。ピンと来ない様子である。

順徳「北条は東国の者たちばかりをひいきし、お前たち西国の武士を不当に扱ってきた! 北条を討てば、東国の武士たちの所領をお前たちにくれてやる!」

ざわめきが歓呼の声に変わる。

N「後鳥羽上皇は諸国の御家人達に『義時追討』の宣旨を送った」


〇鎌倉・大蔵御所

庭には御家人たちが詰めかけ、溢れかえっている。

館から姿を見せる義時(四十九歳)と政子(六十五歳)。

政子「我が夫、頼朝さまが関東を草創して以来、官位も俸禄も所領も、みな鎌倉(幕府)が与えてきた。皆、その恩義を忘れてはいまい。非義の綸旨などに惑わされてはならぬ。今こそ鎌倉を守る時ぞ!」

意気上がる御家人たち。


〇東海道を攻め上る鎌倉軍

行軍する鎌倉軍に、続々と合流していく御家人たち。

N「十八騎で鎌倉を進発した東海道軍は、道々で勢力を増し、西国に到着するころには十万騎にふくれ上がった。さらに東山道から五万騎、北陸道から四万騎が攻め上り、鎌倉軍は合わせて十九万騎の大軍となった」


〇逃げて行く上皇方の軍勢

N「様子見をしていた西国の御家人たちも、こうなれば鎌倉方に付く。上皇方は圧倒的な敗北を喫した」


〇護送される後鳥羽上皇の輿

N「後鳥羽上皇は隠岐島に配流され、そこで生涯を終える」


〇即位する茂仁王(後堀河天皇、十歳)

N「以後、鎌倉幕府は、京都に六波羅探題を置き、皇位継承などの朝廷の政治にも干渉するようになる。また、後鳥羽上皇やその挙兵に加わった武士たちの所領は、幕府が没収して、乱で戦功のあった者に与えたので、幕府の力はますます強まった」


〇常陸国(茨城県)・稲田の草庵(雪)

外をしんしんと雪の降り積もる中、親鸞(五十二歳)が集まった信徒たちに教えを説いている。

N「後鳥羽上皇の配流後、師・法然と共に罪を許された親鸞であったが、そのまま常陸国に留まり、布教と教義のまとめに取り組んでいた」

親鸞「仏ならざる人には、善悪の判断など、最初から不可能なのです。ゆえに全ての衆生は悪人ですが、阿弥陀仏はそのことをあわれんで救済してくださいます」

信徒たちの中から猟師が立ち上がり、

猟師「でもお坊様、おらは日々獣を狩って、殺生をして暮らしています。そんなおらたちも、阿弥陀さまは救ってくださるのでしょうか」

親鸞「(微笑んで)もちろんです。むしろ善行を積み、自力で往生しようと考えることこそ、阿弥陀仏の本願力を疑うことに他なりません」

ありがたさのあまり、親鸞を拝む猟師。

親鸞「私を拝んではなりません。ただ阿弥陀仏を拝み、『南無阿弥陀仏』を唱えるのです」

一同「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

N「この考えを『悪人正機』と呼び、浄土真宗(一向宗)の根本教義となる」


〇平安京・興聖寺

道元と弟子たちが坐禅を組んでいる。

N「安貞二(一二二八)年、宋で禅宗の一派・曹洞宗を学んだ道元が帰国、『只管打坐』(ひたすら坐禅をすることで悟りに至れる)を教義とする曹洞宗を開く」


〇鎌倉・大路

幕府の役人に護送されていく日蓮を、大勢の信徒達が見送っている。

日蓮「皆、忘れるな! 法華経こそ唯一の正法(正しい教え)! 真言は邪法! 坐禅はまやかし! 南無阿弥陀仏は地獄への近道! このままでは国難が襲うぞ!」

N「建長五(一二五三)年頃から、鎌倉で布教活動をはじめた日蓮だが、その他宗に対する攻撃的な思想から、幕府によって伊豆に配流される」


〇幕府を訪問する元の使者

N「日蓮の予言を裏付けるかのように、文永三(一二六六)年から六回に渡り、元帝国(モンゴル)の使者が国交を求めて訪れる」


◯鎌倉幕府

北条時宗(十六歳)が御家人たちと、国書を前に会議している。

時宗「フビライは国書をこう締めくくった。『兵を用いることを誰が好もうか』……これは明確な脅迫である。鎌倉は断じて脅迫に屈しない!」

気炎を上げる時宗とは裏腹に、不安を隠せない御家人たち。

時宗「元帝国が武力で諸国を従えていくさまを、中国より帰国した留学僧たちが見ておる。単なる国交樹立にはならず、必ずや侵略の戦になる!」

時宗の目には信念がみなぎっている。


◯元帝国首都・大都

塔二郎(若者)・弥二郎(若者)の二人の日本人が、元の兵士に案内され、大都の繁栄を見せられる。中国・朝鮮はもちろん、ヨーロッパやイスラム圏の商品までが溢れかえる市場に息を呑む二人。

二人「これぞ極楽か……」

N「フビライは三度目の使者に、元帝国の繁栄を知る二人の日本人捕虜を同行させる。彼らの話を聞いた朝廷は国交樹立を検討するが」


◯北条時宗(十九歳)

時宗「朝廷は元の恐ろしさをわかっておらぬ!」

N「時宗はあくまでも国交を拒絶した」


〇博多湾

海上に出現した元の大艦隊に驚く、西国武士たち。

N「文永十一(一二七四)年、対馬・壱岐を制圧した、三万人を乗せた元の大艦隊が、九州の沿岸に姿を表した」


〇赤坂の戦い

勇戦する竹崎季長。

N「博多に上陸した元軍と、西国武士を中心とした幕府軍は激闘を繰り広げるが」


〇撤退していく元艦隊

N「元軍はその夜のうちに撤退した。はじめから威力偵察が目的だったとも、将軍が負傷したからとも言われている」


〇防塁(ぼうるい)を築く西国武士たち

N「幕府は博多湾岸に防塁を築くなど、再度の襲来に備える」


〇処刑される元の使者

N「建治元(一二七五)年、七度目の元の使節を時宗は処刑し、断固たる態度を内外に示した」


〇暴風雨で壊滅する元の大艦隊

N「弘安四(一二八一)年、元は十五万人を乗せた大艦隊を日本に送り込む。植民のための家畜すら伴った大遠征であったが、幕府軍の勇戦に上陸を阻まれたところを、暴風雨により艦隊が壊滅する」


〇ぼろぼろになって帰路につく西国武士たち

N「勝利した幕府軍だが、防衛戦であったため戦功のあった者に与える恩賞もなく、また再々度の元の襲来にも備えねばならなかったため、幕府と、とくに西国の武士たちは激しく消耗した」

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